川井 龍介

(かわい・りゅうすけ)

ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。『大和コロニー「フロリダに日本を残した男たち」』(旬報社)、『「十九の春」を探して』、『122対0の青春』(共に講談社)など著書多数。日系2世の作家、ジョン・オカダ著『No-No Boy』の翻訳を旬報社より出版。『大和コロニー』は、「Yamato Colony: The Pioneers Who Brought Japan to Florida」として、University Press of Floridaより英語版が出版。

(2018年3月 更新)

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第35回 土地を寄付、将来公園になるという 

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。所有する森林にはさまざま鳥たちが集まってくると満足。アメリカでの植栽事業に意欲を燃やし、檜の苗木を5千本植え、パイナップルの苗は、広い土地にひとりで這いずるようにして植えていったという。地元の郡へ土地を寄付し、それが公園化されることになると報告。一方、日本の故郷にも同様の申し出をしたがなにも返事はなかったと憤る。

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〈昨年5千本の檜を植えた〉

1972年3月1日

玲さん(姪)、お手紙、ありがとう。便りがないので案じていた。何か気に障った事をいったか、聞きたいと思った。

雑誌ガーデンライフ ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第34回 急速な開発、田舎に移りたい

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。回想はますます時を遡り、幼いころ宮津藩の飛脚だったという祖父が語ってくれた話を思い出し、伝える。一方、フロリダの開発は急速に進み、訪れる人はますます増え、まわりの住宅開発も盛ん。自然を好む身としてはもっと田舎へ移りたくなったという。

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〈私のお爺さんは飛脚だった〉

1973年1月×日

玲さん(義妹)、いまハラデー(ホリデー)シーズンで大多忙しだ。手紙、賀状をもらったので、お返しに何か送りたいが ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第33回 自分の墓は自分できめる

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。体の不調や痛みなどを訴えることが多くなった助次だが、日本に種子を注文するなど、畑仕事は断続的につづけている。一時は、なにも読む気力がないといっていたのが、読書欲がでたのか日本に本や雑誌を注文している。例年と違い1972年の誕生日には、だれも祝いに来てくれなかったという。

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〈ちょっとした事でもすぐ息切れして〉

1972年11月13日

玲さん、私は退屈で困って居る。左記の雑誌や本を至急送ってくれ。

「陽気」 毎月
「中心」 毎月
「恍惚の人」有吉佐和子著 ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第32回 とうとう一度も帰国しなかった

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。京都で天理教の活動をする義妹の生活を心配しながら見守っている。甘酸っぱくて苦みのあるフロリダのグレープフルーツのすばらしさを自慢。帰る帰るといいながら、これまで一度も日本に帰らなかった自分の人生を振り返っている。

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〈自然を共に生活している〉

1972年5月19日

美さん(義妹)、御手紙ありがとう。家の事に就いてあんたの気持ちはよくわかるが、教会となると莫大な費用を要する。私にはそんな余裕のない事は既にご承知の事だ。あんたが引退されてから、ささやかな隠居所を建てて上げたいと思った。

いまのところ、これ以上何も出来ぬ。私は別に変りはない。自然を友に日を送っている。親しかった友を亡くし寂しい ...

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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第31回 日本は戦争には負けたが……

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。1972年の1月、グアム島で確認された旧日本軍の軍人、横井庄一のことを知り思いを寄せる。アメリカのヒッピー文化について触れ、若い男性が髪を伸ばし女性のようになっているのに目を見張り、相変わらず日本から野菜の種を送ってもらい畑仕事に精を出す。

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〈注文していた柿の木が日本から届く〉   

1972年1月5日

美さん(義妹)、玲さん(姪)、

お手紙ありがとう。色々心配かけてすまぬ。この冬はまれな暖かさで夏のようだ。足の具合もずっとよく痛みも少し薄らいだ。胃潰瘍も全快、何でも食べられるようになった。

奈良 ...

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