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「消えた」総領事館

現在、羅府の日本総領事館は、小東京から数マイル離れたバンカー・ヒル地区のカリフォルニア・プラザという高層ビルのなかにありますが、かつては小東京のサン・ペドロ街と1番街の交差点にある、鹿島ビルの14階と15階にありました。鹿島ビルは1967年に日本の建設会社によってつくられたビルで、戦後の小東京を象徴する存在のひとつといってもよいでしょう。

鹿島ビル(グーグルマップより)

今回は、小東京にあった総領事館がバンカー・ヒル地区に移転した経緯を紹介したいと思います。

日本政府が羅府の総領事館の移転を発表したのは、1990年代の初めの頃でした。政府は移転の理由について、総領事館の安全性確保を第一にあげ、それゆえに安全性の高い建物へ移転することが必要であると強調しました。これに関連して、1996年にペルーの日本大使公邸がテロリストの襲撃にあい、日本政府のみならず、フジモリ大統領(当時)率いるペルー政府をも巻きこみ、その鎮圧に約4ヶ月もかかったことを覚えている方もいらっしゃると思います。

この知らせはまもなく日系人社会に広まりました。しかし、日本政府は日系人社会を遠ざけようとしているという、極めてネガティヴな形で受けとめられました。移転を白紙に戻すように総領事館に熱心に働きかけた人々も少なくありませんでした。さらには、羅府からわざわざ日本の外務省に足を運び、陳情した人々もいました。日系人社会にとっては、総領事館は小東京になくてはならないものだったからです。

そのような反対の声にもかかわらず、1993年の秋、総領事館は小東京に「別れ」を告げました。当時のロサンゼルス・タイムズは、この出来事を「日系人社会にたいする侮辱行為」であると報じました。また、政府の一方的な決断を「三行半」であるとして落胆する人々や、政府による「上から目線のまなざし」を厳しく批判する人々がいました。

その後、日系人社会では総領事館が移転した理由について、さまざまな憶測や噂がとびかいました。そのなかには、いわゆる従軍慰安婦の問題を含めた日中戦争や太平洋戦争における日本人の戦争犯罪や、捕鯨の問題などへの抗議活動が、たびたび小東京近辺で行われていたことから、日本政府の日系人社会にたいする配慮があったのではないかというものもありました。

カリフォルニア・プラザ(ウィキペディアより)

移転騒動からおよそ20年が経った今でも、総領事館はバンカー・ヒル地区のカリフォルニア・プラザの高層ビルのなかに居を構えています。建物の安全面は優れているので、政府にとっては望みどおりの結果であるかもしれません。しかし、高額の駐車料金の問題や、周辺地域の治安の悪さなど、鹿島ビル時代を知っている人々の総領事館に対する評判はあまり良いものではありません。

さらには、高額の駐車料金が災いして、小東京の安価な駐車場に車をとめて、ダッシュとよばれるバスを利用して総領事館に向かう人々が多くいます。時間はかかりますが、高い駐車料金を払うより、または治安の悪い地域に路上駐車をするよりも、この方が安心だというのです。

これらの改善策として、政府は小東京の日米会館に小さな事務所を設けて、簡単な手続きを代行できるようにしているほか、年に数回の割合で、オレンジ郡やサン・ディエゴ、フェニックスなど、総領事館が管轄する地域の主要都市において、行政サービスの出張をおこなっています。政府としては最善をつくしているとのことですが、全ての方々からの理解を得るのは難しいようです。

総領事館の移転騒動のもうひとつの背景には、日本政府による日系人社会への軽視があったと、わたしは考えています。ここ数年、国際事情は変化し、アメリカ社会における日本の評価も変化してきています。それ理由に、現在の日本政府は日系人社会や在米日本人への関心を高めているように思えます。そして、政府の外交方針には、現地の日系人社会とのつながりを再評価する傾向がみられるようになっています。しかし、政府の最近の動きは、自らの外交戦略のために日系人社会を利用しているだけなのか、それとも本当に日本人と日系人の「つながり」を深めようとしているのか、わたしにはよくわかりません。いずれにしろ、政府は鹿島ビルを去ってしまったときの、日系人社会の反応を教訓にすべきだと、わたしは思います。そして、今後も政府の日系人社会への動向を暖かいまなざしで見守っていきたいと思います。

参考資料:

“Little Tokyo Decries Consulate's Departure : Diplomacy: Decision to relocate offices is called an insult to Japanese-Americans.” (ロサンゼルスタイムズ 1993年5月20日付)

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