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日系アメリカ文学を読む

第9回 『カブールの園』

年齢を重ねていけば誰しも過去を振り返るようになる。自分がどこから来たのか知りたくなったり、どうして今の自分が今のようになったのかを考えたりするときがある。自分の親や祖父母のたどった過去が気になってくる。

『カブールの園』の主人公はカリフォルニアで暮らす日系三世の女性レイ(玲)。幼いころ虐められ、差別されたことによるトラウマを抱え、母親との関係に悩む彼女が、あるときマンザナー収容所跡を訪ねたことから母親との関係を修復し、日系である自分自身を受け入れていく物語だ。

作者の宮内悠介は、この作品を月刊文学界の2016年10月号に発表、今年一月文芸春秋社から出版、芥川賞候補作となった。惜しくも落選したが、このほど第30回三島由紀夫賞を受賞した。

宮内は、これまでに『盤上の夜』で第33回日本SF大賞を受賞(2012年)、『彼女がエスパーだったころ』で第38回吉川英治文学新人賞を受賞(2017年)するなどの受賞歴をもつ。また、来月選考会が行われる第157回直木三十五賞候補に彼の『あとは野となれ大和撫子』がノミネートされている。

現代の日本文学を代表する一人である1979年生まれの作家は、アメリカを舞台にして、日系アメリカ人の歴史を背景に、38歳になろうとする日系人女性レイの心の葛藤を描く。日本語を解さない三世のレイの物語が、一人称の日本語で書かれているわけだが、まるで三世の日系アメリカ人作家の小説の翻訳を読んでいるような気にもなる。

レイは、トラウマの治療として先端的な心理療法を受けている。仕事はコンピュータと数式を相手にする技術者でありマネジャーで、「作曲のできるユーチューブ」といった楽曲制作技術の開発に携わる。絵本作家志望でナチュラリストのジョンと同居。思慮深く穏やかで詩やブルースの薫りのする男だ。

仮想現実を使った心理療法やクラウド上での音楽のやりとりなど、背景の仕掛けはクールだが、レイが抱える心の問題は、日系人のアイデンティティや差別といった歴史的、社会的に重い事実に深くかかわっている。

レイの心は虚ろで、居場所はない。この国(アメリカ)で、人はなんにでもなれそうでなれない。

「わたしは、ただ消えてなくなりたいと願っていた。誰でも、なんにでもなれるこの国の西の最果てで」

「誰にも共感せず、誰からも共感されずに。誰でもなんにでもなれる、この国の情報技術産業の先端で」

自分を支える碇もなく、自分の世代感もない。自分を束縛しようとする母からは、逃げ続けてきた。後で考えれば、それは自分自身とは何かという問いから逃げていたことだと気づくレイに変化をもたらしたのは、移民一世である彼女の祖父母が大戦中に収容されていたマンザナーの収容所跡への訪問だった。ビジターセンターには日系人への差別についての展示などがあり、また、一世の証言が音声として残されていた。

そのなかにレイが、幼いころお世話になった日系一世のおじいさんの言葉があった。これがきっかけで、おじいさんの息子をロサンゼルスのリトル東京に訪ね、祖父母や母について今まで知らなかった事実を聞くことに。

祖父母と母もまた、自分と母の間に確執があったように、確執や断絶があった。二世である母に日本語を教えたがった祖父母。だが母は日本語を覚える意味もわからず、原爆投下もやむを得ないことだと言い祖父の怒りをかった。母はアメリカ人になろうとした。だが、憧れの仕事に日系人の席はないことを知る。母もまたその運命ゆえ傷ついていた。

そして初めて思う。「半世紀前。そうだ、母の少女時代だ。その時間を、母はどう過ごしたのだろう」

マンザナー訪問の後、今まで忌避していた母に会いに行く。小さくなった母、自分のことなど理解していなかったと思っていた母への誤解が解かれ、母と自分はそもそも表裏一体だったと思い知る。

レイが開発したトラック・クラウドなるウェブ上の“商品”は、だれかがつくりオープンにした音楽の組成情報をだれもが購入でき、世界中で人種も年齢も宗教も関係なく、好きなものが参加して、シェアして好きな音楽をつくることができる。

ちょっと胡散臭いが、好きなところを取り出して、好きなように作り出す。レイの人生も、つなぎ合わせの世界のようだが、そのなかでも自分で決めて生きること、自分と自分の時代を認めて生きることしかない、と覚悟を決めたように聞こえるところが清々しい。

レイはリトル東京で、収容所内で生まれた日本語による同人誌「南加文芸」を手渡される。作品を興味をもって英訳してみるが、母もまたなぜか収容所内の文芸を、英訳とともに冷蔵庫に貼っていた。

世代がかわれば読まれることはないと思われる、アメリカにおける日本語での「伝承のない文芸」。しかし、英語ではあるが、それはレイ親子に小さな形で伝わった。日本の文芸史の枠外に置かれた小さな文芸活動に光をあて、作者たちの寂寥感をあらためて浮かびあがらせた作者の視点にも共感を覚える。

(敬称略)

 

© 2017 Ryusuke kawai

fiction Garden of Kabul identity japanese american literature sansei Yusuke Miyauchi

このシリーズについて

日系アメリカ人による小説をはじめ、日系アメリカ社会を捉えた作品、あるいは日本人による日系アメリカを舞台にした作品など、日本とアメリカを交差する文学作品を読み、日系の歴史を振り返りながらその魅力や意義を探る。

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