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アマゾンの日系社会

第3回 夏祭り

盆踊りに参加する人たち(筆者撮影)

 

「今年も盆踊り、参加できる?」婦人会の会長さんからご連絡をいただき、あれから1年がたったことを実感した。昨年、ベレンに赴任してまだ2週間ぐらいしかたっていないころ、誘われるままに参加した夏祭り。行くのにどのくらい時間がかかり、どんな催しが行われ、何人ぐらいの人が参加するのか、何もわからず、会場へ連れていっていただいて、ずっと盆踊りの輪の中に入っていた。また、参加者がとても多くて、ブラジルの日系社会の大きさを感じたのを覚えている。以前住んでいたメキシコでも、一大イベントである母の日のパーティーにはたくさんの方が参加され、とても盛り上がっていたが、日系人の数が2万人のメキシコと160万人のブラジル(平成26年現在「海外日系人協会ホームページ」)とでは、その様相が異なるのは言うまでもない。

夏祭りは、1980年代中頃から毎年行われている。日本文化を広める、文化協会の資金集め、会員どうしの親睦、などが目的で、老若男女が一同に会する大きな行事だ。飾り付けに使われる紙の花、販売される饅頭や漬物、お弁当などは、すべて婦人会の方々による手作り。日本語学校の生徒たちが描いた絵は、行灯に使われる。驚いたのは、看板とすべての飾りを毎年作っていること。暑くてとても湿度が高いという土地柄、保管しておくと、色が変わったりカビが生えたりしてしまうそうだ。

午前中にある日本語学校の授業は、後半を使って、幼児以外の生徒全員、先生と一緒に祭りの準備を手伝う。嫌がる子どもは一人もいない。中学生の男の子は脚立に乗って行灯つけ。それを手伝う小学生。女の子は櫓の柱にテープを巻く。自然と役割が分担されている。会館へ行くと、台所で大勢の婦人会メンバーが販売用の商品を作っていて、とても賑やか。昼食もそこで用意されており、準備を中断して一緒に食べる。こうして30年以上、毎年みんなで祭りを作っている。行事を通して、大人から子どもに「日本」が受け継がれていく。一つのテーブルを囲んで、笑い声が響き合う。幼いときからこの社会で暮らし、何か催される度に集まる。先生の言葉を借りるなら、「みんな家族のようなもの」なのだ。

日本語学校の生徒(筆者撮影):夏祭りの準備中  

こういう機会には、いつも、お互いのつながりを感じてきたのだろう。それは日本につながりを感じることでもあり、自分のアイデンティティを確認することでもあったのだと思う。一人ひとりのこの確認は、日系社会の存続に大きくかかわる。所属する人たちがルーツを意識することは、日系社会が「日系」社会としてあり続けるために大きな意味を持つからだ。また、日系社会の存在は、ブラジル社会の財産にもなる。多くの日系人が、政治家、医者、大学教授などになり、ブラジル社会の中で活躍している。そしてそれは、政治的、経済的、文化的にブラジルと日本の関係強化に貢献することになり、日本にとっても有益だと言える。

ブラジルで日本語教師をしていると、「継承日本語教育」という言葉をよく耳にする。日系人を対象に、日本語を含めた日本文化全般を継承していくことを目的に教える日本語教育を指す。日本語の授業の一貫として夏祭りの準備をすることは、まさにそれに当たる。夏祭りという文化行事に参加するだけでなく、生徒一人ひとりが準備段階から携わることで、それぞれが日本につながりを感じながら、親から子へ、子から孫へ、その思いが継承されていく。そうして日系社会の未来が形成され、ブラジルの社会資源となり、日本社会の発展へとつながる。

祭りの開始時刻から参加して、ただ盆踊りの輪の中に入って踊っていた昨年とは違って、準備の時間から見せていただいた今年は、日系社会の輪の中に入って踊った、そんな気がした2年目の夏祭りだった。

 

© 2015 Asako Sakamoto

Belém bon odori Brazil festival natsumatsuri

このシリーズについて

ボランティアの目から見たアマゾンの日系社会について、一世、日系人、日系社会、文化、日本語、いろいろな角度から語るジャーナル。日々の活動を通して感じたこと、日系社会の歴史と現状、等々をお伝えします。