ディスカバー・ニッケイ

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堀切 徹

(ほりきり・とおる)


1929年、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。1931年、反日運動が盛んになる中、子どもの将来を心配した父が、家族全員で日本へ帰国すること決意。生後18ヶ月にして、日本へ渡る。1952年18歳の時、アメリカへ帰国。以来アメリカで生活を送る。現在はカリフォルニア州ローズミード在住。

(2014年5月 更新) 


この執筆者によるストーリー

一世たちの野球

2014年7月28日 • 堀切 徹

日本人の野球好きは衆知の事だが、若き頃の一世たちはどうであったろうか。日系野球創生の頃を探ってみたい。 LAに日系野球チームが誕生したのは1904年(明治37年)。当時タイムス・ビルに同居していた羅府新報社の南加野球チームがそれで、メンバーには主筆の斉藤紅丹、藤田東洋、佐藤、原瀬、雑賀が名をつらね、翌5年には一世球史に輝くスタープレーヤーの吉瀬権(都城町)、税所篤義(都城・早稲田・スタンフォード中退)、鈴木喜一(鬼亭・千葉県・早稲田)の3人が参加した。球場は旧サンタフェー…

朝鮮戦争を戦った帰米二世

2014年6月16日 • 堀切 徹

朝鮮戦争に従軍した日系兵士は意外と多く、第100大隊、422部隊、MISの先輩に続けとばかり勇敢に戦い、246名もの尊い命を祖国に捧げた。この中に第2次大戦を日本で経験し、戦後米国に戻ってきた帰米二世達がいる。 その1人、鹿児島の万世町で幼少期を過ごした阿久根四郎氏に、スポットを当ててみたい。 1930年8月2日、万世村小湊出身の阿久根一郎・ユキエ夫妻の四男としてターラック市で生まれ、3才のおり家族と両親の故郷に渡る。終戦の年の4月、三田尻にあった海軍通信学校に入学。…

八島太郎さんの桜島

2014年5月26日 • 堀切 徹

桜島の油絵を土産に貰い、その額縁を注文に行った店先で八島太郎さんに初めてお目にかかった。東京オリンピックの頃で、それからは中学20期先輩のお宅を訪ねたり、食事だ、一杯だの骨董屋冷やかしまでした嬉しい歳月が続くことになる。 暮れなづむとき 桜島(やま)ひときわやさしく これは1日に7色変わる桜島、その春夏秋冬を滋養にしてきた八島さんの色紙、桜島の絵に添えられた句である。 二人きりのときの鹿児島語(弁)を交えた茶目ぶりの大サービスは、それこそ桜島ではないが凡庸な後…

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