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デザイン・エグゼクティブ・オフィサー/ビジネス・プロデューサー 尾中泰さん

尾中 泰 (おなか・ひろし)
山口県出身。2000 年に日本のソフトウェア会社の海外進出を担当し、2001 年にシアトルへ。2009 年に50歳でEnLinx Partners を起業し、現在に至る。西南学院大学時代に始めた少林寺拳法は今や准範士六段の腕前で、シアトル支部とシアトル大学で指導を行う。

今年7月30日、日本で誕生した少林寺拳法の世界大会が初めてアメリカで開催される。かつて同アメリカ連盟の初代事務局長を務めたシアトル支部長の尾中泰さんに、ビジネス、武道、コミュニティーとのつながりについて話を聞いた。

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子どもの頃からの海外への憧れが現実に

世界紀行番組「兼高かおる世界の旅」を見て、田舎育ちの少年には広い世界が憧れでした。振り返れば、17歳で高校生向け渡米プログラムに父の勧めで参加したことが、全ての始まりだったと思います。英語学習と観光で2週間ほどカリフォルニア州に滞在し、日本とは全く違う世界に引き込まれました。ロサンゼルス空港から帰途に就く際、「またこの国に戻って来る」と誓い、交換留学制度のある西南学院大学に入り、その願いを叶えました。1年間の交換留学先にはサンディエゴ州立大学を選び、高校生時代に訪れた思い出のサンディエゴで再び学ぶことができました。

1983年に新卒で入った会社は、当時、Radio Shack向けの家電・パソコン製品の買付部門であったA&A Japanです。まだコンピュータ黎明期で、パソコンも満足にないところでマーチャンダイジングに携わり、IBM互換機を始めいろいろな商品企画プロジェクトに携わりました。入社2年目に本社のあるテキサス州フォートワースに3年間赴任しました。1989年に転職したDellでも極東における買付やマーチャンダイジング部門を担当し、Dell Japanの前身となるDell Far Eastを設立しました。

シアトルに来るきっかけとなったのは、2000年に入社したソフトウェア開発のOpen Interfaceで北米支社設立を手がけたことでした。シリコンバレーは経営コストが高く、技術者採用も難しいために見送り、ソフトウェア業界の人材が豊富なシアトルを選びました。私はL-1(駐在員)ビザでの就労だったために、近い将来には当然帰国と考えていました。しかし、一緒に渡米していた2人の子どもたちのひと言で状況は一変しました。「今さら帰国なんて、パパのわがままだよ」と言われてしまったのです。

渡米当時、長女は中学1年、長男は小学4年。シアトルに渡って最初の約3年間、現地校で授業に追いつくのに必死の毎日でした。「ここまで頑張ったのに中途半端なまま帰国したくない」と言うのです。我が子ながら頼もしく感じ、「分かった。まだこのままシアトルにいよう」と即答しました。しかし、それからが大変でした。正直、ビザがない状態での転職活動は大きな博打に近い賭けでした。ビザのサポート込みで就職を勝ち取らなければなりません。たった3カ月で就労ビザの切替えができ、ITコンサルティングのQuantumFusionへ転職が決まった時は、心底ホッとしました。こうして、一家そろってシアトルに残ることになったのです。


50歳で起業を決断、ビジネスはシアトルから福岡へ拡大

50歳を迎える頃、グリーンカード(永住権)を取得したこともあり、自分で会社を設立することにしました。それがEnLinx Partnersです。「縁」を掛け算して強固なパートナー関係につなげる、というのが社名の由来です。ちょうどリーマンショック直後で、経済的にも底だと思えたのが後押しになりましたが、現実はそんなに甘くなく、最初の3年はとても苦労しました。事業の柱のひとつが、日米企業の海外進出サポートです。仕事人生30年のネットワークを通して、紹介がまた紹介の縁を呼び、ビジネスにつながりました。

2017年1月には、レドモンドに本社があるComputeNextの日本支社を、福岡に設立しました。「なぜ福岡?」と思われる方もいるでしょう。クラウド・サービスという国境のないビジネスサービスを提供する同社は、日本を足掛かりにアジア太平洋に進出すべきと考えていました。東京よりアジアへの玄関口として距離的に近く、空港まで15分のコンパクト・シティーである福岡は魅力的です。東京に比べると通勤、家族との生活、子育て、どれを取っても社員とその家族のライフ・クオリティーが見込めます。私が大学時代を過ごした場所なので、すでに人脈があったのも大きいですね。

福岡とは大学以外にも不思議な縁がありました。今まで福岡市にシアトル地元企業紹介をしていた縁もあり、2年前、高島宗一郎福岡市長がシアトルを訪問された折に昼食会に招かれました。その昼食会に海外進出支援の依頼を受けていたComputeNextのCEOを連れて同席したのです。CEOは福岡について全く知らなかったのですが、私はその場で「ComputeNextのアジア進出に向けて福岡に支社を作ります」と宣言しました。こうした日本進出も信念を持って準備していたからこそ、できた縁だと思っています。

登記完了後すぐにCEOを福岡へ連れて行き、市長を表敬訪問しました。それが記者会見にまで発展したのですが、メディアに露出したことで、人材募集をまだかけてもいないのに、同社で働きたいという方から問い合わせが来ました。世の中で起こるこうした縁は、「偶然」ではなく、「必然」です。偶然を必然にするのは、情熱ではないかと思います。運は降ってくるものではなく、自分で引き寄せるものだとも思います。ビジネスにはネットワーク作りが欠かせません。自分が本当にやりたいことを見つけて、諦めない情熱があれば、人脈は自然に広がっていきます。逆に動機が不純だと、本来会える人と巡り会えない。信用を得るには誠実さは言うまでもないですが、ビジョンも大切です。

また、地域とのつながりも重要です。3月に、事務所を福岡の中心地天神にあるスタートアップ40社余が入る大名小学校跡地に始まったFUKUOKA growth nextに移転しました。IT経済特区の福岡には新しい企業が流入してきており、大都市で唯一人口増加している都市だと聞いています。大学や企業で講演や研修も行い、人材育成にも力を注ぎたいと考えています。いわゆる恩送りでしょうか。EnLinxPartnersでは事業の柱の2つ目として人材育成を掲げていますので、その活動拠点がシアトルだけでなく福岡にも広がった形です。

シアトルから日本文化を発信

ライフワークの少林寺拳法は、大学で始めて以来、40年近く続けています。元々、中学3年のときにブルース・リー主演映画『燃えよドラゴン』を観て、「少林寺」という名前に憧れを感じました。『秘伝少林寺拳法』(宗道臣著、カッパブックス)を読んで「これだ!」と思い、道場を探したのです。

私がシアトルに来た当時、シアトル支部はすでにあったのですが、転勤でいなくなる支部長の代わりに引き継いで欲しいと言われ、それからは私が指導することになりました。現在、シアトル支部では約20人が稽古しています。

2009年からシアトル大学でも少林寺拳法を指導するようになりました。知人の教授に頼まれて少林寺拳法を題材に「武道と禅」のテーマで講義をした際、興味を持った学生たちが大学に掛け合い、クラブ設立になりました。多くの人々に少林寺拳法に親しんでもらえるよう、両支部の拳士と共に地域の文化イベントなどで演武や体験クラスも行っています。

2年前から、ベルビュー・チルドレンズ・アカデミーの建物をお借りして、居合も教える縁をいただきました。居合は20年前、故郷の防府に引っ込んでいた時期に、地元におられる「無雙神伝抜刀術 貫正館」の梅本美樹先生から手ほどきを受けたのが最初です。シアトルに移ってからは主に独り稽古でしたが、たまたま日本に出張中にテレビ番組で町井勲さんを見て、その技量には舌を巻きました。早速ネットで調べてコンタクトし、大阪まで会いに行きました。人の噂より自分の目で直接会って確めるというのは、仕事も足で稼ぐと同じで自分の信条です。その時も理屈より先に身体が動いて、週末には新幹線に乗っていました。そうした縁がきっかけで、シアトルに「修心流居合術兵法 修心館」の道場ができました。

EnLinx Partnersの3つ目の事業柱として、日本伝統工芸の海外への紹介があります。自分が好きでやっていることで、ビジネスにはなっていません。大学時代に見た国宝級の日本刀の美しさに感動し、刀にずっと興味を持っていたこと、居合稽古を始めたこと、そして、世界でも名高い吉原義人刀匠と知己を得たこともあり、伝統工芸の中でも自分が好きな日本刀紹介に焦点を当てています。日本の文化・歴史を日本刀を通じて理解してもらうため、「和道」のウェブサイトで日本刀の魅力や日本文化を英語で伝えると同時に、着物、漆器などとのコラボレーション・イベントも積極的に開催しています。最近は日本に行くたびに刀匠、研師、刀剣商などの日本刀関係者にお会いし、話を聞くようにしています。

「半ばは自己(おのれ)の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」という少林寺拳法の開祖宗道臣の教えがあります。10が自分の求める幸せのレベルとしたら、10になるのを待たず、1〜9のどのレベルでも良いから、その時々にできる貢献を常に心がけるという意味と理解し、座右の銘にしています。

ビジネスで言えば、売り上げを追求し、利益を上げることは当たり前の命題でしょう。しかし、儲けの追求だけが幸せに繋がるのでしょうか。「Win-Win」でお互い儲けましょうというアメリカ的な勝ち負けの考えではなく、「お互いが幸せに(Happy & Happy)」が私の哲学です。初めから儲かるビジネスなんてないと思います。ビジネス協業の相手が見つかった時、新製品発表の達成感など、金銭的ゴールまでにハッピーなことはたくさんありますよね? 人生ではそれが大事。これからも情熱を持ち、みんなでハッピーになれるよう、いろんな人とつながりながら3本柱を育てていければと思っています。

 

* 本稿は、シアトルの日本語情報紙「ソイソース」(2017年6月23日掲載)からの転載です。

 

© 2017 The North American Post

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