福田 恵子

(ふくだ・けいこ)

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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日系人の歴史を伝えるノンジャパニーズ: 全米日系人博物館でドーセントを務めるネーハン・グルックさん - その1 同じアメリカ人なのになぜ?という思い

私自身は日本生まれの新一世だ。渡米して17年が経ち、その間、さまざまな日系人の方々に取材をしてきた。リトルトーキョーにある全米日系人博物館にも、旧東本願寺の建物を使用した旧館時代からたびたび訪れる機会があった。

この17年間の経験を通して、私たちが何の問題もなくアメリカで暮らすことができる基盤を築いてくれた日系人の先達への敬意は揺るぎないものとなっている。しかし、それは知ることがなければ育まれなかった気持ちである。人は知ることなくしては、感謝することはできない。

何が言いたいのかと言うと、短期間アメリカに赴任してくる日本からの駐在員はもちろん、永住している人の中にも、戦時中に日系アメリカ人が強制収容 所に送られていたことを知る人があまりにも少ないということだ。その歴史の事実を知らなければ、義憤も、また感謝さえも感じることはない。

全米日系人博物館でドーセント(ガイド)のボランティアを務めるネーハン・グルックさんは、ドイツ系アメリカ人だ ...

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帰米二世に嫁入りした日本人女性の記録: カリフォルニア州モンテベロ在住の加藤雅子さん - その3 穏やかな引退生活、今は孫がレストランの道へ

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戦後、リトルトーキョーで盛業していたダルマ・カフェの子息、加藤光男さんに日本からお嫁入りした雅子さん。しかし、渡米5年後には、巨額の改修費用をかけたにもかかわらず、再開発地区に指定されていたため、建物を追い出される羽目になる。

そして、自宅のあるモンテベロで日本食レストランを開業するが、日本の両親が娘のアメリカでの生活を見に来ることになり、当時、困窮していた暮らしぶりを知られないようにとその店も2年で閉めてしまった。

店を閉めると同時に、幸運なことに、光男さんはユナイテッド航空の機内食を作っていた会社に採用された。友人から声がかかったのである。

「まだ(国内線でも)機内食を出していた頃で、とにかくその会社は人手が足りなくて,友達に『ミツ ...

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帰米二世に嫁入りした日本人女性の記録: カリフォルニア州モンテベロ在住の加藤雅子さん - その2 夢のような新生活から一転、苦難の道へ

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山野愛子さんの家でお見合いをした雅子さんと、加藤光男さんは、その1週間後には式を挙げていた。結婚式のアルバムからは、当時にすれば桁外れに豪華だったに違いない様子が伺える。

雅子さんの打ち掛けは斬新なレース製、かつらは従来の重いものとは違い網でできた新作だった。すべて山野愛子さんの作品である。さらに、花嫁のお化粧も、美容業界の大御所だった愛子さん自らが施したそうだ。

「日本にはまだモノクロの写真しかなかったのですが、光男がカラー写真のフィルムを入手してきて、屋外だったらカラーでも大丈夫だと皆で式場の屋上 に上がって撮影しました。それから1956年当時、日本の結婚式にはウェディングケーキなんてなかったのですが、これも愛子さんのアイデアで豪華なケーキ が登場しました」
花嫁の口にケーキを運ぶ花婿の写真からは、とても1週間前に初めて相手に会ったとは思えないほどの幸福感が伝わってくる。

挙式後は箱根と関西に新婚旅行に出かけた。そして、雅子さんの準備が整うとすぐに ...

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帰米二世に嫁入りした日本人女性の記録: カリフォルニア州モンテベロ在住の加藤雅子さん - その1 「大陸にお嫁に行く」と憧れた少女時代

一口に「日系アメリカ人」と言っても、さまざまな形がある。ずっとアメリカで生まれ育った日系人もいれば、アメリカ生まれながら日本で教育を受ける ために親と離れて日本で育った帰米の日系人もいる。日本生まれだが、アメリカで市民権を取得した1世としての日系アメリカ人もいれば、日系アメリカ人との 結婚で日系人社会の仲間入りをした日本人もいる。

今回、私が出会ったカリフォルニア州モンテベロ在住の加藤雅子さんは、日系1世の両親の間に生まれ、東京で育った女性である。彼女の父親が戦前に渡 米し、シアトルで過ごした後、日本から女性を呼んで結婚した。その後ニューヨークで長姉が生まれ、母親のお腹に次の姉がいる時に、母は病気の祖母の面倒を みるために、夫をアメリカに残して日本へ戻った。その後 ...

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渡米17年目の新一世が見た東京

アメリカに移住してきて17年目になる。その前は東京の出版社で働いていた。通勤手段は地獄のような満員電車である。「それでもボクはやっていな い」という日本映画があるが、あの映画のように、男性が痴漢に間違えられるのもあり得そうなほど満員電車の混雑ぶりは酷い。他人の濡れた傘が、自分の足に ぴったり張り付く雨の日は特に劣悪な車内環境である。

さて、そんな東京暮らしに別れを告げて、1992年3月にロサンゼルスに引っ越してきた。そうなると移動手段は当然、自動車。電車と違って自分だけ の空間が確保できる。至極、快適である。東京に戻りたくない理由、それは何かと言えば、その中の一つは確実に「満員電車」である ...

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