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南カリフォルニア生まれの2世: 米国トヨタのクリストファー・ヤング氏

米国トヨタのバイス・プレジデント、国際顧問弁護士のクリストファー・ヤングさん

日本語のモチベーション

アメリカで生まれた日系2世が日本語学校や日本語補習校へ通う理由、それは親が「ルーツの国の言語を習得してほしい」と望むからだ。私の2人の子どもたちもそうだった。土曜の朝になると、気乗りしない様子の彼らを急かすようにして日本語学校に向かったものだ。子どもたちのその後は分かれる。「月曜から金曜まで学校に通っているのに、その上なぜ土曜も学校に行かなければならないのか」と反抗し、途中で挫折する子もいれば、勉強よりも自分と同じルーツの友達と会うことが楽しみで日本語学校に通い続ける子もいる。親の姿勢も大きく作用する。どんなに本人が嫌がっても親が背中を押し続ければ、後々、自分がバイリンガルとなったことがいかに貴重な財産であるかを本人が親に感謝する日がやって来る。現在、テキサス州に本社がある米国トヨタのバイス・プレジデントで、国際顧問弁護士のクリストファー・ヤングさん(以下クリスさん)もその1人だ。

流暢に日本語を操るクリスさんは、カリフォルニア州トーランスで生まれ育った。ヤング(楊)という名前から分かるように、父親は台湾生まれの中国人だ。幼い時に家族で台湾から東京に引っ越して来たクリスさんの父親は、日本人女性と結婚。二人で移住したアメリカで、クリスさんと弟が誕生した。

「家の中で話していた言語は英語と日本語のミックスでした。さらに、土曜日に日本語学校にも通っていました。でも、当時は親に無理やり『行かされている』と感じていました。親に『日本語を使うことはないから、学校に行きたくない』と反抗して、土曜の朝は毎回、喧嘩でした(笑)。今は親が正しかったことが分かり、心から感謝しています」と振り返る。「日本語を使うことはない」どころか、現在は日本語と英語を駆使し、北米トヨタの法務部のDeputy General Counselとして日米の架け橋的な役割を担っている。さらに、Toyota Connected North Americaという、トヨタのデータやテクノロジーを専門に手掛ける新会社の取締役でもある。

クリスさんの日本語を学ぶモチベーションは、親の励まし以外にもあった。それは剣道。出会いは、日本の祖母の家で偶然、『六三四(むさし)の剣」という、剣道がテーマのアニメをテレビで見たことだった。自分でも剣道を始めると、みるみるのめり込んでいった。高校生の時にはアルバイトで貯めたお金で、日本中を武者修行と称して、岩手から鹿児島まで剣道場を訪ねて回った。いわゆる「道場破り」だ。

福岡大学附属大濠高校でも剣道の修行経験を積んだ。さらに大学は「剣道だけに没頭できる」ところに進学したいと希望した。しかし、将来の職業も見据えた上で進学した方がいいとの親のアドバイスを受け入れ、カリフォルニア州立大学バークレー校へ。そして、3年生の時に剣道では強豪の筑波大学に留学した。筑波では「その1年間、僕はほぼ体育専門のビルに剣道部の仲間と一緒にいました」と話す。つまり、剣道だけに没頭できる学生生活が日本で実現したのだ。
 

強く優しい剣士

息子のムサシくんと。

アメリカに戻り、大学を卒業したクリスさんはジョージタウン大学のロースクールに進学、弁護士資格を手にし、大手法律事務所に入所した。そこでの仕事は想像以上に厳しく、2003年にその事務所に入所した同期は全部25人いたが、退所する時にはクリスさんが最後の一人になっていたと言う。弁護士として多忙な暮らしを続けながらも剣道をやめるという選択肢はなかった。むしろ反対に、剣道の世界選手権に向け、仕事を1度ならず2度までも休職したことさえあった。クリスさんは剣道のアメリカ・チームの代表選手を、1997年の18歳の時から約18年間務め、さらに2006年から2015年の間は主将という重責を担っていた。弁護士事務所を休職した目的は、日本の警視庁で剣道の修行を積むためだった。

「世界一と言われる日本の剣道代表チームの選手の本職は警官です。剣道にも仕事として取り組んでいるんです。やはり一流の選手になるには、世界一の選手たちと一緒に修行しないといけません。そのために、警視庁の剣道チームに溶け込んで一緒に稽古をするのが一番なのです」

日本の警察は敵チームである米国の選手を修行という目的で受け入れてくれるのか、との率直な疑問が浮かんだ。その問いにクリスさんは「純粋な気持ちで修行したいという僕のような人間なら、たとえ、敵のチームのキャプテンであっても快く受け入れてくれます」と答えた。そして、クリスさんが主将を務めた2006年の世界選手権では、日本を負かして米国代表チームが2位になった。

その後、クリスさんは2011年に弁護士事務所を辞めて、彼が育ったトーランスに当時本社を置いていた米国トヨタに転職した。激務に関わらず、同期の中で最後の一人になるまで頑張ることができたのは剣道で鍛えられた精神力のおかげだと話すが、一方で、プロジェクトが終わるとまた新しいクライアントのためにゼロから働くことの繰り返しに寂しさを感じたことが退所の理由だと振り返る。

同じ会社のために、それまで積み重ねてきた弁護士としての会社法の知識と実績、バイリンガルの能力、さらには日本での生活や留学経験で培われたバイカルチャラルなバックグランドを生かしたいと望んだクリスさんは、それが叶う転職先として米国トヨタを選んだ。さらに2016年には、本社移転に伴い、家族と共にカリフォルニアからテキサスに移った。現在はプレイノの本社を拠点に世界中を飛び回る多忙な生活を送りながら、新たに剣道のプレイノ道場も開設した。「自分にとって居心地のいい場所は生まれ育ったカリフォルニアのトーランスでした。でもここに移ってきたことで新しい出会いに恵まれました。ここで自分は『一皮向けた』ように感じます」と、2019年5月にプレイノで会ったクリスさんは話してくれた。その際に、若い世代の社員のミーティングに彼が参加する様子を見学する機会に恵まれた。クリスさんは彼らの声に真摯に耳を傾け、的確なアドバイスを与えていた。米国剣道の第一人者であるクリストファー・ヤングさん。彼は最も強い剣士であるだけでなく、同時に非常に心優しいリーダーだという印象を筆者に強く与えた人物の一人だ。

 

© 2020 Keiko Fukuda

bilingual Christopher Yang Kendo shin-nisei Toyota