ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2014/3/10/three-years-after-2/

東日本大震災から3年: 南加宮城県人会の米澤義人会長に聞く その2

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「想像を絶した被災地の光景、これからもできることを続けていく」

東日本大震災からもうすぐ3年が経とうとしている。遠く離れたアメリカの地でも、故郷を思い、義援金活動に取り組んで来たのが南カリフォルニア宮城県人会だ。加入世帯数100組、大きいとは言えない組織だが、義援金は今までに16万ドル近く集まった。それも、20年以上会長職を続けている米澤義人さんのリーダーシップに負うところが大きい。

故郷とアメリカの日本人つなぐロサンゼルスの七夕祭り

米澤さんは32年勤続したUPSを退職後、1992年に出身地の宮城県人会の会長に就任した。県人会の百周年記念式典には、宮城県から150名のゲストがロサンゼルスに駆けつけ、当時のホテル・ニューオータニで盛大に祝った。

「それでも、私たちの会員の数が少なくて、宮城県からのゲストの方が多かったんです。消防団の団長さんに『県人会の役員は何名いるのですか』と聞かれた私は『10人ですが、一人千人力なので1万人分働きます』と答えました」

百周年の後に米澤さんが立ち上げたのが、ロサンゼルスの七夕祭りだ。仙台の本場の七夕飾りを手がける人をロサンゼルスに招聘し、本格的な飾りを持ち込み、さらにアメリカ側でたくさんの飾りをワークショップ形式で制作、それらをつなげて華やかな作品を完成させる。そして、完成した七夕飾りは毎年夏の七夕祭りでリトルトーキョーを彩る。

「リトルトーキョーをいかにしてまとめるか?そのためにも七夕祭りは理想的です。日本国内で七夕祭りは17カ所で祝われています。仙台だけのお祭りじゃない。だから、日本人が一つになれる日本的なイベントだと思うのです。米澤会長のアイデアで始まったロサンゼルスの七夕祭りは毎年少しずつ大きくなっています」と経緯を説明するのは、宮城県人会の大場弘毅(おおば・こうき)さんだ。

大場さんはコンサルタントという仕事柄、日米を往復することが多い。出張の際には仙台に立ち寄り、七夕飾り用の紙をロサンゼルスまで運んだりもしているそうだ。

左から宮城県人会の大場弘毅さん、会長の米澤義人さん、夫人の純子さん

街が津波に持っていかれた・そこには何も残っていない

こうして、少数精鋭の組織としてロサンゼルスの日系社会にも貢献してきた宮城県人会の人々に衝撃を与えたのが、あの東日本大震災だ。県人会では迅速に行動を起こし、義援金活動を展開したが、米澤さんと大場さんは震災後、実際に何度も被災地を訪れた。大場さんが震災後最初に訪れたのは2011年の6月のことだった。

「あまりにも綺麗に建物から何から、すべてが無くなっていることに唖然としました。どこに何があったかまったくわからない。地震だけなら崩壊した建物が残っているでしょう?でも、そこには何もなかった。いかに津波の威力が凄まじかったのか、ということですね」

3月11日、大場さんはアメリカで放送された震災の様子をすべて録画した。

「それを見てどういう状況かは頭の中で理解していたつもりでした。でも、実際に現地に行くと、あの凄さというのは想像を絶していました。あそこで助かった人というのは、奇跡ですね、本当に」

メディアが伝える被災地の映像はほんの一部分であって、行かないとわからない光景が目の前に広がっていたと大場さんは振り返る。市街地だった場所に打ち上げられた船、横に倒れたオイルタンク…大場さんは生々しい震災の爪痕を目撃して言葉を失った。

米澤さんもまた被災地を訪れ、さまざまな光景を目にした。「漁師さんが、建てたばかりの家を流されたと言っておりました。その漁師さんが作ったわかめを買って帰ったら、これがとっても美味しかった。そういうことも復興の支援になると信じています」

また、家を無くした人のために、自分が所有する山林の土地を寄付すると申し出た人もいたそうだ。「しかし、国から待った、がかかったそうです。国がまだ何もできていないのに、個人が何かをするということが許されなかったのかもしれません。寄付したいと言った人は津波で息子さんを亡くしているのです」(米澤さん)

故郷を思い、そして、その気持ちを形にしてきた米澤さんと大場さんをはじめとする宮城県人会の人々。米澤さんは日本を発って既に58年、駐在員として当初ニューヨークに赴任して来た大場さんもアメリカ生活が45年目に突入した。アメリカで家族を作り、没頭できる仕事に取り組み、気づけば数十年が経っていたという二人。故郷の何が懐かしいかを聞いてみた。

「私は地元のお祭りですね。今でも瞼の裏に蘇ります」(米澤さん)

「私は小学校時代の友達の顔です。昭和20年生まれの私たちには食べるものがろくになかったけれども、それでも子供同士でワイワイとやっていた時のことが懐かしいですね」(大場さん)

美しい故郷を襲った大震災。「これからもできることを続けていく」と米澤さんは言う。そして今年の夏も、人々と故郷をつなぐL.A.七夕祭りが開催される。

* * * * *

2014 L.A.七夕祭り

8/8 Opening Ceremony(開会式)
8/9 & 10 Food, Music, Entertainment (フード、音楽、エンターテイメント)

七夕飾りワークショップ

詳しくは、交番へお問い合わせください。
TEL: (213)613-1911

 

© 2014 Keiko Fukuda

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このシリーズについて

人と人との固い結びつき、それが、「絆」です。

このシリーズでは、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とその影響で引き起こされた津波やその他の被害に対する、日系の個人・コミュニティの反応や思いを共有します。支援活動への参加や、震災による影響、日本との結びつきに関するみなさんの声をお届けします。

震災へのあなたの反応を記事にするには、「ジャーナルへの寄稿」 ページのガイドラインをお読みください。英語、日本語、スペイン語、ポルトガル語での投稿が可能です。世界中から、幅広い内容の記事をお待ちしています。

ここに掲載されるストーリーが、被災された日本のみなさんや、震災の影響を受けた世界中のみなさんの励ましとなれば幸いです。また、このシリーズが、ニマ会コミュニティから未来へのメッセージとなり、いつの日かタイムカプセルとなって未来へ届けられることを願っています。

* * *

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執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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