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おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

第二章「集合所」という強制収容所: 1942年春から秋にかけて (4)

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4. 「集合所」と外の世界をつなぐ

鉄条網に囲まれた中で生活していても、外の世界があると実感できれば、将来への希望を紡げます。ブリードが本や手紙を送り続けたのも、二世の若者が集合所内の学校や図書館の仕事を志したのも、先生姉妹が「サラミと学校を運び続けた」のも、今まで新聞社の掃除をまかされていた高校生を新米通信員にしたのも、「集合所」まで訪ねて来て下さった方も、そう、慣れない収容所内の図書館員に励ましと本を届けた司書の方々も、それぞれのやり方で、子どもたちに寄り添い、子どもたちに外の世界があること、子どもたちを信じて待っている人がいることを伝えたかったのかもしれません。

手紙

先日、ワシントン大学のアレン図書館の地下にあるスペシャル・コレクションで、子どもたちが収容所から出した手紙を読んでいました。その時、ワシントン・ミドルスクールのエヴァンソン先生1のファイルの中に緑のインクのきれいな筆記体で書かれたトクナリの手紙を見つけました。

5月8日に仮収容所についてから、10日、13日、18日と、10日間に3通も手紙を書いています。手紙からは平静な気持ちが伺えますし、収容所内の状況を心配しているクラスの子どもに「ここの状況もすぐによくなると思うので、あまり心配しないでね。」と、シアトルに残して来た友だちへの気遣いまでもみせています。13日の手紙は、クラスからの質問に答えていますので、トクナリの答えからみんなの質問をくみとってみてください。18日付けの手紙を手にとったときに、ぱらりと何かが机の上に落ちました。70年の歳月を経て、茶色になった四つ葉のクローバーでした。大好きな学校の先生や友だちのために、鉄条網のまわりで一人、四つ葉のクローバーを探すトクナリは何を思っていたのでしょうか。

トクナリがエヴァンソン先生のクラスにあてた手紙と四葉のクローバー(1942年5月18日付け)
(筆者撮影、ワシントン大学スペシャルコレクション)

  5月10日

親愛なるエヴァンソン先生とクラスのみんなへ、

ピュアラップの新しい家について、荷物をかたづけたり、家に手をいれたりの2日間がすぎ、みんなに短く「ハロー」とごあいさつです。最初に僕たちの部屋の事から。一部屋を7人で使っています。壁板は節穴と割れ目だらけで、変に寒気が入り込み昨晩は全然眠れませんでした。食事も少なく、部屋に帰ってからサンドイッチとクラッカーを食べました。ベッドは陸軍からの借り物で、マットレスは布袋に藁をつめたものです。

ちょうどきりのいい所ですから、ここまで。次までさようなら。みんな僕に手紙を書いてね。

 シアトルからの立ち退き者、     トクナリ       

  5月13日

親愛なるエヴァンソン先生とクラスのみんなへ、

みんなもだと思うけど、ハルオがぼくと同じキャンプじゃないのがすごく残念です。彼は多分キャンプDだと思います。

親切に僕にきれいな四つ葉のクローバーを送ってくれた君にありがとう。しかし、もっと大きなお礼を、僕にすてきな手紙をかいてくれたみんなに。今日は疲れたので、あまりすることがないんだ。できる限り、みんなの質問に答えていくからね。

1. エドワードヘ —— 学校はないんだ。

2. デイビィとウーフィヘ —— ウーフィが早くよくなりますように。それと、二人の写真をおくってね。

3. ソロモンへ —— あまり心配しないで。

4. ハーバートへ —— 僕もハルオが一緒のキャンプじゃないのが残念なんだ。だから、君からハルオへの「こんにちは!」のあいさつは、受取人不在で返送するよ。

5. ラルフへ —— 上に平らな板をのせただけです。これで質問の答えになってる?

6. リチャードへ —— ここの状況もすぐによくなると思うので、あまり心配しないでね。

7. アルバートへ —— また、家に帰れるように願っているんだ。

8. ケイティへ —— 僕が(シアトルに)戻る前に、悪い事をするのを止めとけよ。君のような女の子(をぴしゃりとお仕置きするの)にちょうどいいへら2を持っているんだヨ、僕は。

9. ルイーズへ —— [切手収集をしていたのでしょうか](分類したり、貼ったり)忙しくするまえに、もっと集めなくちゃ。使い古しの切手も忘れないでね。

10. シシールへ —— 君も書き方が上手になったと思うよ。その調子でがんばって。

11. メアリーへ —— キャンディが手に入りにくくなったって言っていたけど、あまり(状況が)ひどくないように希望するよ。こちらには全然ないんだ。

12. 僕の親友、ウォルターへ —— 家の母(の写真を新聞で)を見たって書いてあったけど、(その写真の中で)母はなにをしていたの? 次の手紙で教えて。

以上です。次までさようなら。

あなたの生徒、      トクナリ

  5月18日

親愛なるエヴァンソン先生とクラスのみんなへ、

同じクラスの人がここにいるかお尋ねでしたね。はい、でも一人だけ、ユリコさんです。彼女は偶然僕の家の道の向こうに住んでいます。彼女の住所はエリアC−ブロック2−キャビン22です。もし彼女に手紙を書くんだったら渡しますよ。そして、びっくりさせましょう。どうして(先生やみんなが)彼女の住所を知ったのか不思議がるでしょうね。彼女は第二食堂でウエイトレスの仕事をしていて、時々牛乳を配ったりしてくれます。

これは、僕が収容所内と鉄条網のまわりでみつけた四つ葉のクローバーです。どうぞ、ここにいる、すべての友人の思い出のために持っていてください。

いつまでも友達、       トクナリ

追伸、送って下さったガムやキャンディ、ありがとうございました。切手もたくさん集まりました。 

第二章(5)>> 


注釈:

1. Letters by Tokunari Kawada, May 10, May 13, and May 18, 1942. Ella C. Evanson Scrapbook. University of Washington Libraries Special Collections.

エヴァンソン先生は、ワシントン・ミドルスクールでホームルームの先生と学校図書館の司書とを兼任していました。先生自身、両親は1870年代ノルウェーからアメリカに渡り、ノースダコタの荒れ地を耕した、移民の子どもでした。ここでは子どもたちの姓は使わず名前だけにしてあります。

2. 以前、持ち手のついた40センチ位の平たい木のへらで、先生が生徒にお仕置きをすることがありました。トクナリはもちろん冗談ですが、ケイティは何をしていたのでしょうね。

 

* 子ども文庫の会による季刊誌「子どもと本」第134号(2013年7月)からの転載です。

 

© 2013 Yuri Brockett

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このシリーズについて

東京にある、子ども文庫の会の青木祥子さんから、今から10年か20年前に日本の新聞に掲載された日系の方の手紙のことをお聞きしました。その方は、第二次世界大戦中アメリカの日系人強制収容所で過ごされたのですが、「収容所に本をもってきてくださった図書館員の方のことが忘れられない」とあったそうです。この手紙に背中を押されるように調べ始めた、収容所での子どもの生活と収容所のなかでの本とのかかわりをお届けします。

* 子ども文庫の会による季刊誌「子どもと本」第133号~137号(2013年4月~2014年4月)からの転載です。