ジャーナルセクションを最大限にご活用いただくため、メインの言語をお選びください:
English 日本語 Español Português

ジャーナルセクションに新しい機能を追加しました。コメントなどeditor@DiscoverNikkei.orgまでお送りください。

そもそも「移民」は差別語か? アイデンティティに関わる表現 ー その2

その1を読む >>

「渡日」「訪日」「帰国」日本との距離感が違う言葉

言葉は生き物だ。だから、言外に感情がこもる。移民が使う言葉には、「祖国から離れた場所にいる」という「郷愁を伴った距離感」が無意識に強く付きまとう。「本来自分がいるべき場所」と「今いる場所」のズレが激しくあり、人によっては「帰りたくても帰れない」という状況に陥って、ただの「郷愁」から「精神病」の域になっている人が相当数いる。そのような人が言葉を発した場合、あらゆる日常の中に、自然と強い郷愁の感情が込められる。

たとえば、1967年ごろ邦字紙に発表された作品に、「日本へ一メートル近く葬られ」という句がある。川柳だろうか。

おそらく竹馬の友とか、開拓を共にした親友の葬儀の際に、棺桶の位置が最初よりも1メートルばかり北西に埋められたのを見て、「その分だけ、日本に近いな」と思った心の機微を詠んだ作品だ。それを「あえて詠んだ」という行為からは、作者の気持ちの中にその1メートルが「友へのせめてもの慰め」と感じた部分があったことがうかがえる。

そこには、生まれた国に住み続ける人には理解の仕様がない、病的なまでに悪化した郷愁がもたらす感性へのおかしみが自嘲的に込められている。ブラジルにおける物理的な1メートルは、飛行機で30時間もかかる地球上で最も離れた国との関係において、じつに無意味な長さだ。だが、郷愁を患う移民からすれば、「慰め」が入り込める余地のある心理的な距離なのだ。

日本の人にとっては、例えば青森と東京でも充分に遠い。だが、移民の場合はけた違いだ。地球上でもっとも祖国から遠い所に住む移民にとっては、「日本との距離感」を表現する事は、常に大きなテーマだった。

その結果、距離感に加え「国境を越える日本語表現」にバリエーションが多い気がする。

日本の新聞においては「国内」といったら、何も言わずとも日本国内のことだ。だが、ニッケイ新聞のブラジル社会面で「国内」といったら、それはブラジル国内のことだ。でも、日本語で「国内」といった時点で、どこか日本国内的なニュアンスが生まれてしまうので、あえて「伯国内」という風に明示するよう心がけている。

たまに新聞にでてくる「移民が渡日」との表現も、少し悩むことがある。日本の「外務大臣が渡米した」とかの場合に使う「渡×」の表現だ。

誰々さんが何年に「渡伯」した、とか。もっぱら日本人が外国へ行く時に使っている感じがする。では「渡日」の例を探してみると、「ザビエルが渡日した」というのがあった。つまり、外国人が日本へ渡ることのようだ。

では、日本移民が日本へ行くことを「渡日」というのだろうか。おそらく言わない気がする。この場合は、やはり「訪日」もしくは、「帰国」という方がしっくりくる気がする。

では、ブラジル人たる二世、三世も「渡日」なのか。それとも「訪日」なのか。「訪日」は外国人でも、海外在住日本人でも使える便利な言葉だから、これが無難のように思う。

かと思えば、北島文子という戦前に『キング』や『婦人サロン』などの日本の有名雑誌に記事を書いていたジャーナリストで、結婚して渡伯し、文芸活動をしていた女性の経歴を見ていたら「帰日」という表現があり、頭を抱えた。

これも微妙だ。「帰日」という言葉は、日本を祖国として強く意識している感じがする。「帰国」という表現は、外国人がする動作としても使えるので、国籍と関係なく誰にでも普遍的につかえる。でも「帰日」は海外に住んでいる日本人しか使えない。

その他、日本の日本人がブラジルへ来ることは、我々にとっては「来伯」だが、デカセギに行っていた戦後移住者がブラジルへ戻ってきたら「帰伯」だ。家族がいる場所が家、故郷と思えば、「帰伯」といいたくなる。

でも実は、家族丸ごと日本に働きに行っている場合は、どうだろうか? 元々、国境を超えて行き来しており、どちらに本拠があるのかあいまいなデカセギの場合は、けっこう表現が難しい。

「帰日」の使用例(『北島府未子作品集』1964年、日系出版社)

メディアと方言の関係

前回は「1992年にブラジルに来た頃は、コロニア語に慣れるまでに3カ月かかった」と書いたが、現在そんなことは無くなった。なぜかといえば、理由は簡単だ。コロニア語が1998年以降、みごとに減ったからだ。その年に何があったかと云えば、NHKワールド・プレミアム(日本語の国際放送)がブラジルでも見られるようになったことだ。

だいたい日本の「共通語」としての日本語が成立したのも、「国民的同調装置」ともいわれる機能をはたしたラジオの普及以降(1925年)といわれる。だから、それ以前にブラジルに来た移民は、コーヒー園で農業労働を始めても、同じ「日本人」でありながら他県出身者とは会話が成立しない場合がけっこうあった。だから、時間をかけて「コロニア語」が共通語として形成されていった。

98年以前までは、ブラジルで初めて使うようになったものは、ポルトガル語で言うことが多かった。戦前移民は日本で畳の上で生活していたから、ベッドはこちらに来てから使うようになった。だから、日本語でなんと言うか分からず、ポルトガル語で「カーマ」と表現してきた。「リングイッサ」(ソーセージ)、「ビスコイト」(ビスケット)しかり。

そこへ98年以降、今の日本の日本語が、コロニアのお茶の間にも大量に流れ込んできた。メディアの威力は凄いとつくづく感じる。

NHKを見ることによって、ポルトガル語のカタカタが、すべての現代日本語のカタカナに「上書き」された感がある。

もちろん、NHKを見ていない人も多いが、邦字紙を読んでいる層に限定すれば、おそらく半分以上、もしかしたら7割程度という相当な割合が視聴していると推測される。周囲がNHKを見てコロニア語を使わなくなれば、見ていない人も当然、影響を受ける。

そのように一世による「日本語ベースのコロニア語」が消滅すると、逆に二世、三世の「ポルトガル語ベースのコロニア語」が目立つようになる。

そのような経緯で、日本語の単語をポルトガル語に借用語(カタカナ)として使う「ガイジン」などの使い方が、気になるようになってきた部分がある。

アヴァレー日伯文化体育協会の会館の側面に、目立つように「Kaikan」と書かれている様子

そのほか、「Kaikan」(会館)もポルトガル語化している。これは日本の日本語では「ある団体が使う建物」の意味だが、日系社会の「Kaikan」は「日系団体」そのものを指すようになった。

この種のポルトガル語ベースのコロニア語は、いずれ別稿を書きたい。

* * * * *

NHKは邦字紙にとっても大変化をもたらした。日本の情報は以前、邦字紙しかないから、郵送で1週間、十日がかりで届いた新聞でも、読者は有難がって読んでくれた。NHKが見られる今は違う。「1週間前のニュースなんか載せやがって。お前んとこの新聞は、届いた日から古新聞だ」と言われるようになった。通信テクノロジーの発達によって、我々が「古新聞」とののしられるのは仕方ない。

ただし、コロニア語の価値は、「大陸」という環境で数万人規模の永住者によって日本語が日常的に使われている「場」というところにある。これは、今もって世界的にごく稀だ。

今まで見てきたように、コロニア語には、なんというか、日本語を外国から眺めているような視点がある。

日本の日本語にまとわりついている「島国感覚」を明確にするという役割や、「島国感覚」から一歩外に出た「国際的な言語表現」に磨き上げる試金石になる可能性がある気がする。

あって欲しい―というのが正確なところかもしれない。そんなコロニア語が消えていくのは、やはりモッタイナイ。

 

© 2017 Masayuki Fukasawa

Brazil Colonia-go identity Japanese language NHK