エレン・D・ウー

(Ellen D. Wu)

エレン・D・ウー氏は、中国系アメリカ人二世で、生粋のインディアナ住民(「フージャー」)です。UCLAでアジア系アメリカ人研究を専攻し、修士号を取得後、シカゴ大学で歴史学博士を修めました。ウー氏は、現在インディアナ大学ブルーミントン校で助教授として米国近代史およびアジア系アメリカ人史を研究する傍ら、教鞭をとっています。彼女さんの研究は、Chinese America: History and Perspectives, the Pacific Historical Review, the Journal of American Ethnic History, Gidra, Densho, the History News Network に掲載されています。また、ウー氏によるエイミー・チュア論争と「モデル・マイノリティ」神話に関する論評がロサンゼルス・タイムズ紙で発表されている他、1930年代から60年代の「モデル・マイノリティ」ステレオタイプの台頭について論じた、初の完全版歴史研究書「The Color of Success: Asian Americans and the Origins of the Model Minority (プリンストン大学出版局 2014年)」が出版されています。Twitter: @ellendwu.

(2014年2月 更新)

community en ja es

日系ズートスーターの忘れられた物語 ~ その2

その1を読む >>

WRAは、再定住見込みのある収容者の中から、ヨゴレを排除にすることに余念ありませんでした。収容所からの解放を望む者は、連邦当局に対し、公の場では英語のみを話し、日系人との集団での接触を避け、主流かつ標準的行動と服装を順守することを誓わなければなりませんでした。

シカゴに再定住した者たちは、到着後すぐ、政府の示す同化指示の厳格性を試しました。WRAの方針に厳格に従う者も居ましたが、新しくなじみの無い土地で、より現実的なアプローチをする者もいました。人恋しくなった二世は、互いに交流するようになりました。また、シカゴでの人種の順位付けを単に把握していないという理由から、多くは白人との交流に消極的でした。人種差別は彼らの不安を煽り、住居や雇用の確保を妨げ、ダンスホールや病院、墓地といった公的施設からも遠ざけました。

不確かな現在を生き ...

続きを読む

community en ja es

日系ズートスーターの忘れられた物語 ~ その1

スス・カミナカは、ズートスーター1でした。1940年代アメリカの多くの若者がそうであったように、派手なファッションと粗野な振る舞いに象徴される、都会の労働者階級独特の美意識を備えていました。先端を行く若者たちは、これ見よがしにオールバックやリーゼントに髪を整え、肩幅が広く、丈の長いフィンガーチップコートをまとい、裾の細いペグパンツを履き、つば広の帽子と懐中時計で「ドレープ」スタイルを仕上げました。彼らはパーティも大好きでした。ジャズ、ジルバ、リンディホップ(1930年代に流行した米国のダンス)、飲酒、カジュアルセックス、そして「クール ...

続きを読む