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1995年渡米、サンディエゴで介護ホーム経営する磯聖子さん

30代後半での離婚が転機に

Ohana Care Homeのオーナー、聖子さん。

ロサンゼルスにあった介護施設、敬老の数年前の売却のニュースは大きな注目を集めた。日系人や日本人の引退者が終の住処として入居の申請をし、ウェイティングリストには大勢の名前が並んでいた。その人気の秘密は日本食が出され、施設内で日本文化に興じるクラスが開催され、何より日本語を話す入居者同士やスタッフとの交流があったからだ。この施設が米系不動産会社に売却された今、日本人の引退者は一体どこで老後を過ごせばいいのか、将来を重ね合わせて不安になっている人は少なくない。そんな時、サンディエゴで介護ホーム、Ohana Care Homeを経営している日本人女性、磯聖子さんのことを知った。彼女が一体どういう経緯で介護ホーム開設に至ったのか、オンラインで取材に応えてもらった。

聖子さんが最初に渡米したのは1995年、目的はサンディエゴへのコミュニティーカレッジへの留学だった。その後、4年制大学への編入を目指したが、学費不足で一旦、日本に帰国。「日産自動車で働くことになり、日本での生活も楽しく充実していました。それでもずっと『アメリカに戻って大学を卒業したい』という夢を諦められなかったので、30歳目前でまたサンディエゴにやってきました。親は『大学なんて行かなくていい。結婚して子どもを産んでほしい』と言っていましたが、それを振り切って(笑)、今度は絶対に卒業するという覚悟で渡米しました」。

その後、結婚して30代の後半で離婚した聖子さんに転機が訪れる。「これからの自分の生活はどうなるんだろうって考えたんです。日本に今更帰っても仕事はない。面倒を見てくれる子どももいないから、このままアメリカに残ったら、老後は施設に入ることになります。その時に、日本食が食べられる施設がいいな、と思ったことが理由の一つ。さらに大学でビジネスを専攻していた私は、日本食を出す日本人向けの施設にビジネスチャンスがあるんじゃないか、と考えたのです」。

早速、インターネットでビジネスコンサルタントにたどり着いた聖子さんは、介護施設の開設のノウハウについてアドバイスを求めた。さまざまなロケーションを検討したが、納得できる物件がなかったことから、最終的には自宅を施設向けに改造することにした。そして、自宅を介護ホームにするライセンスを取得し、自身も管理人としての資格を取得した。

「1階に4部屋あるので、そこを介護ホームとして利用し、私は2階で生活することにしました。次に求人広告を出してケアギバーを集め、トレーニングを施しました。今は24時間のシフト制で13人のケアギバーが働いています」。

入居者はその85%を日本人が占める一方、世話をするケアギバーは、日本人やフィリピン人など多様な人種で構成されている。


スタッフの成長がやりがい

介護ホーム経営で一番大変なことは何だったかと聞くと、聖子さんは「ケアギバーの入れ替わりが早くて、試行錯誤を重ねたことです。今は5年目ですが、4年くらいかけて良い人材を選び続けるのと並行して、会社のカルチャー作りにも努めました。それによってターンオーバーが減って、スタッフ同士の結束も固くなったと思います」と答えた。

現在は最初に開けた一軒家以外に、15名が入居できる2軒目の施設も開設。しかし、より効率的に運営するために一軒家は一時的に閉めて、今は2軒目の施設に入居者とケアギバーを集結させている。

施設内の様子。

次に介護ホーム経営で嬉しかったエピソードを聞くと、「2軒目を開けた時には、最初から一緒に働いてくれているスタッフが自宅から遠くなるからもう(2軒目では)働いてくれないかな、と思っていたんです。しかも、彼女は運転が苦手なんですね。それでも一緒に働いてくれると言ってくれた時は本当に嬉しかったです」と聖子さん。私が「意外にも入居者とのエピソードではないんですね」と言うと、聖子さんは「もちろん、おばあちゃんたちに『ありがとう』と言ってもらうと嬉しいです。この事業をやっていて良かったと生きがいを感じます。でも、スタッフの成長が私の喜びなんです。うちのケアギバーの多くが移民です。私と同じ外国人としてアメリカで暮らしていく苦悩やジレンマがよく理解できるし、彼らのことをサポートしたいと思っています」と話した。その話を聞いて、ある一流ホテルの支配人の「お客様を笑顔にするためには、そのお客様をおもてなしするスタッフを私が笑顔にしてあげなければならない。スタッフがハッピーでないと、ゲストもハッピーではない」と言う言葉を思い出した。

続いて、聖子さんの入居者への思いを聞いた。「何年アメリカに住んでいても、日本人として同じ気持ちを分かち合えると感じます。お世話に手が掛かっても、おばあちゃんたちは本当に可愛いです。15分置きにトイレに連れて行ってって言われて『さっき行ったばかりじゃないの』なんて応じることもありますけど(笑)、常に愛情を持って接しています」。

10年後のビジョンについては次のように答えてくれた。「介護だけに留まらず、他のビジネスも始めるかもしれませんし、移民してきてこの国で頑張っている若い人へのサポートも続けていけたらいいなと思っています。そして、将来的には日本に帰りたいですね。長くアメリカに住んで、逆に日本の良さが分かりました。半分アメリカ、半分は日本という生活ができたらいいですね」。

現在進行形でアメリカで頑張る若い移民と、アメリカで老後を過ごす日本人を含む高齢者の双方にとって重要な役割を担っている聖子さん。彼女のさらなる活躍と介護ホームの存続を願うばかりだ。


Ohana Care HomeのHP

 

© 2022 Keiko Fukuda

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