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芸術とコミュニティー活動に情熱を捧げる :アーティスト リチャード・ユタカ・福原 ~ その1

日本人の誇り

「私はジャパニーズであることを誇りに思っています(I am proud of being Japanese)」。写真を使ったオリジナルでユニークな作品で知られる日系3世のアーティスト、リチャード・福原は、初対面の私にそう言った。事前に彼が取り上げられた記事に目を通していた私は、リチャードさんが戦時中にアイダホ州ミニドカの日系人収容所で生まれたことを知っていた。戦後、ロサンゼルスに戻って来た一家は戻る家もなく、リトルトーキョーの教会の一時避難所に3カ月、身を寄せた。リチャードさんの父は、ゼロから庭師のビジネスを再開し、後に母と共にナーサリーを始めて、家族のために身を粉にして働いたそうだ。最初は日本人差別から客もなかなか付かず苦労した。

物心ついたリチャード少年は「日本人だ」というだけで偏見の目にさらされた。「私はその頃、ずっとアメリカ人になりたいと思っていました。日本人じゃなくてね。だから日本語学校が嫌いで、日本語を身につける機会を逃してしまったんです。でも年を重ねると共に、自分が日本人である実感と誇りの気持ちが湧いてきました。日本語を習得しなかったことについては、後悔、先に立たず、です」

父親のビジネスはやがて軌道に乗った。「働き者でしたからね、父は」。日本人の親について語るリチャードさんは誇らしげで生き生きとしていた。「カリフォルニア州サンタバーバラ生まれで山口県でも教育を受けた帰米二世の父は柔道二段。オレゴン州ポートランド生まれの母は、盆踊りの名手で着物の仕立までこなす器用な人でした」

父親はナーサリーで盆栽を扱い、母は生け花もこなした。芸術家としての遺伝子は両親から確実にリチャードさんに受け継がれた。「私には3人の兄弟、2人の姉妹がいますが、両親、私も含めて、家族全員で美術展(Family art show)を開いたことまであるんですよ。オープニングイベントには大勢の人が集まってくれて盛大でした」


大事なのは「忘れない」こと 

ロングビーチで育ち、大学在学中には新聞社でスポーツフォトグラファーとして、そして地元の病院でメディアフォトグラファーとしてパートタイムで働いた。スチール写真家として60年代後半に入隊、退役後の1970年に撮影スタジオを立ち上げ、制作活動に従事してきたリチャードさんだが、常にコミュニティーの活動にも積極的だった。今も「忙しい日々を過ごす」と話す彼の名刺には、関わっている6団体のロゴが、名称のアルファベット順に並ぶ。

LANSCAはロサンゼルスと名古屋の姉妹都市委員会。55年の歴史を持つ同組織には、彼のシリーズ作品「タペストリーズ」の展示会を是非LANSCA主催で開催させてほしいと依頼されたのが関与のきっかけだったと振り返る。同シリーズは、都市のイメージをカレイドスコープ状に表現したもので、「ロサンゼルス・シティホール」(2005年)、「ウォルトディズニー・コンサートホール」(2007年)、「名古屋シティホール」(2009年)、「名古屋JRタワーズ」(2010年)などが発表されている。

ラブ・トゥ・ニッポン(Love to Nippon)は東日本大震災の復興をアメリカから支援するプログラム。「震災のサバイバーである鵜浦真沙子さんが立ち上げた組織です。被災者のために日本でゴルフトーナメントを開催して寄付金集めをするなど、積極的な活動を展開しています。私も真沙子さんも、ボランティアの方々の情熱と行動力に感銘しました。大事なことは『忘れない』ことなのです。あんなに悲惨な出来事(リチャードさんは実際に2度ほど被災地に足を運んでいる)が起こったのに、人々は時が過ぎると簡単に忘れてしまいます。非常に残念なことです。起こった悲劇を忘れずに、コンスタントに支援を続けていくことが重要です」

また、彼は震災当時の被災者の姿にも心打たれたと言う。「長い行列に並んでもおとなしく礼儀正しく自分の番を待つ。絶対に割り込もうとしない。日本人の辛抱は美徳です」

南加山口県人会では会長を務め、その3期目の任期が終わったところだ。「山口県人会への関与はいわば家族の伝統。父も兄も会長でした。県人会協議会に出席することで他県人会の方々とも知り合えます。しかし、どこの県も若い世代への継承に頭を悩ませています」。今の会長世代で英語を話さない人が少ないのに比べて、若い世代は逆に日本語を理解しない。リチャードさんが舵を取る山口県人会は英語で活動し、若い世代の巻き込みに成功していると語る。恒例のピクニックには250人の参加者が集まるそうだ。

日系ゲームスのパンフレットを手にするリチャードさん。
オレンジ市の自宅で

リチャードさんが発起人の1人である日系ゲームスは、子供からお年寄りまで幅広い年齢層の日系人が一堂に集まり、スポーツに興じる祭典。既に20年以上の歴史を誇る。「若い人は若い人だけ。お年寄りもシニア同士で集まるのでなく、同じイベントに参加する、これがコミュニティーにとって非常に大事なことなんです」と強調する。

七夕フェスティバルは、東北大震災の被災地である宮城県仙台とロサンゼルス、リトルトーキョーをつなぐイベント。毎年夏、リトルトーキョーの街が美しい七夕飾りで彩られる。リチャードさんはこの七夕飾りをモチーフにしたシリーズ作品も発表している。「収容所から戻った後、私たち一家はリトルトーキョーの避難所でお世話になりました。だから、リトルトーキョーは私にとっていわば故郷。故郷のために何かしたい、そして人々をリトルトーキョーに集めたい、という自然な気持ちから、このイベントのお手伝いもさせていただいています」

そして、彼が関与する6番目の活動が「シャドーズ・フォー・ピース」だ。タイトルは原爆による高温で焼かれた人々の影の形に所以する。日本語の副題は「子供の為に」。広島と長崎の経験を現代の人々に伝えるプロジェクトにも、リチャードさんは情熱を注いでいる。

その2 >>

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Shadows of Peace for the Sake of the Children
(Kodomo no Tame Ni)
THE HIROSHIMA AND NAGASAKI EXPERIENCE

2015年3月21日(土)・ 午後2時
全米日系人博物館にて

プログラムは英語でおこなわれます。
詳しい内容はこちら>>

 

© 2015 Keiko Fukuda

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