ニッケイ物語8 — ニッケイ・ヒーロー:私たちの模範となり、誇りを与えてくれる人
私の父はツールレイク不忠誠者

私は、父の強さと勇気を永遠に称えるでしょう。第二次世界大戦中、私の父は若くしてアメリカの強制収容所に収容されるという苦渋を強いられたものの、人生を情熱的に忍耐強く生きました。
1921年6月6日、父はカリフォルニア州サンタアニタでセロリ農場の経営に成功した移民の両親の元に生まれました。5歳の時、病気の祖父の看病をするために両親と共に日本へ帰国、その後日本で子供時代を過ごしました。それから長い年月を経て、私の祖父は、父がどんなに賢く勉強熱心で、生まれながらのリーダーであったか私に教えてくれました。1939年、名門の(愛知)県立八幡浜高校を優秀な成績で卒業した父は、ロサンゼルスの住友銀行でインターンシップを受けることになりました。南カリフォルニアに渡った父は、米国生まれで日本育ちの他の帰米たちと出会いました。父の前には明るい未来が広がっていました。
1941年12月の真珠湾攻撃を境に、日本人を先祖に持つ人々の生活は一変しました。その3か月後 ...