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ホノルルの向こう側 ~ハワイの日系社会に迎えられて~

第10回 ハワイ日系人の「ウチ」と「ソト」

前回はホノルルのラジオ局KZOOを詳しく取り上げた。中学1年生の頃にその存在を知り、30歳の夏から現在まで毎年数回欠かさずハワイに通うなかで、現地での運転中は必ず聴くことにしているラジオ局である。住んでいたときは、日本についての日々の情報源でもあった。

今回は引き続き、少し見えてきたハワイ日系人のアイデンティティについて考えてみたい。結論は出ない。あれこれ考えるだけである。ただ、ハワイの日系人なのだから日本人のアイデンティティと重なるところが大きいのではないか、という日本人の希望的観測を前提としないでおこう。

日本語のわかる日系二世たちには人気のあるKZOOであるが、非日本語話者にはその存在があまり知られていない。三世のMさんは当然知らなかったし、日本語をかなり操ることのできるLさんも聴いたことがないそうだ。私と同世代の四世の小学校の先生には、「毎年オキナワン・フェスティバルで生中継をしている局」くらいの認識しかなかった。

三世より若い世代の日系人たちも、それまでの世代と同じように玄関では履物を脱ぎ、米を炊き、箸を使って食事をしている。盆暮れには家族で集まり、クリスマスも正月も祝う。われわれ日本人よりも家族の結びつきは強い。そのような今を生きている日系人とはどのような人たちなのだろうか。

第2回「オシャレをしてもお洒落ではない?」の冒頭に、「ハワイの日系人は多様だぞ。『ハワイの日系人は』とひとくくりにはできないよ」とMさんに忠告を受けたことを紹介した。私はMさんが勤務していた小学校に20年以上通い続けている。

ある日Language Artsの授業で、自分は何人(なにじん)かと問われた30人ほどの子どもたちが、全員「ハワイ人!」と答えた光景に出くわしたことがある。迷うことなく皆大声で叫んでいた。3、4年生のクラスでも5、6年生のクラスでも同じだった。そして、それに続けて「僕はデンマーク系らしい」「メキシコ系」「日系」「パパはドイツ系だけどママは日本人」「オキナワン(沖縄系)」「ロシアと中国」などのように、自分の民族性をきちんと説明するのである。自分たちはまず「ハワイ人」という土台があって、そこから先がそれぞれ違っているのだそうだ。「ハワイ人」+「エスニック・アイデンティティ」ということになるらしい。

これはまさに「第5回 失われつつあるのかもしれない日本的価値観 ― 変わりゆくハワイの文化 ―」で紹介した「シチュー」論なのではないか。ハワイは「メルティング・ポット」でもなく「サラダボウル」でもない。やはり「シチュー」なのである。「ジャガイモや人参、玉ねぎやブロッコリー、セロリといったシチューの具がハワイに住む民族であり、それぞれの角は取れて丸くなり、シチューのスープに溶け出している。スープはハワイの「ローカル」文化であって、自らの身体にまとわり付き、互いに共有している」そういう社会なのだ。

ハワイの日系人は、自らのエスニシティを他の民族との区別の道具というか、境界を意識するものとして使っているようには私には感じられないのである。来週からハワイにこのエッセイの材料を探しに行くのだが(今、その機内で推敲している)、20年以上ハワイに通いつめてなお、ハワイの日系人は「ウチ」と「ソト」をどのように使い分けているのか、という疑問をもつことがある。

人間は分類の指標を得たとき、無意識のうちに「そうであるもの」と「そうでないもの」を区別してしまうと、社会心理学ではよく言われている。「北米」と言われて、カナダとアメリカを頭に描くだけではなく、日本やイギリス、オーストラリアは北米ではないと、ほぼ同時に考えているのだそうだ。「四国」と言われた時も同じである。四国四県をイメージするだけでなく、大分や山口、広島、岡山などもすぐに浮かぶ。私は愛媛の松山市出身なのでそうなるが、徳島出身の人なら兵庫、大阪、和歌山あたりを思い浮かべるのかもしれない。

これまで私は、様々な民族のハワイの仲間たちが日本文化に興味関心を持ってくれていることに、面白さと喜びを感じてきた。今でもそうである。それは私自身の中に、日本とそれ以外、日本文化とそれ以外といったカテゴリや境界線が無意識のうちに存在しているということである。あなたたちとは違う私たち、のように。その感覚はどうやっても拭い去れない。

これに対してハワイの日系人の友人たちは、ごく自然に異なる民族文化(「異なる」とは境界線を前提とした表現だが)を受け入れているように思える。「受け入れる」というよりも「ハワイ人」として、多様な文化を自分のものにしているのかもしれない。カテゴリや境界が存在していないか、あったとしても緩やかなものであり、「ウチ」と「ソト」というより「みんなウチ」という意識でいるような様子である。なぜそうなのか。これを書くまでにも長く考えてきたが、“Ohana”というハワイ語に何か手がかりがありそうだ。“Ohana”とは、日本語のウィキペディアによれば「ハワイ語で、広義の『家族』に相当する概念。ただし、オハナは、血縁関係がない者も含んだ意味での『家族』を意味するという点や、世代を超えて永々と続くという捉え方が強調される点に特徴があり、英語のfamilyなどと単純に同一視すべきではない概念であるとされる」と説明されている。

午前中に小学校に行った後、午後はMさんLさんと約束があった。ランチをどうしようか、街で食べてから向かうか、と考えた。MさんLさんに甘えて、あのガレージで何か食べながらお喋りするのも楽しい。迷いながら電話して、「何か買って行こうか?」と言うと、「バカ言うんじゃない!すぐ来なさい!」という返事だった。ワクワクしながら行ってみると、Lさんの兄さんも来ていて、一緒に素麺を食べる準備ができていた。「そういう時は、『何か食べるものある?』と言いなさい。Ohanaなんだから。」そういうことらしい。

MさんLさんを二度、松山に招いている。築103年の実家に一度、3年ほど前に新築した新しい実家に一度である。今年の春には、京都で開かれた妹たちのピアノコンサートにも二人は来てくれた。二人を我々のOhanaのメンバーとして迎えたような雰囲気になった。すると母は、私がハワイでMさんLさんに世話になることについて、何も言わなくなった。以前は「迷惑をかけないように」とうるさかったのに。母もOhanaの感覚を身につけたのだとしたら、これからが面白くなりそうだ。


さて、時代が進んでいくと「シチュー」はメルティング・ポットになるのだろうか。ハワイの多様な民族は、相互に文化の受容が進むと皆「ハワイ人」になっていくのだろうか。今はその過渡期なのだろうか。

異人種・異民族間結婚による混血と、文化の受容・混淆とを一緒にして考えてはいけないのかもしれない。だが長らく学問的には、たとえばブラジルのような混血が進んでいる社会では、このまま時代が下ると「皆違う」存在となって、したがって差別も意味をなさなくなりパラダイスが訪れると考えられてきた。

この考え方にダウトをかけたのが私の友人の森仁志さんであり、著書『境界の民族誌 ― 多民族社会ハワイにおけるジャパニーズのエスニシティ』で、単純にはパラダイスにはならないことが証明されている。混血の人間は、自らの複数の民族性を時と場合に応じて使い分けることがわかったのである。

ということは、シチューの具が完全に溶けてしまい、スープだけになるということにはならない。冒頭に紹介した子どもたちが、「ハワイ人」でしかなくなる日は来そうにないということである。

この10回目のエッセイを書いている最中に、学会から投稿論文の審査を依頼された。全く偶然で驚いたが、アメリカ本土の日系四世の文化的アイデンティティについてのものだった。執筆者には是非この分野を開拓していってほしいと心から願っている。審査意見にもそのように書いておいた。

 

© 2017 Seiji Kawasaki

hawaii identity Ohana

このシリーズについて

小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。