ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2012/11/28/hibakusha/

HIBAKUSHAを世界に伝える: 広島の被爆者体験、アニメ映画として完成

原爆は必要不可欠な手段だったのか?

アメリカが日本の広島と長崎に原爆を投下したことは絶対に必要なことだったのだろうか。その問いに関する答えは、日本人かアメリカ人か、またどれだけ原爆体験の知識を持っている人かによって、大きく異なる。

戦後の日本で生まれ育った私にとって、子供の頃から8月6日は「平和の日」だった。夏休みを中断して、その日だけは学校に行く。そこで、広島と長崎で数十年前に多くの人が犠牲になったことを皆で学び、「悲劇は二度と繰り返されてはならない」ということを、毎年、心に誓って来た。だから、大人になってアメリカに来て、「原爆を投下しなければ戦争は終結しなかった。戦争が続いていたら、沖縄だけでなく日本本土でも地上戦が繰り広げられ、原爆で命を失った以上の人々が亡くなったはずだ。いわば、原爆は必要不可欠な手段だった」という意見を口にする人が意外にも多くいることを知り、強い衝撃を受けたものだ。

一方で、被爆者の知識がないアメリカ人たちに平和への訴えを続けている人もいる。長年、「No more Hiroshima, No more Nagasaki, No more Hibakusha, No more any war」をスローガンに活動を続けてきたのが、広島の原爆からの生存者(サバイバー)、ロサンゼルス在住の据石和(すえいし・かず)さんだ。

据石さんは85歳になる現在も、学校などで主催された講演会で原爆体験を語り続けている。そして、このたび、彼女の実体験が40分のアニメーションとなって映画化された。タイトルは「HIBAKUSHA」。

手がけたのはまだ26歳のスティーブ・ニュエンさんと29歳のチャズ・ベレンさん。非日系のアメリカ人の若者が、「HIBAKUSHA」を題材に取り上げたのはどういう経緯だったのだろう。

監督は非日系の二十代の若者

「大学時代に友人のディーン・松田を通じて和さんのことを知った。当時、自分にはまったく原爆の知識はなく、HIBAKUSHAという言葉も聞いたことはなかった。しかし、彼女から聞かされた話は驚くべきものだった。僕らの世代にとっては想像もできない体験だと大きなショックを受けた。だからこそ、この話を映画にして多くの人に伝えるべきだ、その意義を強く実感した。早速、アニメーション担当のチャズに話を持ち込み、制作に着手した。2010年のことだったので、長い調査期間を経て完成までには2年近くを要した」と回想するのはプロデューサーでもあるスティーブさんだ。

チャズさんが続ける。「スティーブがこの話を持って来た時は、非常にチャレンジングだと正直思った。興味深いテーマではあるが、自分たちは一切経験したことがない時代、行ったこともない世界が舞台だ。でも、挑戦してみようと決心した」

本編は1945年8月6日の広島上空から始まる。当時、女学生だった据石和さんは、友人のアサちゃんと雲一つない青い空を見上げていた。「青い空を背に飛行する米軍機はキラキラ光って、まるで羽を広げた天使のように見えた。綺麗だった」と振り返るが、その直後、天使は悪魔に姿を変えた。

そして40年後、和さんはニューヨークにいた。NBCのテレビ番組で原爆体験を語ってほしいとの依頼を受けて赴いたスタジオで、原爆投下機のパイロット、ポール・ティベットと思いがけなく対峙することになる。

ティベットは、戦争終結には原爆は必要不可欠だったと何の迷いもなく断言し、さらに司会者から「また投下するようにと命令されたら実行するか」との問いに「イエス」と答える。そこで和さんは意識が遠のくほどショックを受ける。

こうして同作は、1945年の広島と、85年のニューヨークを交互に行き交いながら、「被爆者」の苦悩と葛藤を見るものに突きつけていく。

上映会終了後に。前列右が据石和さん、同左、チャズさん、後列右ディーンさん、同左スティーブさん。

人々をインスパイヤしたい
映画で人々をつなげたい

2012年10月20日、全米日系人博物館を会場に開催された上映会では150名あまりが駆けつけ、上映後、二人の若き監督と据石和さんに拍手喝采を送った。その後も映画の主人公である和さんに握手を求める行列と、監督たちの功労を称える人々の輪ができた。

スティーブさんに抱負を聞くと「この映画が持つ平和のメッセージをより多くの人に伝えたい。この作品で人々をつなげていきたい」と語った。今後は全米の大学での上映会ツアーが予定されており、可能な場合は和さんもゲストスピーカーとして出席するということだ。DVD化も準備が進められている。

最後に、映画人として目指すゴールを二人に聞いた。「人々の気持ちに訴えかける(インスパイヤする)題材を発掘し、誰もやったことのない手法、私なりのスタイルで映画化すること。そして人々にポジティブな影響を与えていくことがゴールだ」と答えたのはスティーブさん、そして、チャズさんも同じく「人々に影響を与えるような題材をストーリーテラーの立場から優れた作品に完成させていくことがゴール」と即答した。確かに「HIBAKUSHA」は、見る人に影響を与える作品に仕上がっている。被爆者に関する知識を与え、平和の意識を植え付けるというポジティブな影響を。

上映会後の質疑応答にて。左から、据石さん、スティーブさん、チャズさん。(写真:ツネオ・タカスギ)

© 2012 Keiko Fukuda

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執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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