ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2019/1/9/more-power-to-nikkei-communities-part-2/

ブラジルの日系コミュニティにさらなる力を与える - パート 2

パート 1 を読む >>

日系コミュニティへの支援

戦前、日本人の海外移住事業は、国、都道府県、民間企業によって行われていました。戦後、海外に移住する人が減少するなか、1963年に海外移住事業団が設立され、1964年から海外移住事業を一元的に行うようになりました。1974年には、開発途上国への技術協力を実施していた海外技術協力事業団とJEMISが国際協力事業団に統合され、JICAが海外移住事業を引き継ぎました。その後、JICAは、移住者の生活の安定・定着支援や、海外移住に関する調査・知見の普及などを業務として行うようになりました。

現在、JICAは海外で暮らす日系人やその子孫に対するさまざまな支援事業を行っています。例えば、日系次世代育成支援事業は、日系人の中学生、高校生、大学生を日本に招き、日本語の学習、日本人家庭でのホームステイ、日本人学生との交流、海外移住の歴史の学習などを約1か月間行うことで、日本への理解を深め、日系人としてのアイデンティティを強めることを目的とした日本国内での研修事業です。また、日系社会リーダー育成事業は、日本の大学院で学ぶ日系人に対し、日本での滞在費や学費を支援する事業です。

日系人研修は、日本の地方自治体、大学、NGOからの提案に基づき、JICAが日系人向けの研修プログラムを委託して実施する事業です。研修プログラムは、医療、福祉、農業、ITなど多岐にわたります。

九州大学病院では、日系人研修プログラム「5S・カイゼン」の一環として、ブラジル出身の看護師が薬品仕分け機について学んでいる。(JICA提供)

例えば、2016年に日本で約1か月間実施された「5S・改善による看護師マネジメント力向上」は、ブラジルの2つの病院から6人の日系看護師が参加した研修プログラムでした。この研修プログラムは、5S(整理整頓・清掃清潔・躾と改善を導入することで、病院サービスの質、患者満足度、医療安全を向上させることを目的としていまし

研修生は、日本では講義や病院視察を通じて5S改善の知識や具体的な事例を学びました。帰国後は、院内の書類棚の整理整頓や廊下の携帯用検査器具の定位置配置など5S改善の実践や、日本で学んだ知識を同僚に伝えることで、職場環境の改善に努めました。

また、JICAは2013年から、中南米に居住する日系人と日本企業との連携による開発課題の解決や、日本企業の中南米地域へのビジネス展開の促進を目的として、日本企業が参加する調査ミッションを派遣しています。

2017年に実施した「ブラジル日系病院連携調査ミッション」に参加した愛知県のシーエンジセールスは、日系人が経営する病院を視察し、高反発性に優れ、患者が動きやすいことから床ずれ防止に効果があるとされる自社製の医療用マットレスを紹介した。この経験からブラジル市場への進出を決めた同社は、JICAの中小企業連携促進調査の支援を受け、医療機関への医療用マットレスの販売を開始する予定だ。

「日系人が経営する病院の患者のほとんどは非日系人です」と吉田さんは言う。「日系コミュニティへの支援を通じて、ブラジル社会全体の発展に貢献できると考えています」

日本人ボランティアも日系移民やその子孫とともに活動しています。JICAの日系社会青年・シニアボランティアは、日本語、健康、福祉、スポーツなどさまざまな分野で日系社会に日本人の青年・シニアボランティアを派遣する制度です。

黒木剛さん(右)は、日系コミュニティの青年ボランティアとして、ブラジルのサンパウロで日系児童の野球チームを指導した。(黒木剛/JICA提供)

ボランティアの中には、日系社会の枠を超えて活躍する人もいる。例えば、日本の公立中学校で保健体育の教師を務めていた黒木剛さんは、2009年から2年間、日系社会の青年ボランティアとしてブラジルのサンパウロに派遣され、日系人の子供たちの野球チームを指導した。黒木さんは、礼儀や規律、マナーを重視した日本式の指導を行い、チームを全国3位に導いた。また、黒木さんは2013年に米国で開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のブラジル代表監督に選ばれ、ブラジル野球のレベル向上に大きく貢献した。

JICAは、草の根技術協力事業を通じて、日本の地方自治体、大学、NGOなどが日系社会のために行う協力活動にも支援を行っています。例えば、2012年から2015年にかけて実施されたサンパウロ州における帰国者デカセギとその子どもたちへの心理的支援開発プロジェクトを支援しました。

「出稼ぎ」とは、日本語で「故郷を離れて働く」という意味です。日本は、人手不足対策の一環として、1989年に出入国管理及び難民認定法を改正し、海外に住む日系人が日本で働くことを可能にしました。この政策転換をきっかけに、故郷を離れて働く日系人が急増し、日系人(主に日系ブラジル人)は、日本の産業、特に製造業を支える重要な労働力となりました。日本に居住する日系ブラジル人の数は、2007年の約31万人をピークに、日本の景気低迷により減少し、2016年には約18万人となっています。

親とともに母国に帰国したブラジルの子どもたちの中には、ブラジルでの生活に適応できず、精神的ストレスを抱える子どももいました。このような状況に対し、日本の自治体とNGOが連携し、現地での支援体制の構築やカウンセラーのスキル向上を支援しました。

JICAは、こうした日系社会への支援事業に加え、海外移住や日本人移住者とその子孫に関する調査や知見の普及にも取り組んでいます。その一環として、2002年に神奈川県横浜市に海外移住資料館を開館しました。同資料館の常設展示では、写真や映像、模型などを用いて、日本人の海外移住の背景や移住先の国での移住者の仕事や暮らしなどを紹介しています。

「各国の海外移住博物館のネットワークを構築し、オンライン上の日系移民バーチャル博物館を構築できればと考えています。これにより、日本の歴史の別の側面や、グローバル化の黎明期に日本人が経験した苦悩や喜びを、より多くの人に知ってもらいたいと考えています」と吉田氏は言う。「日本人は日系移民の歴史について十分に知りません。現在、日本にはさまざまな国の人々が訪れ、暮らしています。今後、日本が多様性を受け入れる開かれた文化を創るためには、多国籍の一員としてブラジルの国づくりに関わった日系移民の経験を共有することが重要だと考えています」

横浜の海外移住資料館の常設展示(JICA横浜海外移住資料館提供)

*この記事は、2018年6月1日にTJJ OnLineで最初に公開されました。

© 2018 The Japan Journal

執筆者について

澤地治氏はジャパンジャーナルの編集長です。1992年にイリノイ州ノースウェスタン大学で政治学の修士号を取得しました。1993年よりジャパンジャーナルの編集者として勤務しています。東京在住。

2019年1月更新

様々なストーリーを読んでみませんか? 膨大なストーリーコレクションへアクセスし、ニッケイについてもっと学ぼう! ジャーナルの検索
ニッケイのストーリーを募集しています! 世界に広がるニッケイ人のストーリーを集めたこのジャーナルへ、コラムやエッセイ、フィクション、詩など投稿してください。 詳細はこちら
サイトのリニューアル ディスカバー・ニッケイウェブサイトがリニューアルされます。近日公開予定の新しい機能などリニューアルに関する最新情報をご覧ください。 詳細はこちら