1.入植初期の沖縄角力 琉球政府の集団計画移民とて、1954年から1964年まで、19次に亘り3200人余が沖縄県からボリビアに移住した。その初期の時期における沖縄角力の歴史的資料は乏しい。
1955年9月18日に催された演芸会で、余興の一環として沖縄角力大会が催されている。当時の組合事務所や移住者宿舎は、パロメティア川沿いに建てられていた。川岸は白砂が広く続いていたというから、沖縄角力の土俵としては最高の舞台が整えられていたであろう。取組みは、体重不問とし(無差別)比較的弱い者より順に取り組むことを旨とし、勝ち抜き戦を行ない、5人抜きの力士を勝ち残りとして選抜する。勝ち抜き戦終了後、選抜 メンバーにより決勝トーナメントを行なう方式であった。意外な強豪の続出、決着の付かない熱戦等、観る者をして、沖縄角力の醍醐味を堪能させたという。こ の角力大会こそ、ボリビアで組織的に企画・運営された第一回目の大会である。
オキナワ移住地では、入植順に第一、第二、第三移住地を形成した。沖縄角力は各移住地あるいは、移住地内を更にいくつかに区分けした行政区を単位と して入植記念祭、成人式、歓迎会、送別会、クリスマス等の行事に便乗する形で行なわれた。時として、3移住地対抗試合も行なわれた。また沖縄県人南米移民 の連絡会議がブラジル、アルゼンチン、ペルー、ボリビアと開催地を変えて行なわれた際には、4ヶ…