2009年1月26日
なんで?なんでブラジルに帰らなきゃいけないの?ねぇ、本当なの?と、マミーに聞いたが、マミーは忙しそうにキッチンで片付けをしていた。珍しく、そのときは「ジェシカも手伝いなさい」と、言われなかった。
わたしは本当に帰りたくない!「来年、ジェシカは中学生になるんだから、英語をもっと勉強しなさい」と、マミーは言っていた。マミーは、わたしの通っていたブラジル人学校で英語を教えていた。それなのに、急にブラジルに帰ることを決めたので、わたしはびっくり!マミーの考えてることが、わたしにはぜんぜん分からない。
明日の今頃、わたしたちはもう飛行機の中にいるんだわ。あぁ、もうどうにもならない。
愛しきディアーリョ1、おやすみなさい。
2009年4月1日
愛しきディアーリョ、ひさしぶりね。いろいろあって書けなかったの。ごめんね。
ブラジルに着いても、わたしはマミーといっしょにマリンガ2に行かなかったの。マリンガにはマミーのお母さんが住んでいて、わたしはとても会いたかったけど、学校のため行けなかったの。
今、わたしはサンパウロに残ってパパの家から学校に通ってるの。パパとマミーは結婚してすぐ日本に行ったの。それから1年後に、わたしが生まれたんだけど、パパはどうしても仕事が続かなくて、工場をやめてブラジルに帰ったの。それきり日本には来なかったので、パパとは8年ぶりに会ったの。
そして、パパのお父さんとお母さんと兄弟にはじめて会ったの。「わたしの名前はジェシカ・カルラです」と言うと、みんなはびっくり!
すると、アフォンソ叔父さんは、「JAPA3の顔とその名前は合わないよ!」と、言った。わたしはどきっとした。聞きたくない言葉だった。日本のブラジル人学校でもそう言われたことがあった。ハーフの生徒は「JAPAの顔をしている」グループと「JAPAの顔をしていない」グループに分かれていたの。生徒同士のジョークだったけど、同じことを言う生徒の親たちもいた。
ほんとうは日本にずっといたかった。日本人が通う学校で勉強したかった。日本人の子どもと友だちになりたかった。わたしは日本人になりたかった!
2009年7月14日
バチャンの家に来て、のんびりしている!夢のよう。
「バチャン」と呼ぶのはここだけの話よ。「ジェシカはブラジル人なんだから日本語を使う必要なんかない」と、マミーはいつも言う。でも、バチャンを「Vovó4」とは呼べない、バチャンの方がずっといい。かわいいと思わない?
毎朝、バチャンの作ってくれるおいしいパンやまんじゅうを食べて、いとこのリナちゃんとアケミちゃんと遊んだり、いっしょにゲームをしたりしている。
このまま、ここにいたい! バチャンの家から学校に通って、たくさん友だちも作りたい! でも、マミーはもうサンパウロにアパートを買って、仕事も見つけてしまったので、どうしようもないわ。
でも、バチャンは、わたしの味方だし、「マミーとよく話し合って、マミーを説得できたらいいなぁ」と、毎日思っているの。
愛しきディアーリョ、応援してね。
2010年1月25日
愛しきディアーリョ、わたしはしあわせだわ!
バチャンの家で暮らすのはとても楽しい!学校も大好き!そして、今はわたしの大好きな夏休み!友だちと毎日プールに行っている!アズキのアイスクリームにもハマッテいるの!
今年が最高の年になりますように!中学2年生になったの。もうすぐ新学期がはじまる!楽しみ!
日本ではできなかった日本語の勉強もはじめることになった!教会の日曜学校にも参加しているの。
愛しきディアーリョ、今年もよろしくね!
チャオ!
注釈
1. ダイアリー、日記
2. パラナ州で3番目に大きな町
3. 「日本人」や「日本系の」新聞、ラジオ局、クラブや和食などについての今風の呼び方
4. ポルトガル語でおばあちゃん
© 2015 Laura Honda-Hasegawa