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「JRパス騒動」に対する、ブラジル日系人社会の反応

海外に移住した日本人、つまり、一世の人々にとって、移住後の日本訪問には、特別な意味があります。日本に住む親族や友人に近況を報告したり、旧交を温めるだけでなく、みずからの人生における日本との「つながり」を再確認するための一種の「儀式」でもあります。それは、日本の親類や友人にとっても、海を越えた人間関係を振り返るための、非常に良い機会です。


ニッポンは遠きになりにけり?

JRパスとは、1987年のJRグループ発足後に販売が始まった、日本を訪問する外国籍の人を対象とした、短期間有効の周遊乗車券、ジャパン・レール・パス(Japan Rail Pass)のことです。いくつかの種類がありますが、最も安価なものは、普通車使用で、7日間有効のものが、29,110円となっています。有効期間内であれば、JR各社の鉄道路線のほか、一部のJRバス路線、さらには宮島航路などが乗り放題となります。(参考までに、現在の、東京~新大阪間の東海道新幹線の普通車指定席の正規料金は、片道で14,450円です。) JRパスは日本人であっても、移住した国の永住権の取得、あるいは移住した国の出身者との国際結婚など、一定の条件を満たせば、「特例」として購入が認められています。この「特例」をめぐって、2016年の年末から17年の春にかけて、ひとつの騒動がありました。

来日旅行者の多くは、事前にJRパスの引換券を購入し、日本到着後にJRパスを取得する。(写真:ウィキペディアより)

2016年の11月、JR各社は2017年3月31日をもって、日本人へのJRパス購入を認めない方針を明らかにしました。その主な理由として、窓口業務と改札業務が、煩雑化していることを挙げました。事実、JRパスでは自動改札機が使用できないため、駅係員の改札を受ける必要があります。さらには、指定席券の購入の際には、自動券売機が使用できず、係員のいる窓口において発券する必要があります。人件費の削減が常に求められている日本の鉄道業界においては、このような乗車券の販売を廃止したいのが「本音」なのです。1

JRの「決定」にいち早く反応したのが、戦後移民が多く、現在もたくさんの一世が活躍しているブラジルの日系人社会でした。サンパウロ新聞やニッケイ新聞などの日系各紙が記事として大きく取り上げると、多くの一世からさまざまな意見が出ました。

ある一世は、JRパスが購入できないと出費がかさむので、「祖国が遠くなった」と、悲しみをあらわにしました。別の一世は、日本政府は観光立国を目指すためにさまざまな政策を行っているにもかかわらず、JR各社が移住者の存在を切り捨てようとしていることは許しがたく、それは「おもてなし」の精神に反するとして、怒りをあらわにしました。ある県人会の会長は、JR各社に翻意を促すべく、JR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)に嘆願書を送ったところ、「JRパスは外国出身者を対象としたものであって、日本人の存在を想定したものではない」という回答が送られ、とても失望したと語りました。さらには、日本人のブラジル移住は、国策によるところが大きく、移住者は「民間大使」でもあるとして、JR各社はこれらを十分に考慮したうえで、JRパスの日本人への販売を継続すべきだという声も挙がりました。

これらは単なる声にとどまらず、社会運動へと発展しました。ブラジルの一世の人々が中心となって、日本政府やJR各社への陳情を積極的に行いました。また、インターネットを活用した呼びかけでは、ブラジル国内のみならず、世界の各地に移住した日本人の支持を得ることもできました。さらには、ブラジルに駐在する日本大使の佐藤悟氏は、日本の国土交通省を訪問した際に、国土交通大臣に直接、この決定の見直しを要求しました。

その一方で、日本国内では、日系人社会とは異なった「反応」がみられました。JR各社を利用する人々の大半は、日本に居住する日本人であり、肝心の「お得意様」の存在を無視するのは言語道断であるとし、日本に居住する日本人をもっと優遇すべき、という声が多くあがりました。JR各社はかつて、割引率が高めの周遊乗車券を数多く販売していましたが、長期休暇期間のみの販売となっている「青春18きっぷ」を除いて、今ではほとんどが廃止されています。人口減と、それにともなう鉄道事業の収益減少を理由に、JR各社は、割引乗車券や周遊乗車券の販売には非常に消極的です。2

一部の日本人からは、外国に居住している日本人には「既得権益」があるとして、強い非難の声があがりました。割安なJRパスを外国人にのみ販売するのは、「逆差別」であるという声もあがりました。しかし、このような意見は、利用者の実情や歴史的経緯への認識不足からくるものであると、わたしは考えると同時に、強く反論します。実際に、JRパスを利用する日本人のなかには、「案内役」として、外国出身者の日本旅行をサポートする重要な役目をになう人々が少なくないことを、多くの日本人は知りません。海外在住の日本人がJRパスを購入できなくなると、観光立国を目指す日本政府や、海外からの観光客による収入を期待している、地方の経済界にとっては痛手になるとわたしは考えます。3

JRパスをめぐる騒動に、新たな展開がみられたのは、2017年3月31日のことでした。各方面からの数多くの陳情や嘆願書、さらには、観光立国を国是とする政府からの要請を受け、JR各社は当初の決定を撤回し、これまで同様、日本人のJRパス購入を東京オリンピックが開催される2020年末まで認めると発表しました。さらには、政府は2017年の9月、JRパスの高速道路版にあたる、“Japan Expressway Pass”の販売を検討していることを明らかにした。外国出身者、さらには在外邦人が、日本を訪れやすくするための「準備」が、着々と整えられているようです。4 

JRパスについては、オリンピックの年までという、極めて限定的なものではありますが、ブラジルの日系人社会をはじめ、関係者の多くは、この決定に一定の理解を示し、安堵しました。ある一世は、今後もJRパスを購入することが出来るので、死ぬ前に再び日本を訪問して、オリンピックを観戦したいと語りました。また、海外に移住したある日本人は、まだ日本を訪れたことのないわが子のために、JRパスを使用して、日本のさまざまなところに連れて行きたいと、心をはずませました。

海外に移住した日本人の日本訪問は、単なる里帰りではなく、日本の文化を次の世代へと継承するための、大切な機会でもあります。JRパスは、そのための重要な役割を果たしていることは、誰もが否定できないことです。しかしながら、そのJRパスの存在をめぐって、一部の国民から「非難」の声が挙がったことは、無視できない事態であると、わたしは考えます。

また、JRパスをめぐる「騒動」の根底には、業務のさらなる効率化と、収益増を目指す、JR各社の厳しい経営事情があると、わたしは考えます。単に、JRパスの販売を一部の人々に認めないという選択肢ではなく、利用客の理解を得たうえで、利用条件や料金を変更することもできたはずです。海外で暮らす一世の人々が引き続き簡単に日本を訪問できるよう、JR各社は来日観光客や移住者の実情把握し、オリンピック後のJRパス販売継続について、再度検討していただきたいと思います。

注釈

1. 『JRパス「在外日本人は使用不可」撤回の舞台裏』 東洋経済 (2017年05月27日)

2. 現在の日本の鉄道業界は、不動産業や小売業といった副業を強化することで、公共交通としての社会的義務を果たすと同時に、生き残りをかけています。都市部においては、通勤時間帯における、いわゆる着席保証列車(有料制の通勤ライナー)の運行によって、収益の改善を図る鉄道会社もあります。

3. 観光客向けの割引乗車券は、韓国のほか、ヨーロッパ各国でも販売されています。

4. 国交省の報道発表による。

 

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