ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2017/3/13/japanese-brazilian/

ブラジルではいつも「日本人」でしたが、ポルトガルでは「ブラジル人」になりました。

先日、このウェブサイトに掲載されているハドソン岡田著『アストロ』を読んだのと同時に、何年も前に自分の身に起こった出来事を思い出しました。

私はサンパウロの首都で、日本人の父と日系移民の娘である日系人の母の間に生まれました。そのため、私の顔立ちは日本人的で、日本にいるときは口を開かない限り、誰もが私を生粋の日本人だと思うほどです。そうです、日系人(少なくとも私たちブラジル人)は、日本語を話すとき、やや独特な発音のせいで、いつも自分を裏切ってしまうからです。

幼少期から青年期にかけて、私はイピランガ地区に住んでいましたが、そこは日本人家族があまりいない通りでした。だから、みんなが私のことを「日本人」と呼ぶのが普通だと思っていました。学校でも、日系人の生徒がかなりの数いたので同じ扱いだったかどうかは覚えていないが、ポルトガル語の教師が日系生徒の発音に混乱して、一人ずつ「生徒の名前だけ」と呼んだ日のことは覚えている。日本語では「おじいちゃん」と「おばあちゃん」という 2 つの単語を話します。閉じた「o」と開いた「o」の発音を知っているかどうかを知りたかったのです。この態度に私は非常に驚いたので、この調査の結果がどうなったのか、あるいは私がこの 2 つの単語を満足のいくように発音したかどうかは覚えていません。

大学(USP)でも同様のケースを目撃しましたが、言語学の教授が出席者リストを参照し、ひっかけ質問に答えるために日本人の名前を持つ人だけを呼び出したときです。

1970 年代の終わり、ポルトガル語教師としての初日、私が指示された部屋に入ると、生徒たちはすぐにこう言いました。「先生、今はポルトガル語の授業です…」

日系人は厳密な科学を好む傾向があるため、彼らは私が数学か科学の教師だと思ったに違いありません。

等々。生徒の保護者が私と話したいとき、「あの日本人の先生と話したい」と言いました。教師の大多数が子孫である学校であったため、彼女がどの教師になるかを見つけるのに伴う労力を想像してみてください。

とにかく、私は60年以上の人生を「日本人」と呼ばれて過ごしてきました。

しかし、2011年にポルトガルを訪れたとき、前例のないことが起こりました。

私はリスボンの中心部、より正確に言えば、古い建物とさまざまな典型的なレストランが並んでいる絵のように美しい通り、ポルタス・デ・サント・アンタン通りに滞在しました。

さて、初日、私はレストランに入り、「イワシのグリルとカルド・ヴェルデが食べたい」と言いました。その時、ウェイターは目を見開き、一息ついた後、まるで偉大な発見を告げるかのように叫んだ。「しかし、あなたはポルトガル語を話しますね!」

他の客、おそらく他国からの観光客の注意を引かないように、私はブラジルで生まれ育ったので、母国語はポルトガル語であると説明しました。

それでも彼は、まだ信じられない様子でこう言った。「でも、ここに来る他の日本人はあなたのように話さないのよ!」

私はこう思いました。なるほど、彼は日本からポルトガルを訪れる多くの観光客のことを言っているのですが、彼らはせいぜいポルトガル語を数単語しか知らないのです。しかし、私はイワシをとても味わいたかったので、ただ微笑んでこう言いました。「私はあなたの言語を知っている日本人女性です。」

リスボンでの会話。写真 木村直美

他の日も同じでした。どこに行っても、何かを言わなければなりませんでした。そして、販売員が私を驚いたような目で見ました。そして、自己紹介をしなければなりませんでした。「私はブラジルで生まれました、ブラジル人です」。

つまり、特にポルタス・デ・サント・アンタンのレストランのウェイターたちは、私が通りで指差しているのを見ると、嬉しそうにこう言いました。 「あのブラジル人を見てください!」

生まれて初めて感じる驚きと嬉しい新しさでした!

© 2017 Laura Hasegawa

ブラジル ポルトガル アイデンティティ 日系ブラジル人 言語 ポルトガル語
このシリーズについて

小さいころ、わたしは日本語とポルトガル語を混ぜて話していました。小学校に入ると、自然に日本語とポルトガル語を区別するようになり、ポルトガル語で文書を書くのが楽しみになりました。60年後の今は、ポルトガル語と日本語の両方で書くのが一番の楽しみとなっています。このシリーズを通して、いろいろなテーマの話をお届けできればと思います。朝のさわやかな挨拶のように、皆さんに届きますように。

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執筆者について

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)

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