ディスカバー・ニッケイ

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新舛 育雄

(しんます・いくお)

@IkuoShinmasu

山口県上関町出身。1974年に神戸所在の帝国酸素株式会社(現在の日本エア・リキード合同会社)に入社し、2015年定年退職。その後、日本大学通信教育部の史学専攻で祖父のシアトル移民について研究。卒業論文の一部を日英両言語で北米報知とディスカバーニッケイで「新舛與右衛門― 祖父が生きたシアトル」として連載した。神奈川県逗子市に妻、長男と暮らす。

(2021年8月 更新)


この執筆者によるストーリー

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第10回(その3)『北米時事』の歴史 — 女性社員の投稿と5000号記念

2022年11月23日 • 新舛 育雄

前回は『北米時事』の寄稿者の様子と社員についての記事を紹介したが今回は女性社員の投稿記事と5000号記念及び購読料の値上げ記事についてお伝えしたい。 女性社員の投稿記事 高谷しか子「新聞と記者と読者と寄稿者」(1918年3月29日号) 「私は新聞社の努力を促したいと共に一般の同胞にも希望致したい事がある。新聞経営者がたとえ貢献的精神のものであっても機械に油がきれては廻せないから如何に聖職である教師も御飯を食べずに生徒の前に立てない。されば少なくとも同胞に貢献す…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第10回(その2)『北米時事』の歴史 — 広がる寄稿者の輪と社員の様子

2022年11月16日 • 新舛 育雄

前回は『北米時事』の創刊時の様子についてお伝えしたが、今回は広がる寄稿者の輪と社員の様子についての記事を紹介したい。  広がる寄稿者の輪 『北米時事』が有馬家が受け継いだ後も、創業メンバーや初期の主筆らは、同紙と深くかかわっていたようだ。また、元社員の多くが、その後も各地から記事を寄稿していた。  「北米時事社 名簿」1918年1月1日号、1919年1月1日号 1918年1月1日号及び1919年1月1日号に当時の北米時事社社員名一覧がある。こ…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第10回(その1) 『北米時事』の歴史 — 創刊時の様子

2022年11月9日 • 新舛 育雄

前回は日本人ホテル業の発展についてお伝えしたが、今回はシアトル日本人コミュニティを支えた邦字新聞について、とくに『北米報知』の前身にあたる『北米時事』の創刊時の様子についてお伝えしたい。  邦字新聞の誕生 20世紀に入ると、シアトル日本人コミュニティの発展と共に多くの邦字新聞が誕生した。北米時事は、歯科医だった隅元清(くまもと・きよし)、平出商店創業者の平出倉之助(第4回「シアトルで活躍した人達」平出亀太郎 参照)、矢田貝柔二、山本一郎の4名が出資、…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第9回(後編) 日本人ホテル業の発展

2022年9月8日 • 新舛 育雄

第9回(前編)を読む >> 日本人ホテル業への苦言 このような発展の中で、『北米時事』にはホテル業の発展を讃える記事と同時に、高いホテル代やホテル売買の行き過ぎに苦言を呈する記事も多く見られた。  「日本人ホテル業跋扈(ばっこ)は将来の禍根とならむ (一)」(1918年10月16日号) 「日本人経営のホテル業は目下約250軒ある。海岸通りから第7街にかけて百余軒のホテルは日本人が経営している。南部シアトルの主なる労働者相手のホテルは殆んど日本人経営…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第9回(前編) 日本人ホテル業の発展

2022年9月7日 • 新舛 育雄

前回は1917年以降のシアトルの日本人理髪業発展に関する記事について紹介した。今回はシアトル日本人ホテル業の発展について2回に分けてお伝えしたい。 日本人ホテル業発展の歴史 シアトルの日本人ホテル業は、第2回でお伝えしたように1896年に森田万次郎によってはじめられたものが最初だ。1900年以降、シアトルの人口増加に伴って続々と日本人経営のホテルも誕生していった。日本人ホテル業組合議長だった沖山栄繁(えいはん)は、1919年1月1日号の新年特別版で日本人ホテル業発展の歴…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第8回(後編) 日本人理髪業の発展

2022年8月16日 • 新舛 育雄

前回は日本人理髪業発展についての前編として日本人理髪号組合や料金値上げの記事について紹介したが、今回後編として、シアトル総ストライキ、1939年頃に理髪業を目指す二世達の記事などを紹介したい。 シアトル総ストライキ  「日本人関係」(1919年2月4日号) 1919年2月、シアトル造船職工約2万5000人のストライキに同情して、シアトル全域にあった百数十の各労働同盟が総ストライキを決行するという事件があった。その際、日本人社会へどのような影響を及ぼすことになるか、北米…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第8回(前編)日本人理髪業の発展

2022年8月15日 • 新舛 育雄

前回はシアトル発展に多大の貢献をしたシアトル航路についてお伝えした。第8回では1918年以降のシアトルの日本人理髪業発展について、シアトル日本人理髪業組合に関する記事や1939年頃に理髪業を目指す二世達の記事などを2回に分けて取り上げる。 シアトル日本人理髪業 シアトルでは、日本人経営の理髪業が1910年以降に大きく発展した1。1916年にはシアトルには日本人経営の理髪店が76軒あった。一方同年のシアトル市全体の白人経営の理髪店は325軒。白人経営の理髪店からは、日本人…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第7回 シアトル航路の発展

2022年7月15日 • 新舛 育雄

前回はシアトル航路の創設の経緯と1918年頃のシアトル航路と大陸横断鉄道に関する記事について紹介した。今回は1919年以降のシアトル航路の発展の様子についてお伝えしたい。  最短の世界航路 「日米航路と欧州航路」(1919年3月8日号) 「日本ではやれ視察、やれ漫遊と休戦後の欧米旅行が大流行である。(中略)横浜からパリに行くにはシアトル航路と欧州航路(横浜―インド洋―パリ)の二つがある。シアトル航路、大陸横断鉄道経由(シアトル―シカゴ)の一等で乗り継いで…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第6回 シアトル航路の貢献

2022年7月1日 • 新舛 育雄

前回は領事に対する期待に関する記事について紹介した。今回はシアトル航路開設の経緯と1918年頃のシアトル航路と大陸横断鉄道に関する記事ついてお伝えしたい。 シアトル航路開設 シアトルと横浜をつなぐ日本郵船のシアトル航路は、1896年に開始。これを機に、シアトルの日系移民が急増していった。 日本郵船シアトル出張所副長の中瀬精一氏がシアトル航路開設につき、1920年1月1日号で当時の様子を次のように語っている。  「沙(シアトル)市と郵船会社」(1920年…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第5回 領事への期待

2022年5月6日 • 新舛 育雄

前回は1919年の『北米時事』の記事「一日一人人いろいろ」で紹介されたシアトルの日系社会で活躍した人達について紹介した。今回は、1901年に設置されたシアトル領事館に派遣された数人の領事について紹介する。 * * * * * シアトル在留日本人の支えとなったのが、領事の存在だった。第1回で1901年にシアトルに領事館が設置されたことをお伝えしたが、それ以降1941年までに13人の領事(領事代理等除く)が日本政府からシアトルに派遣された。シアトル領事館はワシントン州、モン…

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