私は、子供の頃から自分の名前が嫌いでした。「エイミー」に変えたいと思っていました。エイミーなら可愛いし、白人みたいだし、私はその両方になりたかったのです。友達もバービーもみんな白人で、私もお揃いがよかったのです。当時7歳だった私の、うずうずするような気持ちが思い出されます。私は、全身全霊をかけ、名前が変わるよう祈りました。両親に私の考えを打ち明けた時、2人が笑ったのは当然のことでした。
私は、4人兄弟の3番目として、1960年代、ニュージャージー郊外に生まれました。近くにアジア系の家族はいませんでした。両親は、2人の姉と同じように私に日本名をつけました。父は科学者らしく、系統だったやり方を考え、子供たちに名前をつけていきました。父は、紙にひらがなを全て書き出し、切ってバラバラにし、母と一緒に気に入った名前が見つかるまでランダムに文字を組み合わせていきました。
両親は、待望の息子をケンイチと名づけました。弟は、ずっと「ケン」で通っていました。弟にはアメリカ風の名前がつけられたことを、私は苦々しく思ったのです!ケンが小学4年生のある日、美術クラスで作ったシルエットの肖像画を持ち帰りました。ケンは母に、美術教師が絵の下に太字で「ケネス」と書かせようとしたけれど、拒んだと報告していました。弟の先生は、ケンをケネスの愛称と勘違いしたのです。私は、弟の先生がどんなに激怒していたかを聞き、…