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日系(ニッケイ)—をめぐって

第18回 世界の沖縄人が集うウチナーンチュ大会

沖縄の個性の象徴

ウチナーンチュ大会、開会を報じる『沖縄タイムス』と『琉球新報』

沖縄にルーツをもつ世界各地の人たちが、一堂に会した「第7回世界のウチナーンチュ大会」(同実行委員会主催)が、10月30日から11月3日まで那覇市を中心に沖縄各地で開かれ、日本のなかで「世界とつながる沖縄」の独自性が見事に表わされた。

「ウチナーンチュ」とは、沖縄の言葉で「沖縄の人」を意味する。つまり世界に散らばった沖縄県人が、その母国ならぬ母県に集い、沖縄の人と交流を深め、沖縄を軸としたネットワーク=ウチナーネットワークを維持、発展させようというのがこの大会だ。

実行委員会は、県をはじめ経済、金融、マスコミ、国際交流、文化などの民間団体からなり、沖縄県をあげての一大イベントでもある。

広島、熊本などと同様に沖縄は多くの移民を輩出した県として知られる。その歴史は1900年のハワイへの移民からはじまり、以後戦前・戦後を通して北米、南米などへ渡る人々はつづいた。今では、海外で暮らす沖縄からの移民やその子孫(沖縄県系人)は、約42万人とみられる(平成28年度推計値、沖縄県交流推進課)。

その内訳は、ブラジル、ペルー、アルゼンチン、ボリビアなど南米全体で約25万人、アメリカなど北米で約10万人で、そのほかヨーロッパ、中国、オーストラリアなど世界各地に広がっている。しかし、移民を多く輩出しているほかの県でも、調査をしてみれば同様にかなりの数の「県系人」が世界に広がっていることがわかるだろう。

そうした県でも「世界の○○県人大会」というのがあってもよさそうだが、実際はこの規模の大会は沖縄県だけである。ただ、全国的には「公益財団法人 海外日系人協会」の主催によりほぼ毎年「海外日系人大会」が東京で開かれている。今年も10月に第62回大会が開かれ、それにあわせて「ニッケイ人ってなに? 日系新世代に聞く」というトークイベントも行われた。

海外日系人協会の歴史は古い。戦後、国民が困窮しているとき、アメリカ在住の日本人や日系人の働きかけによって食糧や衣料品などの援助物資が日本に届けられた。これに対して、国会議員の間から「在留邦人・日系人の労苦を慰め、同胞愛への謝恩を表する」ために歓迎の祭典を開こうという声があがり、1957年に「国連加盟記念海外日系人親睦大会」として開かれたのが、翌年から海外日系人大会となり、今日に至っている。また、この事務局を担ったのが海外日系人協会だ。

同協会では、「日本から海外に本拠地を移し、永住の目的を持って生活されている日本人並びにその子孫の二世、三世、四世等で国籍、混血は問いませんが、そういう方々を海外日系人として定義しています」という。

同協会によれば、北米、南米をはじめとして世界の日系人の数は、今年の推定で約400万人にのぼる。世界のウチナーンチュが約42万人だから、それ以外はその他の都道府県がルーツの人だということになる。しかし、繰り返しになるが沖縄県だけがいわば世界の県人大会を県をあげて開催している。

ここに沖縄の特性があると推測できる。沖縄県系の人は、沖縄という自らのルーツへのアイデンティティの度合いが、その他の都道府県をルーツにもつ人のそれに比べて強いのではないだろうか。この点は、沖縄の個性の強さに関係するのだろう。たとえば、食文化や三線に象徴される音楽文化は、他所にはない圧倒的な個性であり、そこへの関わりの自覚は沖縄県系人というアイデンティティを強めるのではないか。


盛り上がるチャンプルー文化

世界のウチナーンチュ大会は1990年に第1回が開かれ、その後ほぼ5年に1度開催されてきた。参加者は第1回大会は2400人だったのが、2016年の第6回大会では7300人と増え、規模は拡大してきた。このとき、10月30日を「世界のウチナーンチュの日」として制定されることが決まった。

第7回大会は本来昨年開かれる予定だったが、新型コロナウイルスの影響で1年延期され、また、開催間際まで入国制限もあったため、参加を見合わせる人もいたようで2345人が参加を予定、県内を含めた国内からは6176人が参加することなった。

開会中のイベントは盛りだくさん。前夜祭からはじまり、文化、伝統芸能など各種ステージがもうけられ、国際交流や平和に関するシンポジウムが開かれ、観光関連の事業も行われた。こうした模様を琉球新報、沖縄タイムスなどの地元紙は連日報じた。

大会当日の『沖縄タイムス』の次ような記事は、大会の盛り上がりを示唆している。

「ハワイ知事も沖縄に『里帰り』 
世界の県系人、続々と那覇空港に到着
きょうから ウチナーンチュ大会」

第7回世界のウチナーンチュ大会開幕を翌日に控えた29日、参加者の来沖がピークを迎えた。本大会に参加する地域で最大数となる約800人が来沖予定のハワイから同日午後3時ごろ、約200人がチャーター便で那覇空港に到着。空港内のYUINICHI広場で歓迎式が開かれ、沖縄県内に住む親戚や大会関係者らが盛大に歓迎した。ハワイ沖縄連合会のデービッド・ジョーンズ会長は「温かく迎えてくれてありがとう。沖縄にルーツを持つ者として誇りに思う」とあいさつした。

県系3世で米ハワイ州のデービッド・イゲ知事も大会参加のため同日来沖。那覇空港で玉城デニー知事らから出迎えを受けた。イゲ知事は「初めて子どもと一緒に参加する。ウチナーンチュ大会のさまざまなイベントをとても楽しみにしている」と話した。玉城知事は「ご家族と一緒に素晴らしい時間をお過ごしください」と歓迎した。(社会部・普久原茜)


一つの歌を世界で

前夜祭では、那覇市内で約3000人が参加したパレードが行われ、各国の民族衣装をまとい、国旗や横断幕をもった人たちなどが約1キロを練り歩いた。沿道の県民からは「めんそーれ(ようこそ)」とか「おかえりなさい」といった声がかけられた。エイサーや三線をはじめ、サンバやフラのダンスなどが入り混じった、まさにチャンプルーな光景となった。

閉会式は、お祭り一色となりプロのミュージシャンも数多く登場、ペルー3世の城間アルベルトさんが率いるグループ、ディアマンテスの登場で会場は熱気を帯び、最後は石垣島出身のBEGINが沖縄の薫りをにじませるサウンドでしめた。

イベントの模様は、インターネットで配信され海外にいるウチナーンチュや多くの沖縄ファンにも届けられた。この中には沖縄民謡の「安里屋ユンタ」を世界各地のウチナーンチュらが演奏する光景も見られた。一つの歌を世界中で歌いつなぐというシーンはまさに、大会の主旨を象徴するようだった。

海外から参加した人の中には、イベントの規模に驚いたり、一体感を痛感したりしていた。また、参加を機に沖縄で自分のルーツを探す人もあった。

ブラジルから取材のために訪れたブラジル日報・深沢正雪編集長は、サンパウロから参加した日系人の女性が、沖縄滞在中に県立図書館を訪れ、データベースで自らのルーツを確かめることができたという例を紹介し、こう書いている。

「このような『アイデンティティの覚醒』という特別な反応があちこちで起きることが、この大会の魔法だとつくづく感じる。ただの国際的な交流会ではなく、沖縄系子孫にとっては自分探しの旅なのだ」。(11月8日、記者コラム)

さまざまな意味をもったこの大会だが、広い視野で見れば世界中に広がった沖縄系という日系人が、同じ日系人と、そして日本人と交流する機会の場であり、そこからは国際的な相互理解や多様なものの見方を自然と学ぶことができるはずだ。その意味で、もっと日本の全体のイベントとして、今後、世界のウチナーンチュ大会を注目すべきではないか。

 

© 2022 Ryusuke Kawai

Okinawa Uchinanchu Uchinanchu Taikai

このシリーズについて

日系ってなんだろう。日系にかかわる人物、歴史、書物、映画、音楽など「日系」をめぐるさまざまな話題を、「No-No Boy」の翻訳を手がけたノンフィクションライターの川井龍介が自らの日系とのかかわりを中心にとりあげる。