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「ノーノー・ボーイ」の世界を探る

第17回 第九章、葬儀、そして再出発

シアトルの中の日本と“お寺” 

日本人移民の古い歴史を持つシアトルには、かつて日本人町が形成され、日本のコミュニティーにあるようなものは、ほとんど形をそろえていた。1903(明治36)年に渡米した永井荷風は、「アメリカ物語」のなかで、最初の寄港地であるシアトルの街のようすが、日本のまちと少しも変わらないと驚いている。

これらの中には、日本から持ち込まれた宗教(仏教など)もあり、日本的な寺院も建設されていく。シアトルでは移住当初、移民はキリスト教に影響をうけたが、1901年にシアトル仏教会(浄土真宗西本願寺派)が設立された。

「米國日系人百年史」(1961年)によれば、太平洋戦争直前の1940年には、シアトルには、仏教会が4つあったほか、いくつかの派のキリスト教協会、日蓮宗、天理教などの教会があったという。

「ノーノー・ボーイ」九章は、主人公イチローの母親の葬儀からはじまる。自殺した母親の葬儀は、仏教の寺院で行われるが、モデルになっているのは、Seattle Buddist Templeと現地で呼ばれる浄土真宗のお寺と思われる。

著者のジョン・オカダは、葬儀の様子をかなり具体的に描いている。二世として、親である一世たちの葬儀を見てきた経験などからか、日本語の単語をそのまま使って記述はしていないが、できるだけ雰囲気も含めて細かく再現している。

葬儀がはじまる前から、遺族のもとへ、親戚や友人、知人が詰めかけ、女たちは世話をやき、男たちは一張羅を着て飲み、語るといった描写は、日本の昔の葬儀の様子を見ているようでもある。オカダは、この小説を書いた後に一世についての小説を計画していたというから、一世の生活などについて関心をもっていたと想像できる。

シアトル・ブディスト・テンプル(Google Mapより)


父とイチローはどう受け止めるか

葬儀のなかでは、母の半生が明らかになる。

母は、「明治三一(1898)年に農家に生まれ、健やかに成長して学校に行き、優れた成績のため表彰され、りっぱな若者になり教師になったが、その職を辞して同じ村の聡明で大志ある若者と結婚した。そして、大海を越えていい暮らしが待っているアメリカへと移った」とされている。

その聡明で大志ある若者だった父は、戦争を挟んで、精神を病んでいた母が亡くなったことで、まずは悲しさよりも安堵の気持ちを抱く。立派な棺をそろえ、立派な葬儀を出すことで父は満足感を覚えていた。

葬儀の最中の父の様子がこう書かれている。

「――父は意味のないほめ言葉一つひとつに熱心に聞き入っていた。いまでは自分の存在意義にすっかり満足して、姿勢を正し、集まっている人みんなに嬉しそうにほほえんでいた。」

葬儀の主役となり、ようやく一家の主としての役割を全うできることに、自信も取り戻していた。妻の手前、日本へ送ってやることができなかった物資を、やっと自分の判断で送ってやることができた。だが、その決断をもっと早くすべきだったかもしれないという暗黙の後悔が心に潜んでいることを、著者はさりげなく示している。

一方、日本のしきたりをよく理解できないイチローの目には、葬儀が一種のショーのように映り、うんざりするばかりだった。そして、出棺のときに、偶然友人のフレディーを見かけて、彼の車に乗り込みその場から逃げ出してしまう。

そこで、ふたたび母について、今度は同情の思いをめぐらす。

「――母さんに悪気はなかった。ずっと間違っていたし、ずっと狂っていたし、無情で頑固だった。でも、正しいことをしていると思っていたんだ。物事がうまくいかなかったのは母さんのせいじゃない。おれたちみんなが戦争で苦しめられ、ジャップが太平洋沿岸から追い出され、あまりにもごちゃまぜの憎悪をかきたてられて、誰もがまともに考え、感じられないようになったのは、母のせいじゃない。」

そして、イチローもまた父と同様に、母の死により束縛からの解放も感じる。

「母さんは死んだ。時は、母さんを遠くへと押しやった。そして時がおれの過ちを覆い隠すだろう。母は死んだ。おれは悲しくはない。以前より少しだけ自由で、わずかだが希望も感じる。」


享楽的に走るしかないフレディー

フレディーの車に乗り込んだイチローは、イチローと同じ“ノーノー・ボーイ”であるフレディーが、アメリカ人として戦った日系アメリカ人とトラブルを起こしていることを知る。フレディーは毒づく。

「やつらはこの国のご主人さまのつもりでいやがる。おれの前からどきやがれってんだ」

それと同時に、自分の親たちである純粋な日本人にも怒りの矛先を向ける。

「――あいつらはここに来るべきじゃなかったんだ。ここに来る権利なんかなかったし、おれを産んで古い国の人間にする権利もなかった。日本についてくだらないことを言うだけだ。日本がどうした、こうしたって、クソ! おれがどうなったかを見りゃ、ちっとは反省しそうなもんだが、反省なんかしやしない。前とおんなじようなことばっかり言ってやがる。――」

こうした言葉を聞いて、イチローは、毎日を享楽的にがむしゃらに生きようとするフレディーが、なぜそんな風に生きざるを得ないかを理解する。

「それは水上スキーをしているようなもので、適度のスピードで進んでいる限りは、水面をかすめて飛んで行くが、速度を落とすか止まった瞬間に、なにも手助けしてくれない無のなかに沈んでしまう」ということだった。無理に突っ走らざるをえない姿を、哀れだとも感じる読者はいるだろう。


束の間のやすらぎ

葬儀も終わり、フレディーとも別れ帰宅すると、母の死を知ったエミがイチローを訪ねて来る。ドイツに駐留する夫のラルフと離婚することになったという。ケンジも死に、強い孤独感に浸るエミは、「――昔みたいにダンスをしに行ったら素敵だろうなあって。あなたが私を連れ出しに来てくれるのを期待していたわ」と、イチローに冗談交じりに言う。

すると、イチローはダンスに行こうと言い、葬儀の日だからよくないというエミの言葉を遮り、彼女を連れ出す。誰も彼らを知らない大きなナイトクラブで、踊る二人は、このときだけは安らぎと幸せを感じる。

この小説のなかでもまた、読者が束の間安らぎを感じる場面だ。

(敬称略、翻訳は筆者による)

 

© 2016 Ryusuke Kawai

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このシリーズについて

太平洋戦争を挟みアメリカで生きた日系アメリカ人二世、ジョン・オカダ(John Okada)が残した小説「ノーノー・ボーイ(No-No Boy)」。1971年に47歳で亡くなった彼の唯一の作品は、戦争を経験した日系アメリカ人ならではの視点でアイデンティティをはじめ家族や国家・民族と個人の在り方などさまざまなテーマを問う。いまも読み継がれるこの小説の世界を探りながらその魅力と意義を探っていく。