ハワイ報知

(Hawaii Hochi)

1912年に創設され、ハワイを中心に週6日間、日英両言語による新聞を発行している新聞社。

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フレッド牧野金三郎氏の伝記 -ハワイ報知社を通じて社会に貢献- ~その5

>>その4

牧野のもう一つの面

牧野金三郎の仕事をたどると、牧野の持っていた強い性格だけが浮き彫りにされてくるが、彼は反面、非常な「情」の持ち主でもあった。今、その2、3の例話を書いておこう。

古いところでは、1909年のストの余波で、牧野は他の3人とともに数ヶ月、オアフ刑務所で過ごしたが、その時、同情者が多くあり、毎日、朝、昼、晩と食べ切れぬほど差し入れがあり、他の服役者にも分け与えたほどだった。牧野婦人も勿論、好みの食べ物を作って自ら届けたのだが、食べ物は受け取るが面会はできなかった ...

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フレッド牧野金三郎氏の伝記 -ハワイ報知社を通じて社会に貢献- ~その4

>>その3

戦争中と戦後の牧野とその死

真珠湾に対する日本軍の攻撃が始まると、数百人の日本人、一部の日系人が危険な適正外国人として逮捕され、やがて米大陸の収容所へ送られた。

その中に、牧野金三郎は含まれていなかった。多くの人々には、大変奇異なことと思われた。しかし、FBIにより数次の尋問を受けたが、牧野を逮捕する理由は発見されなかったと伝えられている。

牧野は、戦争の始まる前までは、ハワイの支配勢力に対する、ほとんど唯一の抵抗者であり、鋭く厳しい批判者だった。しかし前記の通り、それは理由あってのことだった。牧野は無法者ではなかったし、無下に反抗したのでもなかった。また、無差別な日本主義者ではなかった。その主張 ...

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フレッド牧野金三郎氏の伝記 -ハワイ報知社を通じて社会に貢献- ~その3

>>その2

「報知」を通じての牧野の貢献

1938年8月、矢野涼花は次のように書いている。

「布哇報知は常に在留同胞の味方となり、財閥と権力も眼中になく、如何なる難局や至艱(しかん)の問題に対しても、敢然として思ふまゝの意見を吐露(とろ)し、一歩も譲りしことなきは、牧野社長平生(へいぜい)の主義主張であつて、一時は社会から誤解を受うくることもあるも、断々乎(こ)として理想に向かって邁進し、遂(つい)には世人をして之を推服せしむるのであるが、之が即ち牧野氏の主義であり ...

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フレッド牧野金三郎氏の伝記 -ハワイ報知社を通じて社会に貢献- ~その2

>>その1

「ハワイ報知」創刊

1907年のストで、ホノルルの邦字紙界では大きな変化が起こり、それまで「布哇新報」、「布哇日日新聞」、「日布時事」という順位がひっくり返って、「日布時事」がトップに立ち、「新報」、「日日」と続く形になった。

これはスト前後を通じて、「日布」は労働者側を支持し、「新報」「日日」はスト反対の立場で妨害工作をしたため、大衆人気が「日布」に傾いたためだった。

ところが ...

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フレッド牧野金三郎氏の伝記 -ハワイ報知社を通じて社会に貢献- ~その1

生い立ち

牧野フレッド金三郎は1877年8月28日横浜に生まれた。父は英国マンチェスター生まれの貿易商、ジョセフ・ヒギンボサム(Joseph Higgenbotham)、母は原籍、神奈川県足柄郡上足柄二の平の牧野キン。父は、1881年9月死去、金三郎が4歳になったばかりの時だった。

混血児の問題は現在でも多くの問題を残しているが、1880年代の日本で、牧野のような日英混血児が生きていくことは決して容易な事ではなかった。幸いにして、母キンの温かい愛情と、横浜という国際都市で生活したことで、牧野は順調な成長を続けることができた。学歴のことは不明だが、一応、日英両語が、読み、書き、話せる程度のことは身につけた ...

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