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米国で生きる日本人の選択

アメリカ市民として日本で生活する大内二三夫さん

米生活50年で再び日本へ

25歳でアメリカに渡った大内二三夫さんは、フロリダ大学の大学院で博士号取得後に化学会社のデュポンに入社。その後、ワシントン大学で長年教鞭を執った物質材料工学の専門家だ。2022年6月に材料工学科教授の職を最後に、同学を退職した大内さんが、次に住む場所として選んだのが長野県松本市だった。

「アメリカでは50年近く暮らし、楽しい思いもしたし、達成感も得られました。私は25年を一つの単位としてとらえています。最初の25年は日本で生活し、次の50年はアメリカ、さて次の25年をどうしようと考えた時に再び日本で暮らしてみたいと思いました。そして、できれば全く違ったことをやってみたいという思いに駆られ、バイオリンの製作を始めることにしました。

この決断に至ったのはコロナ禍が大きく関係しています。人との交流が絶たれていた間に、自分で再び新しい挑戦がしたいと考えました。私の家族には音楽家が多く、その中で私一人がサイエンティストなのです。ワイフと娘はピアニストで、娘の旦那も作曲家・バイオリニストで、孫はバイオリンをやっています。それで、私は孫娘のためにいつかバイオリンを作ってあげたいと思ったのです。バイオリン作りの経験は全くありません(笑)」。

日本に移住し、新しくバイオリン作りを退職後の人生を捧げたいと妻のすみよさんに言うと、「それでは(日本に)行きましょう」とすぐに受け入れてもらえた。そして、東京生まれの大内夫妻が選んだ移住地は松本、全くゆかりのない土地だった。

「新しい生活を始めるのに東京では意味がありません。仙台も良いところですが、長年東北大学でも教えているのでわざわざそこに住むこともないだろう、と。気候が良く、学問や芸術が盛んなところを探して松本が浮上してきたのです。大した理由はありません。インスピレーションです」。

アメリカの娘さんとお孫さんに見送られて、いざアメリカを出発。


日本の在留資格を取得

しかし、問題は、準備のためにコロナ禍が理由で日本と往復できないことだった。そこで松本には足を運ばずにインターネットで土地を購入し、建築家と建設会社とはオンラインで打ち合わせをしながら新居を建てた。もう一つ、アメリカ市民である大内夫妻は、日本に住むための在留資格を取得する必要があった。

「グリーンカード保持者が日本に引き揚げる場合は難しくないはずですが、自分の意志でアメリカ国籍を取得した私たちに二重国籍が認められません。ということは日本国籍喪失届を領事館に提出して削除する必要があります。この辺のことがよく説明されていないことが多いので注意が必要です。そこで(アメリカ人として)日本に住むために、日本の在留資格を取得しました。この資格はまず3年間有効です。その後、日本での永住権に当たる資格を取得できるそうなので、私たちはそうするつもりでいます」。

2022年8月に松本入りした大内夫妻は、2カ月間のアパート暮らしを経て、10月に無事に新居での生活をスタートさせた。50年ぶりの日本での生活、どういうことに困ったかを聞いてみた。

「困ったことはありましたが、最終的には解決できたので今のところ問題だとは思っていません。しかし、役所の方が全てのことを把握しているとは限らないので、こちらでも調べてきちんと説明しないといけません。また、私はアメリカ人として氏名を登録しているので、住民票や印鑑証明登録、そして銀行口座を作る際も名前の表記が漢字ではなくOhuchi Fumioとアルファベットになってしまいます。また、クレジットカードの名義も同じくアルファベットなので、ウェブサイトなどで名前を入力する際に『全角で漢字で書け』という指示になっている場合には不具合がありますね」。

また、アメリカにいた時の住所の証明にも苦労したと語る。

「日本だと住民票がありますから問題ありませんが、アメリカではそのようなものはありません。よく日本の政府機関から日本領事館に行って在留届を発行してもらうように言われますが、それはあくまで日本国籍の人であって、アメリカ国籍の場合には相手にされません。そこでそれに変わるものとして、私たちは公正人(Notary Public)の元で作成した宣誓供述書(Affidavit of Residence)にサインをしてもらい、現住所が表示されている運転免許証とSocial Security Administrationから発行されたBenefit Verification Letterの写しを宣誓供述書に添付して証明書としました。これは土地の購入、家の登記、また運転免許証の書き換えでその威力を発し、もしこの証書がなかったら大変に難しいことになったと思います」。

建築家とオンラインで打ち合わせて完成した松本市内の新居。


比較しないことが幸せに生きる秘訣

久しぶりに実感する日本の良さとは?

「まず、ご飯がおいしいこと。次に人間がものすごく優しいことに感動しています。何か対応してくれる時でも、真摯にやってくれることに心からうれしく感じます。昨日も国民健康保険の支払いの行き違いに関して電話で問い合わせたら、係の人がきちんと対応してくれて、本当に優しいのです。アメリカの場合はいろいろな背景を持つ人がいて、それぞれに考え方も対応も違います。でも、日本の場合は対応が統一されていて安心できます」。

ただし、ソフトウェアに関してはアメリカに軍配が上がると話す。

「日本で何かをネット上で登録しようとすると、必要以上に何度も確認の質問をされてなかなか先に進めません。確認の質問に振り回されているように感じます。結果的に自分でも何をやっているのか分からなくなってしまうのです。これは、日本のソフトがユーザー側に立って開発されていないのが原因ではないかと思います。例えば、インターネットバンキングの画面にしても、広告だらけで余計な情報であふれています。必要なのはログインするためのI Dとパスワードだけのはずです。それを見つけるのに一苦労します。アメリカではこのようなことはほとんどありません。また、(日本では)提案する際の説明資料もくどくどといろいろなことが書かれていて、やたらと長い。これは突き詰めると教育の問題ではないかと思います」。

現在は月に一度、特任教授を務める東北大学に出かけながら、近くバイオリン作りの修行を開始する予定だという大内さんに、今後の計画について聞くと、「ずっとここにいるつもりです。夏の間は娘が住むポートランドで過ごすことも考えています」と、松本を終の住処にすると即答した。

最後にこれからアメリカから日本に引き揚げる人へのアドバイスを求めた。

「90年代の日本のバブルの時期に、日本からアメリカに来た人の中には、日米を比べて『日本だったら、こんなことにはならない』と、アメリカに対して否定的なことを言ったりする人がいました。しかし、比較しても何の得もないし、日本は日本、アメリカはアメリカと認識することがその土地で幸せに暮らせる秘訣だと思います。コンプレインは言わずにいいところを見つけることです。私自身もそういうふうに生きていきたいと思います」。

国宝松本城で。

 

© 2022 Keiko Fukuda

living in Japan US citizenship

このシリーズについて

米国と日本の間で生きる日本人に、永住権取得や日本への引き揚げなど、人生の選択についてインタビュー。