ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2014/8/26/re-discovering-name-two-cultures/

二つの文化から再発見した私の名前

私は、日系四世の父とアイルランド系アメリカ人の母のもとハワイに生まれ、ジェイミー・ツツセと名付けられました。ハワイで日本名は珍しくありませんが、ツツセという名字はハワイやアメリカだけでなく、日本でもほとんど耳にすることはありません。実際私が調べた限りでは、私の家系以外にツツセ姓は見つかっていません。恐らく私は、現在日本に住む唯一のツツセだと言えるでしょう。

日本語に慣れていない人は、ほとんどの場合、ツツセ(Tsutsuse)の2つのTと3つのSに舌がもつれてしまいます。私は、あらゆる呼び方を聞きました。「トッツィー」、「トゥトゥスィー」「タスタスセィ」正しく発音することを諦めて、「ツナミ」と言う人もいました。小さい頃、私は「スー・サムバディ、スー・サムバディ、セイ・サムシング」と音節を区切って説明していました。でも、3年生の時の先生は、「ジェイミー・スー・スー・セイ」と言う代わりに、「ジェイミー・スーサムバディ・スーサムバディ・セイサムシング」と、1年間私を呼び続けました。

子供だった私には、それは面白いことで、人より目立つことを気にしませんでした。しかし、中学生になり、カリフォルニア北部に引っ越すと、人が私の名前から何を連想するのか、変化に気付くようになりました。カリフォルニアでは日本名は珍しく、「本当のところ、出身はどこなの?」という質問に頻繁に答えるうち、私はなぜか自分は本当は日本人なんだ、と思うようになりました。

このアイデンティティ意識は、長年にわたり私の自己認識を形成してきましたが、昨年日本に移り住んだ時、全てが変わりました。ツツセの発音を聞かれたり、名前の由来を尋ねられることはなくなり、「ツツセは漢字でどう書くの?」という質問に突然切り替わったのです。私は不意を突かれ、知らないと答えると驚かれました。私が発音するツツセの「セ」の前に、小さな「t」の音が入っていると指摘されたこともありました。私は長い間他人の発音を訂正してきましたが、今度は私が訂正される側になったのです。 

これは、私にとって妙な体験でした。私は、自分のアイデンティティの一部を失い、他の人たちが感じていた、「Tsutsuse」と紙に書かれた文字を口に出して言わなければならないという居心地の悪さを、今度は私自身が体験したのです。私は、すぐにツツセと漢字で書けるようになり、tの音を正しい回数使っているか確認しながら、発音を何度も何度も練習しました。それでも私は、自意識過剰になっていました。私が名前を言うと、皆が困惑した表情でそれを復唱し、私には自分が間違って言ったのか、それとも彼らが、当てはまる漢字を頭の中で探しているのかわかりませんでした。私は、ツツセと完璧に発音できなくても、少なくとも書けることを示そうと、空中に文字を書いて見せようとしました。

日本に1年住み、言語を学び、日本社会について理解を深めた今思うことは、私が自分の日本名以上に自分自身を日本人と思えないのは、発音や漢字能力の欠落のためではない、ということです。私の人生経験そのものが全く異なるのです。そして、私がアメリカで定義されている日本人像に当てはまるからといって、日本で定義される日本人像に当てはまるわけではないのです。

私の名前は、状況により様々な見方をされます。米国では私の名前は、日本を継承していることを絶えず主張しますが、日本では、自分が外国人であることを思い知らされます。この違いを理解することによって、私は2つの文化の間に自分自身を置き、どちらかの文化に私のアイデンティティを完全に共有することも、どちらか一方の文化に私自身が完全に定義付けられることもありません。

どこへ行こうと、私がどういう人間か、人は皆異なる見方を持つでしょう。でも、普遍的な見方がない限り、私が承認すべき客観的なアイデンティティというものはあり得ません。私には、他人が私をどう見るかではなく、私自身が考える本当の自分をもとに、独自のアイデンティティを築く自由があります。

私は、今でもこのことについて考えますが、物事を日本とそれ以外に分類し、自分自身を分断するのはやめました。私は、自分自身をどのように捉えるか、ということから名前を切り離し、混同することもやめました。なぜなら最終的に重要なのは、ジェイミー・ツツセの発音や綴りのエキスパートになることではありません。重要なのは、私がジェイミー・ツツセとして心地よく居られるかどうかなのです。

岩国にて。兄(弟)のジェフリー・ツツセと広島の親戚と共に。彼女の旧姓はツツセである。

 

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このエッセイは、「ニッケイ人の名前」シリーズの編集委員によるお気に入り作品に選ばれました。こちらが、編集委員のコメントです。

スーザン・イトウからのコメント

この作品のユーモアや名前に対するユニークな解釈、「ツツセ」という珍しい名字、そしていかに彼女の中の「日本らしさ」の認識が、ハワイ、北カリフォルニアそして最終的に日本に住むことで変化していったかを楽しく読ませていただきました。作品は意外性に溢れ、著書自身も、日本で漢字を調べた時、名前の起源と本当の意味に驚いていました。彼女の日系人としてのアイデンティティは、環境や周囲の期待により変化していきます。最終的に彼女は、他人からどう見られるかに左右されるのではなく、自分自身に満足することを学ぶのです。

アンドリュー・リョンからのコメント

ジェイミー・ツツセによる名前再発見の物語は、系図の謎、遊び場でのなぞなぞ、漢字能力テストという形で、読者をハワイからカリフォルニア、そして日本へいざないます。私は、ツツセが名前を解体する過程に素直に向き合う様子に強く感銘を受けました。それは、ことわざや他人の言葉ではない、実態が伴う平穏を見つけるための解体でした。

タミコ・ニムラからのコメント

ジェイミーが投稿してくれたエッセイは、彼女個人の名前に関するものですが、それは、広く日系人の名前にまつわる体験、すなわち、発音の難しさ、名前を漢字で書けるかどうか、文化的起源やアイデンティティとの繋がりと共鳴しています。一方、ジェイミーのエッセイは、それら全ての要素を一連の旅の中につなぎ合わせ、名前の意味の柔軟性に異なる視点を呈しているという点で突出しています。私は特に、彼女の、時代や文化、国、場所を超えた旅の描写力に感銘を受けました。

 

© 2014 Jayme Tsutsuse

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このシリーズについて

名前にはどんな意味があるのでしょう?このシリーズでは、名前の意味や起源など、日系人の名前(姓、名前、あだ名を含む)にまつわるこれまで語られることのなかったストーリーを紹介します。

このプロジェクトでは、ニマ会と編集委員に、それぞれお気に入り作品への投票と選考をお願いしました。お気に入り作品はこちらです!

選ばれたお気に入り作品は以下の通りです。

  編集委員によるお気に入り作品:

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執筆者について

近年南カリフォルニア大学(USC)を卒業したジェイミー・ツツセは、京都府でのJETプログラムに参加していますが、もうすぐ終了となります。ジェイミーは、2013年、USCでハパ・ジャパン・フェスティバルにボランティア・コーディネーターのリーダーとして参加しました。また、日本の京都を拠点とするクロス・カルチュラル・カンサイの発起人となりました。このコミュニティ・グループには、多様な背景の人々が集い、グローバルなアイデンティティを語り、祝福しています。ジェイミーは、秋からニューヨーク市に拠点を移し、執筆とジャーナリズムの世界に新たな機会を模索します。

(2014年8月 更新)

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