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「花嫁のアメリカ」実録

1986年渡米、カリフォルニア州ハンティントンビーチ在住・ギザラ勤子さん

友人の紹介でヘリ・パイロットの将校と出会う

ギザラ勤子(いそこ)さんが将来の夫となるレイモンドさんと出会ったのは、1984年、25歳の時だった。場所は沖縄の普天間基地。「米軍のパイロットと結婚していた友達に紹介されました。普天間の海兵隊の将校で、主人はヘリコプターのパイロットとして働いていました」。そして、レイモンドさんが帰国するまでの半年間、お茶を飲んだり、映画を見に行ったりして一緒に過ごした。勤子さんは最初、結婚は意識していなかったそうだ。しかし、レイモンドさんは帰国後も、熱心に手紙を送ってきた。

「主人の方が積極的?どちらかと言えばそうだったかもしれません。カリフォルニアのニューポートビーチに住んでいた彼とは、1年ほど、いわゆる遠距離恋愛のような形でした。『良かったらこっちに遊びに来ませんか』と誘われて、1カ月ほど、滞在。妹がやはり海兵隊の人と結婚してアメリカに住んでいたので、サウスカロライナまで妹に会いに行ったりもしました。主人は私を実家があるニュージャージーに連れて行き、お父さんとお母さんに会わせました。私はそういう(結婚する)つもりはなかったのですが、彼の両親は私のことを気にいってくれたようでした」

夫とは1年間の遠距離恋愛の末に結ばれた

勤子さんとレイモンドさんは、その後も沖縄とアメリカで遠距離恋愛を続けた。「私が日本に戻って、さらに1年間の手紙と電話のやりとりを経て、彼が沖縄に迎えに来てくれて『結婚してください』とプロポーズしたのです。母は、既に妹もアメリカ人と結婚していたこともあり、『世間様に顔向けができない』と反対しました。母は泣きました。しかし、そこで、妹の国際結婚の後押しをしてくれた祖母が、私の結婚に対しても『泣くことはない。家族が世界に益々広がる。素晴らしいことだ。結婚させなさい』と母を説得してくれました」

1986年、沖縄で結婚式を挙げ、さらにニュージャージーでも挙式した。皆に祝福された。「主人の両親からは、娘ができたと大歓迎されました。大事にしてもらいました」

軍を退役していたレイモンドさんは、ボーイング社に就職したが、不景気の影響でその後解雇された。現在は、IT系の会社に勤務している。


夢は夫婦で沖縄での引退生活

二人は最初、アパートで新婚生活をスタートし、一軒家を購入、その後、さらに家を買い替えた。子どもは娘2人。勤子さんもウィークエンドはレストランで働きながら、夫と助け合い娘2人を大学まで卒業させた。

28歳の長女は、父親と同じ海兵隊のヘリコプターのパイロットと婚約中だと言う。「昨年11月に婚約者が沖縄に出張した時も、娘は一緒について行きました。つくづく、親に似た人を選ぶものだと思います」と感慨深けだ。同居している下の娘は、ニューポートビーチ市の職員として働いている。

二人の娘に恵まれた。長女は、父と同じ海兵隊のヘリコプターのパイロットと婚約中  

勤子さんは今も昼間は高校のカフェテリアで働き、夜はパートタイムで、日本食レストランでレジの仕事をしている。「最初に働いたのは(日本食の)ベニハナ・レストランでした。こっちに来て、友達が誰もいなかったので、あそこで日本人の友達が初めてできました」

趣味は、同じオレンジ郡に暮らす妹の博美さんと習う琉球舞踊。オレンジ郡アナハイムの琉球舞踊教室での勤子さん  

のべ1年の遠距離恋愛を経て、結婚して30年。レイモンドさんに贈る言葉は「私をずっと大事にしてくれてありがとう、と言いたいです。ずっともめごともなく、娘達を一緒に育て上げてくれたことに感謝しています。素晴らしい二人の娘を授けてくれたことが、彼からの最高の贈り物です」

老後は夫婦二人で、勤子さんの故郷の沖縄に帰って穏やかにのんびり暮らすことが夢だと語る。「主人も沖縄が大好きなのです。今年、主人は60歳。引退するためにも、まだしばらくは私も主人も働きます」

 

© 2016 Keiko Fukuda

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このシリーズについて

第二次大戦後にアメリカ人将兵に嫁いだ日本人女性、そして80年代にGIと結ばれた日本人女性まで、幅広い世代の「アメリカ軍人と結婚して渡米した花嫁」たちの軌跡を追う。