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限りなく遠かった出会い

義父

            薬漬 医学の進歩に 泣ける老い

            妻逝きて 知る木枯らしの 冷たさを

この俳句は義父、上村正治が晩年の孤独の中で詠んだ句である。義父は長年趣味として和歌を綴り、それをサンパウロ、ニッケイ両新聞の歌壇、柳壇などに投稿していた。それを読むたびに私は、義父の心とその雰囲気が写生されたかの様で心を打たれたものである。

俳句を詠んだ私の義父上村正治、2001年に没

義父は、和歌山県出身で上村家の男3人女4人の次男坊である。10歳の時1928年、家族とともにサントス丸で移民として来伯した。兄弟中で一番の働き者であったようである。サンパウロ州奥地のべラクル―スの耕地に入り、苦労の果て独立してドラセーナ市で店を経営するようになった。

妻静子との間に2男4女をもうけ、6人の子どもたちへ最高教育を与えた(医科大3人、文科系2人、工科系1人)。義父は来伯のため小学校を4年生で中退して以来、正規の学校に通ったことはないが、日本語の読み書きはほとんど独学でマスターしていた。曲がった事の嫌いな真の「ジャポネース・ガランチード」の象徴であったといえる。

60歳の時腸の大手術を受けてたため、それ以来、終始健康に気を使っていた。妻静子は75歳で脳貧血を患い、その2年後の1997年7月、家族に見守られ他界した。その当時、息子二人はまだ独身であったが、娘は4人とも結婚しており、孫9人がいた。

妻に先立たれた義父は、家族に迷惑はかけまいと、老人ホームである「憩の園に住む」と決断し、2001年5月にこの世を去るまでの4年間、そこでお世話になった。

義父が憩の園にお世話になっているあいだ、私達家族は、よく見舞いに行った。そのため、憩の園での生活の様子をいろいろと知ることが出来た。

カリタスの尼様方の行き届いた心のこもった気遣いや、慈善ボランティアとして陰から支える方々の成果が、日常の細かな所に見うけられた。しかし、そこには見舞客がほとんど無く、淋しく暮らしている老人も決して少なくない。また、他の入園者達をねたみ、子供のようにいたずらをしたり意地悪をする者もいる。「おしっこがこぼれて便器が汚れている」と文句を言う人もいる。その一方で、見舞いにきた家族から貰ったおやつを、気の合う者同士で分け合ったりする楽しい光景などもよく目にしたものである。憩の園では、皆々様に本当に良くしていただき、家族一同、心からありがたく思っている。

アグネス尼と「憩いの園」にての祭りで

義父は、元々真言宗であったが、憩の園に入園後、思うところがあったのか、熱心なカトリック信者となりヨハネスと言う名前で洗礼を受け、心から満足していた。

そんな義父は、憩の園へ入園しても、詩を詠み続けた。以下は、憩の園で綴ったものである。

夕食の 済みたる廊下 ただ一人
老婆は唄う 童の歌を

尼様も うかれて踊る ジュニーナ祭り

これは、義父が憩の園で出会った琴を弾く品の良いご婦人について詠んだものである。その方は左腕がやや不自由で車椅子を使っていた。義父とはとても気があったようで、よくご婦人の車椅子を押しながら園内を一緒に散歩していた。おやつも一緒だった。

サンパウロ新聞に掲載された義父の次の短歌は、そのことについて詠んだものである。

ほのかなる 恋に似たるか 朝夕の
車椅子押す 老い八十二歳

しかしこの詩が掲載された後、自分の胸のなかにそっと大事に仕舞っていた心情を、急に露にしてしまいその反響を心配したのか、義父は思春期の少年そのものに還ってしまったのである。まるでいたずらがばれてしまった子どもが親から隠れるように、義父は医者である長男に電話して、至急迎えにくる様にと頼んだ。

義父の心の揺れがおさまるのに一週間ほどかかり、恥ずかしそうに「憩の園へ戻る」と言った。私は妻アリセと共に、義父を憩の園へ送っていった。そこには琴のご婦人のこぼれる微笑みが、さわやかに輝いていた。

今まで見たことの無かった義父の人間味を見た。「ソーグロ1もなかなかやるな」と、思った。

注釈:

1. 義父

 

© 2013 Hidemitsu Miyamura

Brazil family haiku issei tanka

このシリーズについて

1934年19歳で単身ブラジルに移住し、81歳にブラジルで他界した父が書き残した日記や、祖父一家の体験話などをもとに、彼らのたどった旅路を、サンパウロ新聞のコラム「読者ルーム」に連載した(2003年4月~2005年8月)。そしてそのコラムをまとめ、「限りなく遠かった出会い」として、2005年に出版した。このシリーズでは、そのいくつかのエピソードを紹介する。