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米国で生きる日本人の選択

数カ国での生活経てオーストラリアへ—広美・アッシュモアさん

32年ぶりの日本

エミー賞受賞作で、ダウン症の若者たちの等身大の生活を描いたリアリティーTV番組「Born This Way」。長女がそのメインキャストの一人であり、また自身も同作に出演していた広美・アッシュモアさんは、17年間暮らしたロサンゼルスから2019年、日本に引き揚げた。しかし、その日本を終の住処とはせずに、22年、夫のスティーブンさんと共にオーストラリアに移住しようとしている。このシリーズでは、「アメリカ永住を決めた人」「長年住んだアメリカを去って日本に引き揚げた人」「日本に一度は引き揚げたが再びアメリカに戻ってきた人」などさまざまなパターンを取り上げてきたが、今回は日本でもアメリカでもなく、別の国を永住先に決めた広美さんのケースについて紹介したい。

オーストラリアへの移住を前に、夫のスティーブンさんと日本各地を満喫。

2002年、広美さんが渡米したのは、オーストラリア出身のスティーブンさんの転勤が理由だった。それ以前にも同じく夫の赴任の帯同で88年から数年ロサンゼルスに滞在、その後イギリス、さらにオーストラリアと各国を転々とした。長女エレナさんは日本生まれ、長男ケネスさんはアメリカ生まれだ。

合計で20年以上暮らしたアメリカは、広美さんの目にはどう映ったのだろうか。

「アメリカの良いところはおおらかで、障害を持つ人へのプログラムが充実していること。そして、たとえ他人の子どもであっても社会の一員として一緒に見守ってくれる土壌があること。あとは不満を持った時にしっかりと主張すれば、相応に対応してくれる点ですね。反面、良くないところは犯罪が多いこと、医療費が高いこと。それから車の運転が荒いこと。日本から直接来たら、家や空間が大きいと感じるかもしれませんが、私たちはオーストラリアで生活していたので、それほど(アメリカの広さを)感じませんでした」。

広美さんが日本に引き揚げた19年に先立つ3年前の16年には、スティーブンさんが仕事の都合で単独で日本に渡った。長男のケネスさんも日本で就職、福岡で生活していた。さらに、エレナさんはロサンゼルス近郊のグループホームに暮らし、広美さんはスティーブンさんと購入したロサンゼルスの自宅暮らしだった。そして、その3年後、スティーブンさんが体調を崩したことを契機に、広美さんは自宅を引き払い、日本に引き揚げた。この時、本人の強い希望があり、エレナさんはグループホームに残った。

さて、日本以外の生活が32年にも及んだ末に戻った日本は、広美さんにとって暮らしやすい社会だっただろうか。

「日本の良い点は安全なこと、警察官を始め公共のサービス職の方が皆親切なこと、そして物の品質が優秀な点ですね。医療費はアメリカに比べればかなり安いです。障害者プログラムに関しては、大人になるとアメリに比べると、きめ細やかでそれなりに充実しているとは思うのですが、子どもの障害者へのプログラムの質は非常に低いと思います。それから、あまり良くないと思う点は、ロサンゼルスのような多民族文化が根付いていないせいで、知り合い同士(内の人)には親切だけれど他人(外の人)には冷たいことでしょうか」。

日本では、広美さんは自宅での生活が困難になり老人ホームに転居した実母を、コロナ前には毎日訪ねていた。32年ぶりに日本に戻った理由は、夫だけが理由ではなく母親のことも大きかったのだと話す。

日米豪を比較すると…

ところで、広美さんが日本に帰った時にエレナさんがロサンゼルスに残ったということは、スティーブンさんが引退したらアメリカで暮らすという選択肢があったのではないかと聞くと、広美さんは次のように答えた。「カリフォルニアに残るのは難しいですね。引退後にアメリカに住むには医療費も高いし、また固定資産税も高額です」。

では、日本はどうだろう?「日本という選択肢は、(外国人の)主人にとって現実的ではありません。また、私自身、アメリカで長らく日本舞踊を教えていたので、日本に引き揚げた時に日本でも教えたいと思っていました。ところが、日本では教える側の人数が多く、年齢は上の方ですが、教え始めるのが遅かったために地盤が築けていない私の場合、日本で教えようと思っても現実的ではありませんでした。

結果的に、夫婦で出した結論は、スティーブンさんの母国であるオーストラリアへの移住だった。

「オーストラリアならアメリカでそうだったように、私が日本舞踊を教えられるチャンスがありそうです。自分が現役でできるうちに早く移住して現地社会で活動を始めたいと思っています。そして何よりもエレナのことが一番大事です。オーストラリアなら、アメリカの今のような生活が送れるはずです。また、オーストラリアには国民健康保険があるし、オーストラリア人は気さくでいい人たちです。候補地はゴールドコーストかブリスベン近郊。ゴールドコーストにもブリスベンにも私の趣味の太鼓のグループがあることも分かっています」。

日本舞踊を教えることができるかどうかも移住先選定の決め手だった。

2022年初めにはすでに退職したスティーブさんが一足先に現地入りし、家探しをすることになっている。

「家は夫が選んだところでいいと思っています。そして、次にすることはエレナの呼び寄せです。彼女は今の(ロサンゼルスでの)グループホームの生活が気に入っています。なかなか、私の希望を聞き入れてくれません。作戦として『オーストラリアに遊びに行こう』と言って、片道切符で迎えに来ることを考えています。そして現地で、障害者向けのプログラムに参加させて、ナイスオージーボーイズをラインアップして彼女の気が変わるようになんとか頑張ります(笑)」。

友人の一人として、私はオーストラリアに移ったアッシュモア一家が笑顔で暮らしていけることを願っている。広美さんはきっと現地で日本舞踊を教え、太鼓を叩いて生活を満喫するだろう。私の頭の中には、そのイメージが今鮮やかに浮かんでいる。

 

© 2021 Keiko Fukuda

Australia Brisbane Japanese Los Angeles migration

このシリーズについて

米国と日本の間で生きる日本人に、永住権取得や日本への引き揚げなど、人生の選択についてインタビュー。