ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2013/11/4/kokiti-san/

コウキチさん

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小さい頃から本を読むのが大好きだった私は、物語に出てくる登場人物に興味を持ちました。たくましい「桃太郎」、「不思議の国のアリス」に登場する風変わりな「白ウサギ」など、全部、魅力的なキャラクターでした。

中・高校生になると、「嵐が丘」のヒースクリフの複雑な性格に驚かされました。大学で専攻したブラジル文学とポルトガル文学の中にも面白い主人公にたくさん出会いました。

しかし、「コウキチさん」は今までで、一番印象的な人物です。他の登場人物は作者の想像で書かれたものだと思いますが、「コウキチさん」はフィクションではなく、実在の人物です。

母(左)と母の姉

時は1930年代、場所はサンパウロ州アルヴァレス・マシャドという小さな町。母は10人兄弟の次女で、小さい頃から弟や妹たちの面倒を見ていたため、たった1年しか学校へ行けなかったのです。しかし、家事の合間に、独学で日本語とポルトガル語を覚え、縫い物やレース編みは、長女だからと洋裁学校へ通わせてもらった姉がしているのを盗み見て覚えたと聞いています。

17歳の時も、母は朝から晩まで家事と畑仕事をしていましたが、日曜日になると、家族と過ごせるのが一番の楽しみでした。

ちょうどその頃、母の父親で、私にとっては祖父が蓄音機を手に入れ、東海林太郎のレコードなどを、みんなで聞いて楽しんでいました。

コウキチさんは母の兄の親友で、ふたりは地域の野球チームに入っていて、コウキチさんは野球が誰よりも上手でした。母の兄、つまり私の伯父はいつもそのことを話していたそうです。

コウキチさんは歌も上手で、日曜日の午後にはよく伯父の家を訪れ、蓄音機から流れる日本の歌謡曲を全部覚えてしまい、リズムに乗って明るく場を盛り上げ、みんなも一緒に楽しんでいたようです。

野球と日本の歌が得意な日系の若者は、今も昔も少なくありませんが、コウキチさんの場合は特別でした。

母がこのコウキチさんのことを話してくれたのは1980年代の頃でした。

「ママェ1 が若いころねぇ、近所にFábio Jr.にそっくりな青年がいたの。とてもハンサムで、コウキチさんといって、野球も歌もすごく上手だったの!」

「えっ!」

当時、売れっ子の俳優で歌手のFábio Jr.によく似ているコウキチさんという人がいたなんて、まったく想像できませんでした。「Fábio Jr.のような『日本人』、本当にいたの?」、と。

母はブラジルのドラマのファンで、毎日、テレビで見ていました。ちょうどその頃、Fábio Jr.主演のドラマが始まり、母はコウキチさんのことを思いだしたのだと思います。

「それでは、コウキチさんはハーフだったの?」

「そう。日本人の母親とアメリカ人の父親の間に生まれた子なの」

「へぇ。アメリカ人もブラジルに移住したんだ」

「ちがうの。コウキチさんはアメリカ人の父親に会ったことがないの」

「えっ!」

「コウキチさんのお母さんはご主人と一緒に、日本からブラジルに移住し、ママェが生まれたコロニア2 で暮らしていたの。ある時、ご主人を残してひとりでアメリカに働きに行ったの」

「今、日本に行くデカセギのように?」

「そうでしょうね。そして、大分経って、まだ子どもがいなかった奥さんは向こうで妊娠してしまい、ブラジルに戻ってから子どもを産んだの。コウキチさんをね。だけど、ご主人は子どもをとても可愛がって,実の息子のように育てたの」

わたしは、当時、文章を書くなど、夢にも思っていなかったので、母にこれ以上聞きませんでした。しかし、文章を書くようになり、この20数年間、時々、なぜか、コウキチさんのことを思い出します。

もっと詳しく訊いていたならば、きっと、わたしの小説の主人公になっていたでしょう。

しかし、コウキチさんの親友だった伯父、母も亡くなっているので、どうにもなりません。一時、母が過ごしたあの小さな町を訪ねることも考えましたが、コウキチさんの名字さえ知らないので、無理だと諦めました。

しかし、 コウキチさんはわたしの小説の『幻の主人公』として、心の中にいつまでも仕舞ってあります。

今回、50年ぶりにイラストも描いてみました。母が語ってくれた、わたしがイメージしたコウキチさんです。

コウキチさん

注釈

1. ポルトガル語で「mamãe」(お母さん)

2. 現在は使われていないが、ブラジルに入植してきた移民グループ、又、住んでいる場所を示す

© 2013 Laura Honda-Hasegawa

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このシリーズについて

「ニッケイ」であるということは、本質的に、伝統や文化が混合している状態にあると言えます。世界中の多くの日系コミュニティや家族にとって、箸とフォーク両方を使い、日本語とスペイン語をミックスし、西洋のスタイルで大晦日を過ごすかたわら伝統的な日本のお正月をお雑煮を食べて過ごすということは珍しいことではありません。  

このシリーズでは、多人種、多国籍、多言語といったトピックや世代間にわたるエッセイなどの作品を紹介します。

今回のシリーズでは、ニマ会読者によって、各言語別に全ての投稿作品からお気に入り作品を選んでもらいました。

ニマ会のお気に入りに選ばれた作品は、こちらです。

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執筆者について

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)

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