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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2013/8/23/99nen-ai-haikei/

ドラマ『99年の愛』-作成の背景

(編集者注:本稿は、シアトルで行われた全米日系人博物館による全米カンフェレンス『Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity』での日本語セッション「99年の愛/憎しみ(99 Years of Love / Hate)」(2013年7月6日)で発表された原稿です。)

2010年にTBS開局60周年および終戦65周年を記念しての「5夜連続特別企画」と銘打って、ドラマ『99年の愛~Japanese Americans~』(原題)が放映されました。そのキャッチコピーは以下のとおりです。

99年前にアメリカへ渡った日本人移民が、働くため、生きるために人種差別や戦争による逆境・苦悩を乗り越え、行きぬく家族の “愛の物語”。脚本家、橋田寿賀子が、自身の生涯のテーマでもある「戦争と平和」というテーマで描く最後の作品として、世代を越えて現在に至る彼らの魂、そして99年にわたるその変遷を描く中で、日本人の誇り、勇気、愛を問いかけます。

このセッションでは、3人の報告者(飯野正子、島田法子粂井輝子)が報告します。まず私が、このドラマが全体としてどのようなものかという全体像と、作成の背景、そして、その作成過程において、私たち3人の研究者がどのように関わったのか、つまり時代考証についてお話しします。その後、島田さんは、私たち3人がした時代考証の結果を、そのなかでも興味深い点に絞ってお話しくださいます。そして、粂井さんは、このドラマをみた人びとの反応について、お話しくださいます。

ご覧になった方も多いと思いますので、あらすじは、ごく簡単にお話します。

時は2010年8月。シアトルで農場を営む二世の平松次郎としのぶ(次郎の兄、亡くなった一郎の妻)を、日本で暮らしていた、さち(一郎と次郎の妹)が訪ね、70年ぶりの再会を果たすシーンからはじまります。11歳でアメリカを離れ、日本で生きてきたさちが自分の家族の歴史を知るという設定です。

日系人の歴史をご承知のかたがたには、これだけで背景は十分かもしれません。日本から移民した親が、いろいろな理由で子供を日本に送り、兄弟姉妹がアメリカと日本に別れて過ごした例はたくさんあります。

その導入から、物語は一挙に99年前となり、島根県から移民としてシアトルにやってきた19歳の平松長吉の生活が描かれます。

すでに排日運動が盛んになっていた1910年代、渡米直後から彼は挫折を味わい、季節労働者として働きます。そして彼は写真花嫁(実は本人の妹--このような例は、かなりあったようです)と結婚し、4人の子宝に恵まれますが、4人の子供のうち、女の子を日本の親戚に預けます。その一人が、導入部でシアトルを訪れた、さちです。

そして28年後、ようやく自分の農場を持つ(Hiramatsu Farmという看板が出ているシーンがあります)のですが、そのころ、日米関係は悪化し戦争が始まり、アメリカにおける家族も、日本に送られた彼女らも、苦難の生活を強いられることになります。

戦時中の平松一家の生活は、日系人の典型的なものでした。長吉はFBIに捕らえられ、家族はマンザナー収容所に入れられる。そして息子(一郎)、つまり二世は忠誠審査にイエスと答え、第442戦闘連隊に入り死亡。そして、日本に送られた二人の女の子は沖縄と広島に別々に住むことになり、広島に住んだ一人は被爆して、その後亡くなります。沖縄に行った女の子が、この物語の導入部で、70年ぶりにアメリカに戻った、さち、というわけです。

戦死した一郎としのぶの子供が収容所で生まれ、ここで日系三世の世代が始まることも、ドラマのなかでは示されます。

一方、日本の敗戦を知り、日本に帰るべきか、アメリカにとどまるか、迷った挙句、日本に戻ろうと決心した一世、平松長吉・とも夫妻でしたが、ほどなく、長吉は自分の畑で自ら命を絶つのです。

戦後、第442戦闘部隊の活躍ぶりが報道され、日系人がアメリカ市民としてはっきりと認められるようになり、一世の世代は喜びますが、その後まもなく、長吉の妻ともが病いに倒れ、この家族の中では世代の交代がはっきりします。

締めくくりは、アメリカと日本、それぞれの地で懸命に生きてきた平松家が、それぞれの苦労を知ることで、なぜ自分はこのような運命を辿ることになったのかということに関する、わだかまりや疑念も解け、「99年前、一人の男が海を渡り、差別や戦争に翻弄されながらも作り上げてきた家族の愛と絆が再び深まる」というシーンです。

なぜ、このようなドラマを、TBSが記念番組として作成・放映したのかについて、プロデューサーは、こう語っています。

作品づくりのきっかけですが、そもそもの制作の出発点は、「2010年が終戦65周年という節目にあたる年」だったこと、そしてその年が「TBSの創立60周年にあたること」もあり、『戦争と平和』をテーマとした歴史に残るドラマを作ろうと、橋田先生とプランを練っていたときに、シアトルにお住まいのかたから知人を通じて、日系アメリカ人の歩みをまとめたアイデアをいただきました。それをきっかけとして、橋田先生がTBSのスタッフとともに各種の資料を調べ、またDENSHOのトム・イケダさん、北米報知のトミオ・モリグチさんらに協力を仰ぎ、ドラマの制作にあたりました。

プロデューサーの目指すところは、「一つの家族を通して、日系アメリカ人の歴史と生き様を描きたい」。「“戦争と平和”というテーマに加えて、戦前から戦中、戦後と米国で生き抜いた日系アメリカ人の生き様は、今を生き抜くための大きなヒントになるはず。だからこそ、今、伝えなければならない作品だ」というのが、プロデューサーの決意の表明です。

以下は、脚本を執筆した橋田壽賀子さんの言葉です。

“戦争と平和”は私の一生のテーマです。今回の物語は、100年前にアメリカへ渡った日系移民の家族を通して、戦争と平和への全ての想いを託した私の集大成であり、これが私にとって最後の作品になると思います。 

私自身、終戦時は20歳。戦前・戦中・戦後の全てを経験しました。今回の100年にわたる家族の物語で伝えたい事は、私の遺言でもあります。

戦乱の時代に翻弄されながらも、“努力”と“勇気”と“後悔”を胸に、懸命に生き抜いた家族の物語を最後に書いておきたかった。

日本をみつめ直す事を、忘れないで欲しいです。主人公である夫婦を演じる草彅さん仲間さんをはじめ、皆さん素晴らしいキャスティングだと思っています。

是非私の想いを2倍にも3倍にもして、視聴者の皆様に届けて頂ければと願っています。

以上のような意気込みで、このドラマの制作が始まったのですが、台本の制作は別として、撮影は5ヶ月、そのうち2ヶ月はアメリカでのロケ。「撮影時の苦労話はそれこそ挙げたらきりがないくらいたくさんありますが・・・舞台がアメリカで、かつ戦前~戦中~戦後までを描く時代劇であることに尽きます」と、プロデューサーは語っています。

当時の状況を再現して映像化することは、とても大変で美術チームと撮影チームは常に打ち合わせを重ね、知恵を搾り出していました。一例で申し上げますと『マンザナー強制収容所』に関しては、全体の映像は実際の跡地で撮影し、収容所の内部の建物等は東京でオープンセットを作って撮影し、両方の映像を合成しています。俳優陣には、日本とマンザナーで同じお芝居を二度行ってもらっているのです。

そこで、ここにいる私たち3人が、このドラマ制作の過程のどこで、どのように関わったかということですが、関わったのは、かなり重要な部分、このドラマの歴史的な裏づけ、つまり時代考証でした。

プロデューサーからお話しがあったのは、2009年10月のことでした。何人かのかたの推薦をもらったという説明をされて、時代考証を依頼したいと、おっしゃられ、一方では、誇らしいことでもあり、お役に立てればうれしいと思いました。ただし、その責任の重さを考えると、二の足を踏みました。でも、結局は3人でお引き受けした次第です。

さて、作業です。

実際に台本5冊を、時間をかけて慎重に読み、資料にあたったり、他の専門家・研究者に確認したうえで、歴史的にみて不適当ではないかと思われる点を3人で話し合い、リストアップし、プロデューサーを始めとする担当者数人と、何度も話し合いました。その間、プロデューサーは脚本を書かれた橋田先生にそれを伝え、話し合われたようです。もちろん私たち以外にも、日系コミュニティのリーダーなど、信頼できる人々の意見も聞いておられました。

その話し合いで最後まで難しい問題として残ったのは、時代考証の内容もさることながら、ドラマでありフィクションであるこの作品の歴史的な裏づけが、「どれだけ」きちんとされなければならないか、という点でした。創作ではあっても、歴史観に影響を与えるものではないという判断で、最終的には合意しましたが、このようなドラマを、実際に経験した日系人が見て、どのように感じるかということが、私たちにとっては、もっとも重要な判断基準だったわけです。

それでは、次回は、そのような基準からみたお話を島田先生からしていただきます。

島田法子氏の発表 >>

 

*2013年7月4日から7日にかけて行われた全米日系人博物館による全米カンフェレンス『Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity』についての詳しい情報はこちらをご覧ください。janm.org/conference2013

このセッションの発表を聞く(音声のみ)>>

 

 

© 2013 Masako Iino

99年の愛/憎しみ(会議セッション) 99年の愛 〜JAPANESE AMERICANS〜(テレビ) 会議 JANM national conference 全米日系人博物館 シアトル Speaking Up!(イベント) アメリカ合衆国 ワシントン州
このシリーズについて

日系アメリカ人の地位回復を果たした「市民自由法」制定25周年を記念して、全米日系人博物館は、2013年7月4日から7日にかけてワシントン州シアトルで、第4回全米会議『Speaking Up! Democracy, Justice, Dignity』を行いました。この会議では、民主主義、正義、尊厳をテーマに、新しい見識、学術的論考、コミュニティの観点を紹介しました。

このシリーズでは、今回の会議で発表されたさまざまな視点からみる日系アメリカ人の体験談だけでなく、会議に参加した方々の反応などを中心に紹介します。

会議についての詳しい内容は、全米会議のウェブサイトをご参照ください>> 

詳細はこちら
執筆者について

津田塾大学前学長。学校法人津田塾大学前理事長。津田塾大学教授、マギル大学客員助教授、アカディア大学客員教授、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員などを歴任。2001年、カナダ研究国際協議会より国際カナダ研究カナダ総督賞受賞。2013年春学期、ブリンマー大学招聘教授。

主な編著書に『エスニック・アメリカ――多文化社会における共生の模索(第 3 版)』(共著、有斐閣、2011 年)、『旅するカナダ』(共編著、明石書店、2012 年)、『現代カナダを知るための57 章』(共編著、明石書店、2010 年)、『日系カナダ人の歴史』(東京大学出版会、1997 年、カナダ首相出版賞受賞)、『もう一つの日米関係史――紛争と協調のなかの日系アメリカ人』(有斐閣、2000 年)、『津田梅子を支えた人びと』(共編著、有斐閣、2000 年)、『日本の移民研究 動向と文献目録』(I および II)(共編著、明石書店、2007 年)など。

(2013年8月 更新) 

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