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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その4/5

>>その3

3. 比良男女青年会機関誌『若人』

1943年2月に忠誠登録が実施されると、青年会の活動は難しくなった。会員の大多数は合衆国への忠誠を拒否し、隔離収容所への移動または日本への送還を希望した。したがって当局は青年会を危険分子の集団と見なし、役員を逮捕してユタ州モアブ抑留所へ送った。当局に反する目立つ言動はなかったにもかかわらず、会長の山城譲治はじめ幹部の土井静夫など10名が逮捕されて、青年会以外の人びとと合わせて50名ほどがモアブへ送られた。指導者を失った青年会が体制を建て直すには約2ヶ月を要したが、丸山郁雄が会長となって4月から再び活動を開始した。丸山は北海道出身の父を持ち、収容前はロサンゼルスで庭師をしていた24、5歳の帰米二世であった。

このようなわけで発足当時からの懸案であった機関誌の発行は大幅に遅れ、5月15日、ようやく『若人』第一号が発行された。戦争中で必要な紙にも事欠く時期であったが、やはりアメリカは物資の豊富な国で、質の良い紙ではなかったがともかく確保することができた。一号と二号は赤い紙で三号まですべて謄写版印刷である。鉄筆は、所内の新聞の日本語版『比良時報』で鉄筆を担当していた加屋良晴が引き受けた。印刷ができると、青年会のメンバーが集まって、楽しくおしゃべりしながら、すべて手作業で製本した。この機関誌は忠誠登録が終わった後、トゥーリレイク隔離収容所への移動が開始される1943年秋までほんの短い期間に発行されたものである。

『若人』創刊号の表紙には自由の女神像が描かれている。民主主義を標榜するアメリカ合衆国で、市民権を有しているにもかかわらず、当時もっとも非民主主義的な扱いを受けていた青年たちの創る機関誌が、自由の女神像を掲げたのは、皮肉な思いをこめたからである。自由の女神に象徴される合衆国はどこへいったのか。彼らは市民として、心からそう叫んでいたにちがいない。しかし青年たちが目指したのは、声高く合衆国を非難したり、暴力を用いて戦時転住局に反抗することではなかった。あくまでも穏やかに、収容所を精神修養の場と変えることで、この時期に自らを磨こうというのである。彼らの精神的指導者の役割を果たした一世のひとりに木村義文がいる。彼は開教使で、創刊号に「収容所か修養所か」という一文を載せた。木村は「心現在を要す事未だ来らざるに心邀ふるべからず事既に往けば心追ふべからず」という佐藤一斎のことばを引用して、過去を振り返って愚痴を言ったり、あてにならない未来を想像して取り越し苦労するなど愚かなことであると述べている。そして将来をあれこれと思いわずらうのではなく、現在を大切にして収容所を精神修養の場にしようと呼びかけている。木村の主張は、青年会の基本的姿勢を示すもので、会の指針となっていた。

創刊号の内容は、越智道順の人生訓「毒語寸経」に始まり、収容所での感想、短編小説、詩、短歌、俳句など雑多である。伊藤正の「感じたまゝ」、平野凡人の「所内結婚可否論」などは当時の若者が直面していた問題を論じたもので興味深い。伊藤は、財布を拾って届けた正直な日本女性が誉められて、「アメリカ人として当然のこととしたまで」と答えたことが新聞紙上で紹介された件を取り上げ、彼女に「人間として当然のこと」と言ってほしかったと述べている。アメリカ人であるのに日本人の血を持っているという理由で鉄柵のなかに囚われている作者は、アメリカ人か日本人かを選択するのではなく、人種にこだわらず人間として生きるのだと自分自身にも言い聞かせているように思われる。

第二号は6月20日に発行された。15日に発行の予定であったが、直前になって戦時転住局は、『「若人』を発行禁止処分にした。担当者が内容の詳細な翻訳を提出して充分に説明したのち、19日に許可がおりたが、発行は遅れてしまった。その上、検閲を通らず掲載できなかった作品もあったという。内容は前号よりさらに充実している。創刊号に掲載された木村義文の主張は、ここでも加久多須というペンネームの「現在を有意義に生きよ」と題した文のなかで次のように繰り返されている。「所内は社会の縮図である、求めやうとする志があればそこには道は色々開けてくる。このキャンプ生活は天から与えられた修養の時代だ……戦後の活躍に対する細心の準備を怠つてはならない」。このようないましめが繰り返されている背景には、人びとがいかにデマに惑わされ、疑心暗鬼で右往左往していたかがうかがえる。この号には、野口蒼平(伊藤正のペンネーム)の「母の日に」、戸嶋綾子の「慰問の記」、スミ子の「珍客」など、収容所内のできごとを描写した若い人の随筆が掲載されている。収容所の食堂で働いている主婦は、母の日に休みになって、代わりに若い娘たちが働くことになっていたらしいが、「母の日に」は、その日に14年前に別れた日本の母への想いを綴ったものである。「慰問の記」は、青年会の女性会員が所内の病院へ図書館の本を届けて患者を慰める様子を書いている。社会の役に立ちたいという若い女性のひたむきな気持ちがよく表れていて、このような人びとが青年会を支えていたのだと分かる。「珍客」は、アメリカに出稼ぎに行ったまま行方不明になっていた日本の女学校時代の親友の兄に、偶然収容所のなかで会うというできごとを、作者の日本時代の想い出とともに綴った作品である。探し求めていた兄がこの収容所にいることを、何とかして日本の親友に伝えたい。しかしそれを妨げている戦争という現実と作者のもどかしさが素直なことばで書かれている。

第二号の詩「追憶」は、ループからヒラへ投稿された作品である。作者はジョーヂとあるが、会長の山城譲治である可能性が高い。しかし山城はこの他に作品を書いていない。忠誠登録後に逮捕されてモアブ抑留所へ送られた幹部が、次に移されたのがループ抑留所であった。モアブも町はずれの巨大な岩山が果てしなく続く所にある施設で、幹部たちはそこへ到着したときは、見たこともない風景に、地の果てに来たかと絶望したという。しかしループはそこからさらに断崖絶壁を通って州境をこえたアリゾナ州の奥地であった。ループはかつて先住民インディアンの青少年を合衆国市民として教育するための収容施設で、青年会の幹部たちはしばらくここに収容されていた。この詩の内容も、ヒラと同じアリゾナであってもさらに辺境の地に送られた身の寂しさを嘆く内容であるが、逮捕、隔離されても文通などは自由だったようで、友達の温かい友情への感謝の気持ちがうたわれている。

いずれの号にも一世の作品は少ないが、第二号で「偶感」の癡風生の他、「土に学ぶ」の作者青木ヒサは一世、すでに山元麻子の名で随筆集『心のかげ』を出版していた。青木は1900年、山形市生まれ、日大高等師範部を卒業してホノルル、オークランドなどの日本語学校教師を歴任した。彼女は教師の傍らロサンゼルスの日本語新聞『加州毎日』の寄稿家でもあった。彼女の夫は開教使であったために、日米開戦の翌日、連邦捜査局に逮捕されて抑留所へ送られていた。彼女は収容所内で尊敬される存在であり、所内の新聞に記事を書くようにと頼まれたりしたが、流言蜚語が飛び交い嫉妬が渦巻く収容所では目立たないことがよいことだとして文筆関係の仕事はすべて断って、農園の仕事をしたという。第二号の随筆も、若者の作品ばかりで優れた作品がないことを案じた編集者が、すでに安定した評価を得ていた青木に原稿を依頼したと思われる。彼女が筆名を使わず、本名の青木ヒサで書いているのは山本麻子で或ることを知られたくないという理由からと推測される。

その5>>

* 篠田左多江・山本岩夫共編著 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。

© 1998 Fuji Shippan

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このシリーズについて

日系日本語雑誌の多くは、戦中・戦後の混乱期に失われ、後継者が日本語を理解できずに廃棄されてしまいました。このコラムでは、名前のみで実物が見つからなかったため幻の雑誌といわれた『收穫』をはじめ、日本語雑誌であるがゆえに、アメリカ側の記録から欠落してしまった収容所の雑誌、戦後移住者も加わった文芸 誌など、日系アメリカ文学雑誌集成に収められた雑誌の解題を紹介します。

これらすべての貴重な文芸雑誌は図書館などにまとめて収蔵されているものではなく、個人所有のものをたずね歩いて拝借したもので、多くの日系文芸人のご協力のもとに完成しました。

*篠田左多江・山本岩夫 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。

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執筆者について

東京家政大学人文学部教授。日本女子大学大学院修了。専門は、日系人の歴史・文学。おもな業績:共編著『日系アメリカ文学雑誌集成』、共著『南北アメリカの日系文化』(人文書院、2007)、共訳『日系人とグローバリゼーション』(人文書院、2006)、共訳『ユリ・コチヤマ回顧録』(彩流社、2010)ほか。

(2011年 2月更新)

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