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ブラジルのニッケイ新聞12月廃刊・40年間邦字紙支えたラウル社長 - その2

2021年10月30日、プレミオ・パウリスタで挨拶する高木ラウル社長

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ポルトガル語新聞の市場を切り開いてきた二世社長

ブラジル国内という市場に注目した場合、新聞が生き残るにはポルトガル語紙面をどう活性化させるかがカギだ。

パウリスタ新聞(当時、小川パウロ社長)が作った初のポルトガル語雑誌『Revista Arigatô』が1987年に廃刊した。当時としては画期的な取り組みだったが採算がとれなかった。

一方、日毎(「日伯毎日新聞」)はポルトガル語別冊『PáginaUm』を1979年4月から土曜版に挟み込む形ではじめていた。日毎ポルトガル語編集部の木村ウイリアム編集長を中心に、1979年4月に土曜版に挟み込まれた形で0号を出した。

邦字紙でポルトガル語面といえば1~2頁ていどのおまけのイメージの時代であり、ポルトガル語だけの別冊というのは初の試みだった。

日本語紙面とは全くトーンが異なり、二世がもつ肌身の時代感覚、たとえば軍事政権からの脱却などのもっと一般社会の時代の空気を色濃く反映していた。

創刊直後からポルトガル語紙面をつくったパウリスタ新聞、ポルトガル語別冊に力を入れてきた日毎に対して、サンパウロ新聞は1960年代頃までポルトガル語面すら作らない方針を貫き、最後まで日本語だけを重視していた。

サンパウロ新聞の水本エドワルド氏は社長在任当時の1985年、次のような発言をしている。「我々はコミュニティ全体のために新聞を作っているのではない。我々の購読者リストの95%を占める日本人のためであり、日系子孫は最低人数でしかない。だから、我々の新聞をそこに合うように急激に変化させることは意味がない。現実的ではない」。

つまり、サンパウロ新聞の考え方は、邦字紙読者はあくまで日本移民であり、ポルトガル語世代を含めた読者層に広げることを否定してきた。だからポルトガル語の紙面に力を入れてこなかった。

その点、ニッケイ新聞は別冊というオマケではなく、「Jornal Nippak」というポルトガル語独自の購読紙を創刊し、現在まで続けている。このへんにラウル社長が最初から持っている「二世として経営者感覚」があるのだろう。

40年前にコロニアは消滅すると予測した米教授

文協事務局長だった藤井卓治さんは、1976年に出た『週刊時報』創刊号に「鮮烈なペンに期待」との一文を寄せた。

いわく「十数年前に来伯して、日系移住社会のブラジル社会への融合事情を調査したアメリカ・コーネル大学のスミス教授は『後20年経ったら、日本語新聞も日本語学校も仏教や新興宗教もなくなってしまう』という結論を出した」と現実とは違うことを揶揄した。

スミス教授が予測した通りなら、邦字紙は1980年代には消滅していたはずだ。だが、事実としてはその約40年後、2021年現在でも続いている。それは、コミュニティ自体が続いていることを意味している。

さらに藤井は、「『コロニアとは何か』と聞かれれば、私は直ちに『新聞だ』と答えるであろう。新聞がなくなればコロニアは分解するだろうと思うからだ。戦時中、もし日語新聞があったら、あのような勝ち組負け組事件は起こらなかっただろう。同じように、『日本語は何時まで続くか』と聞かれれば、『日語新聞と運命を共にする』と答える外はない。ドンピシャリの答えではないが、それ程新聞の占める地位は大きい」と書いている。

藤井さんの説によれば、日本語のコミュニティが残っている限り邦字紙は続くし、二世・三世らがポルトガル語のコミュニティを続けていれば、ポルトガル語新聞も続く。

「コミュニティペーパー」があるかないかは、日系社会が続いているかどうかを計るバロメーターの一つなのかもしれない。

ずらりと並んだニッケイ新聞の製本版


2000年以降、邦字紙もネット時代に

日本語新聞が生き残ることに関して、ブラジル国内の移民読者が減っていく中で、新たな読者層として開拓すべきなのは、ブラジル国外にいる日本人、たとえば日本の日本人だろう。

その点、ニッケイ新聞は時流に合わせてネット対応をしてきた。

2001年にサイトを立ち上げ、2012年からは「PDF版」の発行も始めた。現在は、サイトの有料記事もPDF版も見られる「Web版会員」、企業・学校等の「団体向けアカウント」も行っている。団体向けアカウントには早稲田大学、神田外語大学などもある。

また、東京支社(輿石信男支社長)が把握する日本国内の購読者には、日本銀行などの主要な金融機関や投資機関はもちろん、ブラジルに進出・投資する企業、「◎◎総研」のような研究所、有名大学、各種官庁部署などが多く含まれている。

ヤフーニュースと記事掲載契約を結んでいる関係から、紙媒体として読まれるよりも、ネット記事として読まれる方が現在では多くなった。

なかでも、2020年4月18日付ヤフーニュース投稿の《ブラジル記者コラム「在日ブラジル人にも10万円給付を」》記事は、195万ビューを記録した。賛否両論がコメント欄では交わされ、大いに問題提起した。

たかが邦字紙の記事が、日本で200万人近くの人の目に触れるという現象は、ネット時代ならではのことだ。ヤフーニュースでは、今年だけで数十万ビューの記事が10本近く出ている。

本紙サイト記事2019年4月27日付《日系五世の高校生が堂々の祝辞=天皇陛下御即位30年式典で=北野監督、山中教授らに並んで》でもでは、いいねボタンが2500回押されるなど、記事によっては日本の人にもかなり読まれている。

このように、ブラジル国内の移民読者だけでなく、「ブラジル情報を日本の日本人向けに発信する媒体」としての役割が強まってきている。その傾向はパンデミック以降、特に顕著になっている。

ここまで育ててきたものを、むざむざドブに捨てるのはもったいない。この部分をさらに伸ばすことを、次の時代の課題にしたい。

 

 

© 2021 Masayuki Fukasawa / Nikkey Shinbun

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