前原 信一

(まえはら・しんいち)

沖縄テレビ放送(OTV)の元常務取締役。世界中の沖縄人への理解促進に貢献したことが認められ、ハワイ大学マノア校名誉人文学博士号を授与された。OTVのシリーズ番組「世界のウチナーンチュ」で、長年、レポーター、プロデューサー、番組のホスト役を務めた経験をもつ。


(2013年3月 更新) 

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世界のウチナーンチュ:精神の有り方 - 世界と郷里の沖縄人へのまなざし その3/3

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伝統音楽とともに沖縄移民の間で根強く受け継がれているものに「ウチナーグチ」があります。南米などのウチナーンチュ・コミュニティーでは今もウチナーグチがポルトガル語やスペイン語とともによく使われています。

私は20年前、ブラジルのフェーラという市場で会った沖縄二世の女性のことが今も強く印象に残っています。最初、日本語で話しかけたのですが、いっこうに通じません。私はポルトガル語ができないので困りました。仕方がないのでウチナーグチで話しかけたところ、なんとウチナーグチで答えたのでした。

ブラジル生まれで、沖縄に行ったことがない二世が流暢にウチナーグチを話すことには驚かされました。さらにそのウチナーグチは彼女の親の出身地である沖縄の北部のなまりも見事に入っていました。言葉の持つ力ですね。私はアルゼンチンやペルーでも同じような経験をしました。

南米でもペルーやアルゼンチンでは日系の7割が沖縄系ですね。つまり沖縄コミュニティーのなかでは日本語よりもウチナーグチが話されてきました。私の番組でもリマでベーカリーをしている諸美里安健(あんけん)さんという人が全部、ウチナーグチで話し続け ...

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世界のウチナーンチュ:精神の有り方 - 世界と郷里の沖縄人へのまなざし その2/3

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このように最初の沖縄移民は、他の日本人移民から見るとやっかいな存在でした。特にハワイではそうした見方は顕著だったかもしれません。なぜならハワイでは最初の沖縄移民が到着した1900年よりも早く、1885年には日本との移民契約が始まり、各地のプランテーションには、すでに日本人のコミュニティー社会が形成されていたからです。

そこへ日本語も満足に話せない、風俗、習慣も違う沖縄移民が入ったわけですから日本人社会のなかでは戸惑いもあったと思います。確かに日本で最も貧しい県の沖縄からハワイに渡航した人たちは、沖縄でも最下層の人たちで、貧しいが故に教育の機会も少なかったので日本語も満足ではなかったのです。

沖縄移民にとって、同胞たる日本人社会からの侮蔑にも満ちたまなざしは辛かったに違いないし、そうした偏見のなかで劣等感にもつながったかもしれません。ですからハワイの日系社会の中では「ナイチ」と「オキナワ」という二つの分け方でお互いを意識した時代が日系移民の歴史のなかにはあった訳です。

20年前にインタビューしたタイムズ・スーパーの創業者で二世のアルバート・照屋さんは ...

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世界のウチナーンチュ:精神の有り方 - 世界と郷里の沖縄人へのまなざし その1/3

2011年12月、沖縄テレビ放送の元ブロードキャスター、前原信一氏にハワイ大学マノア校名誉人文学博士号が授与されました。沖縄県民への授与は、今回が初めてとなりました。

前原氏は、これまで何度もハワイを訪れ、1987年から2004年にかけてドキュメンタリーシリーズ「世界のウチナーンチュ」の制作のため、ハワイ在住のウチナーンチュにインタビューを続けてきました。世界中の沖縄人への理解促進に貢献した前原氏の活動を称え、博士号が授与されました。

今回の滞在期間中、前原氏はホノルルマラソンに参加し、ハワイ大学では世界の沖縄人について講演をしました。そのスピーチの原文は、お読みいただくことができます。講演は日本語で行われましたが、マイケル・リンタロウ・マクダーモット氏が前原氏によるコメントを英訳しました。

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このたび、ハワイ大学マノア校より名誉人文学博士号を授与されました。私自身 ...

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