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戦後沖縄の救済運動のリーダー比嘉太郎さんに学ぶ講演会を開催 〜 ドキュメンタリー作家、下嶋哲朗さん

その活動は人種、国、宗教を超えた

戦争直後、世界中のウチナーンチュに呼びかけ、地上戦の果てに焦土と化した沖縄に物資を送ったハワイ生まれの二世、故比嘉太郎さんが率いた活動は、ドキュメンタリー作家、下嶋哲朗さんによって「海からぶたがやってきた!」の本になった。そして2018年7月、下嶋さんは、ロサンゼルス在住の沖縄民間大使、上原民子さんからの提案で、同市郊外のガーデナで太郎さんの功績を若い世代に伝えるための講演会を開催する。

講演に先立つ2018年2月、下嶋さんはカリフォルニア州サンタマリアに住む太郎さんの長男、アルビンさんの自宅を訪ねた。「20年前から、太郎さんのことを考えているが、本当の所、彼が何を考えていたのか、確信を持って話すためにもっと太郎さんについて知る必要がありました」と話す下嶋さんは、アルビンさんの協力を得て、太郎さんが残した山のような資料をUSBに収めた。その後、サンタマリアに続いて、アルビンさんと共にロサンゼルスに立ち寄った下嶋さんに会う機会があった。

サンタマリアにあるアルビンさんの自宅で資料を探す(右から次男のノーレンさん、アルビンさん、下嶋さん) 

「太郎さんはハワイ生まれ沖縄育ちの二世です。ヨーロッパ戦線に参加した後、1945年に太郎さんが沖縄を訪ねた時には、豚の国である沖縄から食糧である豚が消えていました。沖縄の人々の生活を支援するため、太郎さんは最初、食料品や衣料、靴を送り、やがて、生産につながる作物の種や魚を釣る釣り針を送るようになりました。その活動は、ハワイに始まり、ニューヨークやロサンゼルスの沖縄系コミュニティへ、さらには中南米へと広がっていき、キリスト教の教会も関与し、人種、国、宗教の境界を越えた大きな活動となったのです」

70年以上前のハワイでは、本土出身の日本人から沖縄の人々は差別を受けていた。その理由の一つに、本土では豚を扱うことが忌み嫌われていたが、沖縄出身者は豚を主な食料とし、自ら飼って、それを料理してレストランのメニューに並べていたからだ。そして、アメリカ人には豚を使った料理は人気があり、沖縄出身者はレストランビジネスで成功を収めていた。そのハワイ在住のウチナーンチュたちの先頭に立って、傷ついた沖縄を救済しようと立ち上がったのが太郎さんだった。太郎さんは幼い頃に沖縄の祖父母に預けられて育った。彼にとっての沖縄は、両親の故郷だけでなく、自身の故郷でもあるという思いが強かったにちがいない。

下嶋さんは、郷土愛に駆られてリーダーシップを発揮した太郎さんの実話を、現代の若者に語り継ぐことで、分断と対立の世の中を見直すきっかけになるのではないか、と考えている。

「世界各地の対立だけでなく、日本も今はひどい状況です。太郎さんの沖縄の救済運動は、光を放つメッセージになり得るのではないでしょうか。壁を乗り越えて沖縄のために一つになったことを、今こそ、人々に訴えたいと思います」

そして、下嶋さんは次のように続けた。「日本人は、広島の平和授業の出席を、義務として子どもたちに課しています。しかし、平和授業は今や形骸化してしまい、自分が平和のために何ができるかという問いかけや実行の部分が欠けています」。


考えるだけでなく実行することが大事

在りし日の比嘉太郎さん

アルビンさんによると、太郎さんは人とは違う考えをもった人物だったようだ。また、ただ考えるだけでなく、実行することが重要だといつも言っていた。それは周囲を伺う傾向がある日本人の団体主義とは一線を画すものだった。アルビンさんは父親を非常に尊敬していたと語る。

日本で習得した電気技術を生かし、ハワイで電気屋のビジネスを起こした太郎さんは卓越した発明家でもあった。「父は、ターンシグナル(ウィンカー)がまだ自動車についていない時代に、シグナルを発明しました。しかし、特許をとることはありませんでした」。

アルビンさんはサンタマリアを拠点に複数の事業を運営している。自分が事業拠点を離れても、スマートフォンを通してリアルタイムの現場の映像を見ることで、異常がないかどうかを常にリモートで管理しているそうだ。そのようなスマートなやり方も父親の太郎さん譲りかもしれないとふと思った。

さて、長野県出身の下嶋さんが、なぜ、ここまで沖縄の人々に惹かれているのかを聞くと、次のように答えてくれた。「1975年、グラフィックデザイナーだった私は、子どもたちがまだ2歳と3歳の頃に、家族4人で石垣島に1年間だけ住んだことがあります。村の人たちはヤマトンチューの私たちに親切にしてくれて、家に帰ると留守の間に野菜が置かれていたりしました。東京に戻る時にはお別れ会を開いてくれて、一人ひとりが挨拶してくれました」。

そして、取材で何度かカリフォルニアにも訪れている下嶋さんの目には「沖縄よりも、今はこちらのウチナーンチュの方が、沖縄魂が強いと感じます」と映るようだ。

7月の講演会のタイトルは「Treasure of Okinawans Spreading the Word of Taro Higa’s Humanisum to the World」。下嶋さんは現在、太郎さんが携わった、戦後の沖縄への救済運動についての情報を求めている。その運動に関与した方、また、太郎さんのことを知っている方は連絡してほしいと呼びかけている。

下嶋さん連絡先: tshimo@ae.auone-net.jp

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Treasure of Okinawans Spreading the Word of Taro Higa’s Humanisum to the World
2018年7月1日 2:00pm - 5:00pm
Ken Nakaoka Community Center
1670 W. 162nd St., Gardena, CA 90247
Donation:$10

 

© 2018 Keiko Fukuda

hawaii nisei okinawa post-war Taro Higa Teturo Shimojima