ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2016/1/1/feast/

家族を作るごちそう

ネーサンおばさんの家のドライブウェイに入ると、タイヤの下から砂利の音がパチパチと聞こえてきます。車を停めて、私と夫のジョシュはシートベルトを外し、小さな二人の娘を後部座席から降ろします。毛布やぬいぐるみを持って家まで歩き、網戸をノックします。

「あけましておめでとう!さあ入って!」80歳を過ぎたおばさんが元気に迎えてくれます。ハグや驚き声(「オチビちゃんたち、ずいぶん大きくなって!」)が上がった後、30メートル位離れたところに住んでいるサダコおばさんの家に持って行くものがあるかどうか、おばさんに尋ねます。照り焼きチキンや絶品フルーツサラダを持って家を出て、おばさんやおじさん、いとこたちに踏み固められて歩きやすくなっている小道を進みます。

もっとたくさん石が敷かれている別のドライブウェイから階段を上り、キッチンに入ります。いとこのヒロシとソウジは、お雑煮を朱と黒の漆器のお椀に盛り付けています。私は娘たちにコンロの火に気を付けるよう言い聞かせます。緑茶とコーヒー用のお湯を沸かしているのです。家族への挨拶が始まります。

挨拶とハグの旅は時計回りに進みます。ロサンゼルスから来ているキッチンにいるソウジからです。左を見ると小さなリビングがあり、お正月用の鏡餅とみかんが仏壇に供えられています。そこにはトミおばさんがいて、後でスクラブルゲームができないかと言っています。いとこのダニーとハグをします。照り焼きチキンは今朝彼が焼いてくれたものです。陶器のお猪口にお酒を注ぐのに忙しいヒロシおじさんともハグをします。

リビングの向こう側にはビュッフェ用のテーブルが見えます。並んでいるお料理の多くに文化的な意味があり、幸運や健康、繁栄を招くと信じられています。誰がパーティーに来ているのかも、このテーブルを見ればすぐに分かります。ネーサンおばさんの甘煮は陶製の深鍋の中でカセットコンロに乗せられてグツグツと音を立てています。サダコおばさんは薄切りきゅうりの上にマグロを並べたものを、シノブおばさんはプエルトリコで覚えたお豆とお米の料理、フィリピン系の私の母はルンピア(フィリピンの春巻き)、いとこのヒロシはスパムむすびを作りました。デザートもあります。いとこのスーの手作りアップルパイ、シノブおばさんのココナッツプリン、オースティンから来た妹がこちらに来てから作ったキャロットケーキです。

ビュッフェ用のテーブルからとった料理

私の上の娘はカマボコを、下の子はお花の形のカットオレンジを欲しがっていますが、私はもう少し待つように言いきかせます。まだ挨拶をしていないいとこがいるからです。最終的に総勢25人が集まり、約22平方メートルの中になんとか着席して食事をしました。

お正月に集まるのは父方の家族です。父の兄弟5人とその妻や夫、子供たちです。私が生まれるずっと前、祖父のジュンイチは日系アメリカ人コミュニティの家々を訪ね、一軒一軒祝杯を挙げて回りました。ご近所さんへの年始のご挨拶が終わると、祖父母は家族を集めておせち料理を食べました。彼らは小作人でしたが、お正月を何よりも大切にしていました。ある年祖父は家族が集まってご馳走を食べるためにと、結婚指輪を売ったほどでした。

おせち料理や家族が集う場所は年月と共に変わっていきました。ネーサンおばさんの家ではいとこと外に出て、ぶどう棚の下で遊んだものでした。我が家では書斎に集まってアメフト観戦をしました。父は、木製の折り畳み式長テーブルをお正月用に準備していました。食器棚は、和食器とお箸の入った陶器の花瓶でいっぱいになっていました。

25年程前に父が急逝した時、父の兄弟は私たちにそっと寄り添い、助けてくれました。新品のコート、本、大学に行くための資金を提供してくれました。それから毎年私たちを家族の集まりに呼んでくれました。

おばさんたちは70代、80代になり、おせち料理の中には簡略化され、省略されるものも出てきました。しかしサダコおばさんの家では今でも小さい子供は外で遊び、アメフトのハーフタイムにはスコアを見に行き、使う食器もほとんど変わっていません。おばさんやおじさん、娘たちの顔を見ると父が見えます。父は今もここにいるのです。

恒例のお雑煮

私はもうすぐ40歳ですが、今でも「子供席」に座ることになっています。お雑煮のお椀、お猪口、水のボトルがそれぞれの席に置かれています。ジョシュがキッチンからお代わりのお雑煮を運ぶ手伝いをしています。お雑煮には、だし汁、餅、鶏肉、昆布、春菊の若葉が入ります。私は後から父のレシピですき焼きを作ります。父に食卓に来てもらうのです。

ようやく乾杯の時間になりました。ビュッフェテーブルの上にかけてある一世の祖父母の白黒写真をちらりと見ます。60年経った今でも私たちは世界中から集まって来ています。これが私たち家族の在り方です。私たちの帰る時間、帰る場所です。

杯を上げて、「あけましておめでとう!」

 

* 本記事は2014年に「Edible Seattle」に掲載されました。

 

© 2015 Edible Seattle / Tamiko Nimura

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執筆者について

タミコ・ニムラさんは、太平洋岸北西部出身、現在は北カリフォルニア在住の日系アメリカ人三世でありフィリピン系アメリカ人の作家です。タミコさんの記事は、シアトル・スター紙、Seattlest.com、インターナショナル・イグザミナー紙、そして自身のブログ、「Kikugirl: My Own Private MFA」で読むことができます。現在、第二次大戦中にツーリレイクに収容された父の書いた手稿への自らの想いなどをまとめた本を手がけている。

(2012年7月 更新) 

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