川井 龍介

(かわい・りゅうすけ)

ジャーナリスト。慶應大学法学部卒。毎日新聞記者などを経て独立、ノンフィクションを中心に執筆。『大和コロニー「フロリダに日本を残した男たち」』(旬報社)、『「十九の春」を探して』、『122対0の青春』(共に講談社)など著書多数。日系2世の作家、ジョン・オカダ著『No-No Boy』の翻訳を旬報社より出版。『大和コロニー』は、「Yamato Colony: The Pioneers Who Brought Japan to Florida」として、University Press of Floridaより英語版が出版。

(2018年3月 更新)

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「ノーノー・ボーイ」の世界を探る

第2回 再発見された“我々の文学”

アイデンティティの問題などを鋭く問うジョン・オカダの小説「ノーノー・ボーイ」は、1957年に出版されたのち、世間の注目を浴びることなくほぼ忘れ去られてしまった。それが70年代に入り見直されることになる。

そのいきさつについて触れる前に、昨今のアメリカをはじめ世界各地での移民や民族間、国家・文化間に生じている摩擦や問題からみて、「ノーノー・ボーイ」を考察する意味をひとこと触れておきたい。


いま、なぜ「ノーノー・ボーイ」なのか

大統領選がはじまったアメリカでは共和党の大統領候補、ドナルド・トランプ氏らがイスラム教徒への偏見、差別を助長しかねない言動に出ている。これに関連して戦時中の日系人の隔離政策を是認する発言をし ...

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「ノーノー・ボーイ」の世界を探る

第1回 「ノーノー・ボーイ」とは何か

太平洋戦争を挟みアメリカで生きた日系アメリカ人二世、ジョン・オカダ(John Okada)が残した小説「ノーノー・ボーイ(No-No Boy)」。1971年に47歳で亡くなった彼の唯一の作品は、戦争を経験した日系アメリカ人ならではの視点でアイデンティティをはじめ家族や国家・民族と個人の在り方などさまざまなテーマを問う。いまも読み継がれるこの小説の世界を探りながらその魅力と意義を探っていく。

小説「ノーノー・ボーイ」が出版されたのは1957年、アメリカと東京に本部を置くチャールズ・イー・タトル出版から出された。1948年に設立された同社の創立者チャールズ・イー・タトルは、戦後連合国総司令官ダグラス ...

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「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第31回(最終回) 南部沿岸諸州の日系人

アメリカへの移民1世の足跡をまとめた「米國日系人百年史」を、北部加州(北部カリフォルニア州)からほぼ州別に読み直してきたこのシリーズもいよいよ最終回を迎えた。百年史、第二十七章は「南部沿岸諸州」で、ルイジアナ州、ミシシッピー州、そしてアラバマ州のことを指している。


港町ニューオリンズを中心に

統計によれば、ルイジアナ州の日系人の人口は、1900年に17人、以後10年ごとに31人、57人、52人、46人となり、戦後の1950年に127人、60年に519人となっている。

ルイジアナで港町として栄えるニューオリンズには、1884年に万国博覧会が開かれたとき ...

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「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第30回 フロリダ州の日系人

アメリカの南東部、メキシコ湾と大西洋に挟まれ、カリブ海に突き出たフロリダ州は日本からもっとも遠い州の一つだが、日本人の足跡は意外に多く、「百年史」でもおよそ10ページにわたって紹介している。まず、概要としてこうある。

「一八九六年にフロリダ・イーストコースト鉄道が、ジャクソンビルからマイアミに貫通して以後に日本人が移住したのであった。その頃この州はスワンプばかりで交通運輸の便は極めて悪かった。従って人口も希薄であったが、右鉄道の開通で、事業家と冬季には金持ちの避寒客が殺到し一躍有名になった」

フロリダ州の日本人は、統計によれば、1900年はわずか一人。1910年が50人、1920年が106人、1930年が153人、1940年が154人、1950年が238人と徐々に増え、1960年には1315人と急増する。


大和コロニーという入植事業 ...

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「米國日系人百年史」を読み直す~パイオニアたちの記録をたどって

第29回 南部大西洋沿岸諸州の日系人

東海岸最初の集団移民?

「百年史」が、第二十五章で紹介する南部大西洋岸諸州とは、ジョージア州とノースカロライナ州、サウスカロライナ州の三州だ。

統計ではジョージア州の日本人人口は1900年に1人、1910年に9人、以下10年ごとに32人、31人、128人で、1960年には885人となっている。この統計より前に、この州に最初に足を踏み入れた日本人について「東海岸最初の集団移民」として、次のような“伝説”がある。

「~1880年代ごろ、フランク・エーケンと呼ぶ英国系人がサバナ港を根城に東洋と貿易し、主に上海との間を往復するうち、それまで使用した黒人奴隷が解放された後の労働者補充に、日本の高知県から二十余名を連れ来りブランズウヰク郊外で米作に従事したことがあり ...

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