ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2013/02/04/

「キルト・プロジェクト」のお手伝いをして

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1.全国での展示も終了間近

2012年12月30日。この日は、津波で壊滅的被害を受けた岩手県沿岸部の大槌町でキルト展が行われていた。国内での展示も残り2カ所。リンダ・オオハマさんの提唱でカナダ全土から届いたキッズメッセージ・キルトによる復興支援プロジェクトも国内での最終局面を迎えようとしていた。前年6月にキルトが日本に届いてから1年半。目を閉じるといろいろな情景がよみがえってくる。

2.キルトが届いて

2011年6月25日。カナダに住む友人のノーム・イブキさんから1通のメールが届いた。「被災地の子どもたちを応援しようとカナダの子どもたちがキルトにメッセージを描いた。そのキルトを持ってリンダさんという人が被災地の学校を訪問する。仙台でお手伝いできる人を探してほしい。日曜日までに」。その日は日本時間で土曜日。時間的余裕は1日しかなかった。

当時私の住まいは福島県郡山市。しかも1カ月後に定年退職を控え、残務整理で連日休日出勤している身。「飛ぶ鳥跡を濁さず」。今は業務が最優先。そうは思うもののノームさんからの依頼と被災地の映像も脳裏をかすめる。

「どうしよう」。気持ちは焦るが妙案は浮かばなかった。時間だけが過ぎて行く。その時ふと思い当ったのが仙台国際交流協会だった。5年前まで私のボランティア活動の拠点だった所だ。祈るような気持ちでダイヤル。つながったのは旧知の菊池さん。状況を説明すると、「通訳ガイドボランティア団体のGOZAINに連絡してみたら?」とのこと。

早速、GOZAINをネットで検索した。「あった、あった」。連絡先として副代表の郡司さんの電話番号が。手を合わせながらプッシュホンのボタンを押す。「藁をもつかむ」とはこのような心境か。こんなことを思いながら受話器を持つ耳元に、穏やかな声が届いた。「郡司です。まず状況を知らせてほしい。代表の朴澤さんと私にメールを送って」。

早速メールを作成。精一杯のお願いの気持ちを込めて送信した。そのメールを受け、郡司さんがただちに会員に呼び掛けてくださった。「7月1日、閖上中学校。通訳可能な方は至急連絡を」。

3.最初の被災地訪問

郡司さんの呼び掛けに応じてくださった会員の方々の通訳により、閖上中学校でのキルト展オープニングセレモニーも無事終了した。カナダ大使館員、名取市長ご臨席のもと、リンダさんのプロジェクトは静かな船出をしたのだ。

その日の夕方、仕事もそこそこに仙台に向かった私は、初めてリンダさんと会うことになった。約束の場所は市内にあるファミリーレストラン。そこに現れたのは満面に笑みをたたえ、フレンドリーな雰囲気を漂わせている方だった。簡単な自己紹介の後、話に耳を傾けていると、これからの予定として「石巻、南三陸、気仙沼、塩釜...」。このように被災地の名前がいくつか挙がった。でもよく聞いてみると、それはリンダさんの希望する訪問先でしかなかった。その時点で決まっていたのは訪問済みの閖上だけ。「訪問先探しに協力してほしい」。これがお話の主旨だった。

「話が違う!」こんな言葉をぐっと飲み込み、GOZAINの朴澤さんと郡司さんに連絡し状況説明した。翌日、仙台国際交流協会の菊池さんへご相談することになった。リンダさんの仙台滞在予定は2週間ほど。「その間の訪問予定を立てなければ」と、いざ4人が顔を合わせてみても、あてはまったくない。長い時間かけた話し合いの末に出た結論は、それぞれが心当たりを当たってみることだった。

朴澤さんは、ご主人の後輩が校長を務める石巻市大須中学校に。郡司さんは、いとこが町長をなさっている女川町に。そして私は、知人で市会議員の佐藤さんに紹介いただいた折立小学校に。「カナダの子どもたちから届いたキルト応援メッセージをぜひ見ていただきたい」。必死の思いでそれぞれの所と折衝した。

その焦りにも似た熱意が相手に通じたのか。それぞれの先で受け入れオーケーの返事が。それに加えて郡司さんは七ヶ浜町の避難所からもご了解を得た。さらにノームさんのもう一人の友人である黒須さんの案内で南材木町小学校、かたひら保育所も訪問した。こうしてリンダさんの仙台滞在中、6カ所での展示が実現した。

4.その後の被災地訪問

リンダさんは7月14日に広島県尾道市に帰られた。その他のメンバーもそれぞれの持ち場へ。残ったのは私のみ。福島、岩手の被災二県を訪問するようにリンダさんから依頼された私は、インターネットで調べた各地の国際交流協会や教育委員会、各学校に連日電話した。「子どもたちを勇気づけるメッセージをぜひ生徒たちに見せていただきたい」とお願いし続けた。しかし震災後の混乱と相まってか、「ご厚意はありがたい。でも展示は遠慮したい」という返事ばかり。一方、リンダさんからは「福島はどうなったか?岩手は?」との連絡がたびたび入る。

8月1日。退職して仙台に戻ってきた私は、この日を境に訪問先探しに全精力を傾けた。ある時は原発事故で避難対象となった町の仮設役場を訪問。また、ある時は避難所を。「カナダの人々の善意を無にしたくはない」。その思いを支えに、各地で展示をお願いして回った。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」とはよく言ったものだ。断られながらも福島で4カ所、岩手で2カ所、宮城で1カ所が申し出を受け入れてくださった。

5.全国でキルト展示

10月13日。駐日カナダ大使館高円宮記念ギャラリーで、カナダの子どもたちから届いた応援メッセージと、被災地の子どもたちが描いたお礼メッセージが展示された。これを皮切りに全国各地でキルト展が開催されることとなった。その数、33カ所。リンダさんご自身とボランティア各位の努力と、各地実行委員会、広島県尾道市にあるプロジェクト事務局長尾さんとの連携の賜物だ。また、多くの開催地で被災地への応援メッセージが作成された。

6.新潟・仙台で展示

私は、全国での展示のうち6カ所を担当した。中でも新潟と仙台には特別の思い入れがあった。被災地訪問活動に対し昨年資金を助成くださったのが、新潟県にある「東北関東大震災ボランティア活動基金」。同基金の窓口は新潟NPO協会。支援いただいた同協会へのお礼と、原発事故で大勢避難している福島の人々への応援。この2つの意味で「新潟開催をぜひとも実現させたい」と思った。

会場は東北日本カナダ協会が提供してくださった。7月4日に新潟市社会福祉協議会に連絡し、ボランティアとキルト展受け皿団体の募集をお願いした。早速、同協議会が機関誌で参加を呼び掛けてくださった。しかし2カ月間反応がなかった。開催をあきらめようと思い、東北日本カナダ協会の山岸さんに電話した。しかし返ってきたのは、「会場も手配。広報誌にも載せている。中止は認められない」という答え。悩んだ。でも山岸さんにそう言われては後戻りできない。最悪の場合は自分ひとりで会場設営、キルト展示、来場者受付、キルト撤収も。そう覚悟を決めかけた時に、新潟大学ボランティア本部、新潟国際援助学生ボランティア協会、新潟NPO協会から次々と朗報が届いた。それぞれが学生ボランティアを派遣してくださるとのこと。

これに勇気を得て、11月6日から6日間の開催が実現できた。この間NHKと地元民放1局がキルト展を取り上げてくださった。しかし天候不順もあってか、来場者数は数えるほど。ただこのことは思いがけない結果につながった。一人ひとりにていねいに接する余裕を与えてくれたのだ。震災直後に起きたカナダでの日本支援活動やリンダさんの被災地訪問の様子を伝えるDVDを見ていただきキルトの説明をした。その結果、多くの人々が「いいものを見せていただいた」と感謝の言葉を残し、会場を後にされた。

2012年11月10日、新潟会場にて

仙台でのキルト展は12月18日からの1週間だった。会場は市内繁華街のバス停前。これ以上望みようのないロケーションだ。後援を12社・団体からいただき、関係先にも開催を案内した。東北福祉大学の後藤さんのお計らいで同大学から24名の、朴澤さんのお声掛けでGOZAINから10数名のボランティア参加のお申し出もいただいた。あとはその日を待つばかり。

開催初日。午前10時の開場とともに大勢の来場者がなだれ込んできた。3日目からはリンダさんも会場に。来場者一人ひとりにキルトメッセージに関するエピソードなどを披露し、カナダのピンバッチやリストバンドを渡していらっしゃった。カナダとリンダさんの支援を知ったある被災者は、リンダさんが差し出す小さなプレゼントを手にし、感に堪えない様子でこう言った。「これは私の宝もの。今日という日は一生忘れない」と。

2012年12月17日、仙台会場にて

会場には2,400名分ほどのキルトメッセージが展示された。その1枚1枚に物語があり、その人なりの思いが込められている。それは優しさや思いやりとなり、被災地の人々の心の奥底にまでしっかり届いた。被災地の復興には何年もかかるかもしれない。でも、カナダの人々の善意は被災地の人々の心の糧となり、復興の歯車を1つ先に進めたように感じる。復興した被災地の姿をカナダの人々にお見せできるのも、そう遠い先のことではない。そのことを被災地の子どもたちが描いたお礼メッセージが雄弁に語っている。そのメッセージがもうすぐカナダに届く。リンダさん、ノームさん、そしてカナダ全土のみなさん。こんどは被災地から送ります。大きな、大きな「ありがとう」を!

※関連ホームページ http://www.clothletters.com/

(リンダさんの提唱で始まったキルト・プロジェクトは、被災地をはじめ全国各地の人々に大きな感動をもたらしています。被災者の一人として、またプロジェクトにかかわらせていただいた一人としてカナダのみなさんにお礼を申し述べたくペンを執らせていただきました。)

© 2013 Tsutomu Nambu

カナダ キルト バーナビー リンダ・オオハマ ブリティッシュコロンビア 日本 日本文化センター博物館 東北地方 東北地方太平洋沖地震(2011年) 東日本大震災 ボランティア 活動
このシリーズについて

人と人との固い結びつき、それが、「絆」です。

このシリーズでは、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とその影響で引き起こされた津波やその他の被害に対する、日系の個人・コミュニティの反応や思いを共有します。支援活動への参加や、震災による影響、日本との結びつきに関するみなさんの声をお届けします。

震災へのあなたの反応を記事にするには、「ジャーナルへの寄稿」 ページのガイドラインをお読みください。英語、日本語、スペイン語、ポルトガル語での投稿が可能です。世界中から、幅広い内容の記事をお待ちしています。

ここに掲載されるストーリーが、被災された日本のみなさんや、震災の影響を受けた世界中のみなさんの励ましとなれば幸いです。また、このシリーズが、ニマ会コミュニティから未来へのメッセージとなり、いつの日かタイムカプセルとなって未来へ届けられることを願っています。

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執筆者について

北海道生まれ。1976年、大同生命保険に入社。1992年、在日外国人を対象に日本語学習支援ボランティア活動を開始。この活動を通し日系カナダ人と出会う。2011年、同社を退職。現在、宮城県庁に勤務のかたわら各種ボランティア活動を継続。仙台市在住。

(2013年2月 更新) 

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