川井 龍介

(かわい・りゅうすけ)

ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。『大和コロニー「フロリダに日本を残した男たち」』(旬報社)、『「十九の春」を探して』、『122対0の青春』(共に講談社)など著書多数。日系2世の作家、ジョン・オカダ著『No-No Boy』の翻訳を旬報社より出版。『大和コロニー』は、「Yamato Colony: The Pioneers Who Brought Japan to Florida」として、University Press of Floridaより英語版が出版。

(2018年3月 更新)

community ja

「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第29回 南部大西洋沿岸諸州の日系人

東海岸最初の集団移民?

「百年史」が、第二十五章で紹介する南部大西洋岸諸州とは、ジョージア州とノースカロライナ州、サウスカロライナ州の三州だ。

統計ではジョージア州の日本人人口は1900年に1人、1910年に9人、以下10年ごとに32人、31人、128人で、1960年には885人となっている。この統計より前に、この州に最初に足を踏み入れた日本人について「東海岸最初の集団移民」として、次のような“伝説”がある。

「~1880年代ごろ、フランク・エーケンと呼ぶ英国系人がサバナ港を根城に東洋と貿易し、主に上海との間を往復するうち、それまで使用した黒人奴隷が解放された後の労働者補充に、日本の高知県から二十余名を連れ来りブランズウヰク郊外で米作に従事したことがあり ...

続きを読む

community ja

「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第28回 中部大西洋岸諸州とペンシルベニア州の日系人

「百年史」は、第二十三章で「中部大西洋岸諸州」として、「コロンビア区(華府)、メリーランド、デラウェア、ヴァジニア、西ヴァジニア」の日系人社会についてまとめている。といっても、これらのなかで記述の中心は首都ワシントンD.C.の日本人、日系人についてだ。ほかの州の日系人についてはほとんど触れらていないに等しい。

コロンビア区というのはワシントンD.C.のことで、ワシントン府とも書き、漢字では華府と表記している。

華府については、古く1860年5月に遣米使節団として新見豊前守正興ら一行が ...

続きを読む

community ja

「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第27回 ニュージャージー州とニューイングランド諸州の日系人

「百年史」のなかの第二十一章「ニュージャージー州」と第二十二章「ニューイングランド諸州」の日系人について合わせて紹介したい。

ニュージャージー州については、日系人の足跡として、二つの点についてまとめている。一つは、初期の日本人についてで、それはカジノで有名なアトランティック・シティにおける日本人の歴史である。


アトランティック・シティーでの賑わい

1892年に神戸で商売をしていたあるアメリカ人が、日本人数人と共に、日本美術品細工実演、即売の隊商を組んで全米を巡回したのちにアトランティック・シティーに来て解散し、そのまま居ついたという。その後日本雑貨店を開いたりした。

また、ニューヨークでも活躍した「博覧会屋 ...

続きを読む

community ja

「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第26回 ニューヨーク州の日系人

アメリカの中部、東部、南部の諸州の日系人について、「百年史」が割いているページ数は一部を除いて少ないが、大都市ニューヨーク市を抱えるニューヨーク州は別格で、広告を含めて50ページにわたりその足跡、活動をまとめている。

経済の中心でもあり、銀行、商社、運輸、証券、飲食など日系の企業やお店の広告もふんだんに載せている。少し紹介すると、「味の素」、「伊藤忠アメリカ会社」、「三井商船株式会社」、「日本料理さいとう」、「高島屋」などだ。

ニューヨーク州の日系人の人口は国勢調査だけをみても、1900年に350人、1910年には1247人、さらに1920年には2686人と増えている ...

続きを読む

community ja

「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第25回 東北中央部諸州の日系人

「百年史」では、第十九章として五大湖周辺のオハイオ州、インディアナ州、ミシガン州、ウィスコンシン州の4州のなかの日本人、日系人の足跡、活動についてまとめて紹介している。本書ではオハヨー州、ミチガン州と表記されているが、ここではオハイオ、ミシガンとする。

4州まとめて約10ぺージなのでかなり少ないが、そのうち6ページをオハイオ州が占めている。

オハイオ州のなかではクリーブランド市、ついでシンシナチ市に少数の日系人が居住している。そのほどんとが会社や工場への勤務で、農業はほとんど見当たらない。

日系人の人口をみると、1900年には27人だったのが徐々に増え続け、戦争開始直前の1940年には一旦減るが、戦後は急増し1960年には3300人以上となっている。 

クリーブランドでの日系人をみると、1904年にセントルイスの万国博覧会で日本の出品物を販売したのがもっとも古いという。このうちお茶の商いをしてのちに美術展を営んだという伊藤某という人物がいた ...

続きを読む