日比野 祥子

(ひびの・しょうこ)

1983年滋賀県生まれ。2009年4月から青年海外協力隊員としてボリビア共和国ベ二県リベラルタ市にて活動中。赴任後、ここリベラルタ市が約百数十年前に日本人が初めに移り住んだ地と知る。かつては600人を超える日本人が滞在していたにも関わらず、現在では日本文化の継承が稀薄である事に興味を持ち、移住者の方々へ話を聞いて廻る。その間、数少ない資料を通し、リベラルタ発展の歴史と日系人の貢献について学ぶ。

(2010年12月 更新)

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アンデスを超えたニッポン人

リベラルタのニッポン人 (4) -麻生 直衡-

43歳。沖縄県出身。

那覇市在住の頃、友人であるペルー出身の日系家族と共にボランティアグループに参加していたときに、偶然何かで「リベラルタの沖縄出身日系人が、沖縄のことをしりたがっている。」という記事を見た。

それなら自分も役にたてるかもしれないと思った。

これがリベラルタを知るきっかけだった。

* * *

ボランティア活動を通して知り合ったボリビア人が帰国したのを機に、自身もボリビアを初めて訪れた。

その後、日本語教育の勉強をしたのち、2004年から2006年にかけて、日系社会青年ボランティアとしてラパス日本語学校の日本語教師となった。ラパスでの2年間が初めての教師経験だった。この間、初めてボリビア北部のリベラルタを訪れる機会があった。

2年間のボランティア活動のあと、荷物をボリビアに置いたまま、日本へ一時帰国した。

ボリビアに戻ったあと、サンタクルス日本語学校で7ヶ月間働いた。その後 ...

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アンデスを超えたニッポン人

リベラルタのニッポン人 (3) -義元 徳憲-

73歳。沖縄県出身。

1961年リベラルタに入る。当時23歳。
日本から船に乗りブラジルへ。そこから汽車でボリビアサンタクルスへ。
ちょうどボリビア独立記念日と重なり、2週間サンタクルスに滞在の後リベラルタへ。
父、母、妹の4人で入った。当時は思っていたのとあまりに違ったのでとても悔しかった。

ゴム景気によって沢山の外国人がやってきた。日本人も例外ではなくその頃5000人程の日系人がおり、一番多いころで日本人は600人いた。1980年頃からはゴム景気も下降し、入ってくる外国人も減ってきた。

リベラルタには「沖縄支部」と「鹿児島支部」の日本人会があった。

1985年頃、日本からリベラルタ日本人人口調査団が来た。

日本では歯科技工士をしていた ...

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アンデスを超えたニッポン人

リベラルタのニッポン人 (2) -義元 富子-

70歳。沖縄県出身。

1961年、叔母の呼び寄せによりリベラルタに入る。(叔母の夫はペルー下り。この時、既に他界しており、叔母は一人でリベラルタに居た。)
父、母、兄、本人の4人。
当時20歳。

飛行機でリベラルタへ。
空港に着くなり、歩いても、歩いても街が見えてこない。

白いワンピースが汚れ、ハイヒールが泥だらけになったころ、「Plaza(広場)はどこですか」と尋ねたところ「今あなたが居る場所がPlaza(広場 ...

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アンデスを超えたニッポン人

リベラルタのニッポン人 (1) -近野 房江-

ボリビアのリベラルタ移民について調べるにつれ、リベラルタにかけられた希望やそれを叶える為の途方もない苦労が、涙ながらにお話を聞かせて下さった一世の方々からも窺えました。上手く文章に出来なかったのがもどかしいですが、リベラルタ移民が残した辛苦の足跡が紛れも無くボリビア日本人移住の歴史の道に繋がっている事をより多くの方に知って頂ければ幸いです。

* * *

84歳。熊本県出身。

1936年、祖父の呼び寄せによりリベラルタへ。
父(一男)、母(ハツヨ)、姉、フサエさんを含め4人姉妹で入る。当時9歳。

ブラジルで6ヶ月を過ごし、列車でカチュエラエスペランサへ。
そこから船でリベラルタにはいる。ブラジル滞在中マラリアにかかるが一命は取り留める。
牧場の経営が出来ると聞いて来たのに、騙されたと思った。

着いた当時、「街はどこか」と尋ねたら ...

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この筆者が寄稿しているシリーズ