アルベルト・松本

(あるべると・まつもと)

アルゼンチン日系二世。1990年、国費留学生として来日。横浜国大で法律の修士号取得。97年に渉外法務翻訳を専門にする会社を設立。横浜や東京地裁・家裁の法廷通訳員、NHKの放送通訳でもある。JICA日系研修員のオリエンテーション講師(日本人の移民史、日本の教育制度を担当)。神奈川大学と静岡県立大学等でスペイン語講師。外国人相談員の多文化共生講座等の講師。「所得税」と「在留資格と帰化」に対する本をスペイン語で出版。日本語では「アルゼンチンを知るための54章」(明石書店)、「30日で話せるスペイン語会話」(ナツメ社)等を出版。http://www.ideamatsu.com

(2013年6月 更新)

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南米の日系人、日本のラティーノ日系人

ローマ字表記の日本「食と店」

世界では、日本食ブームが始まる前からある程度知られていた「sushi」、「tempura」、「yakisoba」、「yakitori)」等以外にも、「onigiri」、「dorayaki」という言葉もローマ字表記して見かけることが多くなった。 日本の食材やメニューで使われることはもちろんのこと、最近では親しみやすさやイメージ性を込めて店や会社名に使用されることもある。

ここ数年南米では、日系社会の中だけでなく、一般の非日系人によるイベントなどでもこうしたローマ字表記の日本語が違和感なく使われているのを目にする機会が多くなった。意味不明の日本語のワードやフレーズがプリントされたTシャツは、今でも世界各地で売られているが、最近ではスペイン語やポルトガル語とマッチングした日本語が使われた商品も多くなっている。

以前は「MISTURA(創作、多様性のミックス、という意味)」というペルー最大のグルメフェアに参加していたリマの日系和食レストランのオーナーたちは、2017年の11月 ...

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南米の日系人、日本のラティーノ日系人

大学で出会った日系子弟

南米からの「日系デカセギ労働者」は1980年代後半から来日し始め、1990年の入管法改正以降大量に入国するようになった。当初は単身でくることが多かった日系人たちも、次第に日本長期滞在を考えるようになり、家族を呼び寄せたり、日本で家庭を築くようになった。そのため、日本の学校に通う子弟も増え、2005年頃から外国人支援窓口では高校進学の相談が増えている。 

同じ頃、日系人、主にブラジル国籍の子供たち(小学校と中学校)の未就学問題が話題になった。未就学児童増加の背景として、憲法26条1が定めている義務教育の権利と義務規定が外国人には適用しないことがあげられるが、外国人が集住している自治体や民間団体は積極的に彼らの就学をサポートしている。例えば、教育委員会は通訳員や教員をサポートするスタッフを派遣したり、父兄とのコミュニケーションを少しでもスムーズにするため、よく使用される資料 ...

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南米の日系人、日本のラティーノ日系人

ペルー日系人協会100周年記念と第19回COPANIリマ

2017年11月2日から5日にかけ、南米ペルーのリマで第19回「パンアメリカン日系人大会 (COPANI - Convención Panamericana Nikkei)」が開催され1、同時にペルー日系人協会(APJ – Asociación Peruano Japonesa)の100周年記念式典が行われた2

今回のCOPANIでは、「未来を構築して」をテーマに様々なプログラムが組まれていた。エコノミストのルイス馬場中尾氏による今の世界の経済動向についての基調講演を始めとする数々の講演、さらには日系アイデンティティーと移民、日本文化と日本語、日系人の教育による功績 ...

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南米の日系人、日本のラティーノ日系人

日本の日系ラティーノは老後の準備をしているのか?

日本への「デカセギ現象」が始まってからすでに30年は経っており、今では多くの南米日系人が日本に定住している。高齢者の割合も徐々に増えており、日本永住を決意した世帯が本国から年老いた親を呼び寄せるケースも増えているという。日本の日系ラティーノは、「老後の準備」はできているだろうか。

南米の日系社会には、有力者の寄付や多くのボランティア、日本からの支援を活用した独自の高齢者サポートや福祉サービスが存在する。国によってその形態は異なっているが、それぞれのコミュニティが工夫を重ねて対応しているが現状である。

例えば、ブラジルの日系社会では、各地の日系コミュニティにある「Kaikan(会館)」や福祉施設などが、それぞれ高齢者を対象にしたサービスを提供している。役員を含め多くのボランティアが、高齢者用の様々な行事を企画し、施設の維持費や修理費を賄っている。しかし ...

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南米の日系人、日本のラティーノ日系人

世界各地の「日系人」ー幕末から今日まで ― その2

その1を読む >>

明治から本格的に開始された海外移住は、当初予定していたほど成果を上げることができなかったという見方もある。戦前何十万人もの日本人が南北アメリカ移住したが、その数は日本の総人口の1%にも満たないし、欧州からアメリカ大陸に渡った人の方がはるかに多い。国家の海外植民地政策と相まった部分もあったが、不利な通商条件にもかかわらず、明治日本の産業改革をはじめ、国内市場はそれなりに発展し、生活の質も向上した。蚕産業でかなり潤った農業地域もあり、製造業や商業も成長し、社会は一定の安定を保ったのも事実である。その結果、人口も増え、期待も高まった。しかし、社会すべてが豊かになったわけではなく、特に明治時代には貧しい農村地域で農民一揆が発生した。海外や北海道移住を選択せざるをえなかった人も多くいたのである。

日本国は、海外移住と同じかそれ以上に北海道移住を大きな優先課題と位置づけていた。帝政ロシアの樺太や蝦夷地 ...

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