ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2012/8/27/kazumi-kim/

ビバリーヒルズで美容院経営 -- 渡米50年のちゅらさんの人生: 一美・キムさん

ジャーナリスト志望から一転 

「ちゅらさん」とは沖縄の言葉で綺麗な女性という意味だ。沖縄の女性は、肌に張りがあって、瞳の大きな美人が多い。そこで、某雑誌の編集者から「ちゅらさんの秘密」についての原稿を書いてほしいと提案された。それは是非個人的にも知りたいテーマだと思い、さっそく私にとっての沖縄関係の知恵袋である知り合いの男性に「在米の沖縄女性で綺麗な方を紹介してください。その方の美しさの秘密を取材したいのです」と持ちかけると…彼が真っ先に名前を挙げたのが一美さんだった。

一美さんに会うために向かったのが、ビバリーヒルズの一等地にある美容院カブキ・ビューティーサロン。そこのオーナーである彼女は、76歳とは思えないほど若々しく、紹介者の言う通り美しい女性だった。

取材テーマの「綺麗の秘密」は、一美さんの口から語られることはなかった。特に何もしていないのだと言う。しかし、秘密は確かにあった。それは好奇心に溢れた彼女の生きる姿勢である。

経営するカブキ・ビューティーサロンで

一美さんが故郷を離れてカンザス大学の大学院に留学してきたのは、1960年。父親は新聞社、沖縄タイムスの創業者であり、一美さん自身もジャーナリストをめざしていた。当時、沖縄からアメリカに留学することは、最高の教育を受けるチャンスと捉えられていた。ところが、渡米早々、韓国出身のヘンリー・キムさんに熱心に結婚を申し込まれた一美さんは、彼と結婚し、ロサンゼルスに移って来た。

「ビジネス志向の主人に、人の下で働くよりもオーナーになるべきだと、美容院経営を提案されました。私はまったくその気がなかったのに美容学校に通うことになったのです。最初はイングルウッド(ロサンゼルス近郊)の小さな店から始め、1968年にはロサンゼルス空港の近くに大規模な美容院を構えました。さらにビバリーヒルズに新しい物件ができると聞きつけて、この場所にも店を出すことにしました」


ロサンゼルス暴動を乗り越えて

ヘンリーさんの提案で嫌々ながら始めた美容院だったが、一時はウエストチェスター(空港の近く)とビバリーヒルズの2店を同時に手がけるほど多忙を極めた。同時に、ヘンリーさんもエンジニアとして働きながら、次々と不動産に投資をし、資産を増やしていった。韓国系アメリカ社会のビジネスリーダーとして、その手腕が高く評価され、ライオンズクラブの会長にも就任した。

「大変だったのは、ロサンゼルス暴動の時でした。コリアタウンよりもかなり南の地域に、主人のスーパーマーケットがあったんです。ところが、その店が焼き討ちにあい、続けていけなくなりました。その借金を返すために、ハリウッドにあったアパートをはじめ、不動産を処分せざるを得なくなったのです。あの暴動で、私たちの引退後の資金の多くが消えてしまいました」


しかし、そんな困難にも負けず、暴動後にヘンリーさんは不動産投資を再開させ、韓国からは次々に家族を呼び寄せて面倒を見続けた。一方、料理をはじめ家事一切を義弟の嫁に任せて、一美さんは毎日美容院に出勤した。そして、一流の店がしのぎを削る美容院激戦区ビバリーヒルズで、カブキ・ビューティーサロンは既に30年近く営業を続けている。

ビジネス成功の秘訣を聞くと、「逆にビバリーヒルズだからこそ続けられたんでしょうね。美容師さんが辞めても、場所がいいから、求人広告を出さなくてもどんどん新しい人が入ってきます」と答えた。立地がいいから、新規の顧客も掴みやすい。そして何より、人との交流が生き甲斐だと話す一美さんの所には、常連客がリピートして通い続けている。

「沖縄からアメリカに来た時もそうだったし、ロサンゼルスに来た時も、私には友達がいなかったんです。だからお客さんが大切な友達。自宅に遊びに行ったり、また、皆でレストランに食事に行ったりするのが生き甲斐なんです。公私混同ではないかと言われるくらい、仕事と遊びの顔ぶれが一緒になっています(笑)」


今は美容師が天職だと言える一美さんに、その道を半ば強制的に開いたヘンリーさんは2年前に旅先で亡くなった。「沖縄から私の家族が大勢やって来て、一緒にフロリダに行った時のこと。主人の体調がよくなかったので、出発前に旅行をキャンセルしようと私が言ったのですが、彼はせっかく皆が楽しみにしているのだからと強行したのです。そして、フロリダでは車の運転もしていたのに、ある朝、浴室で倒れていました。ハートアタック(心臓麻痺)でした」

その年の12月、金婚式を迎える予定だった。二人の間に子供はいない。今でも週4日、一美さんは一人で暮らすロサンゼルス空港近くの自宅から、ビバリーヒルズまで苦手な車を運転して通勤している。そこに行けば、美容室のスタッフや常連客が迎えてくれるから、引退は到底考えられないと彼女は言う。そして、ヘンリーさんが韓国から呼び寄せた甥が成長して、生活面で何くれとなく一美さんを助けてくれているそうだ。

© 2012 Keiko Fukuda

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執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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