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南米の日系人、日本のラティーノ日系人

メキシコのカルロス春日という人物

アメリカ大陸の日系社会でメキシコのカルロス春日氏を知らない人はあまりいない。しかし、そもそもメキシコに日本人移民がどれくらいいるのか、何をしているのか、どのような存在なのかということは、一般にはあまり知られていない。

「アメリカ大陸日系人百科事典」 によれば、メキシコにおける日本人移民は、1897年、南部のチアパスに入植した「榎本植民地」が始まりである。この榎本は明治政府の元外務大臣であるが、その前は幕府側の重鎮として、あの新撰組の土方歳三と戊辰戦争で戦い、函館の五稜郭で降伏した人物である。

榎本の事業は失敗に終わるが、その後も、具体的な二国間移民協定がないまま、民間移民会社によって数千人が鉄道建設や炭鉱開発の契約労働者として移民している。しかし、あまりの劣悪な労働条件などによって多くが逃亡、アメリカに越境している 。その後、1910年のメキシコ革命で日本人移民はどちらの勢力からも略奪や暴行を受け、コミュニティーとしても大きな打撃を受けた。第二次世界大戦になると、地方にいた日本人は強制的にメキシコシティーに移転を命じられ、一定の地域で居住することになり、多数の日本人リーダーが逮捕された。そして、戦後は、二世が中心になって日系社会を構築し、都市部を中心に商業、自営業、サービス業で生計を立ててきた。

ペルーやブラジルと違って、ほぼすべての事業は日系コミュニティーを対象としたものではなく、メキシコ人を市場としているのが特徴だ。それは、人数があまりにも少なかったこと、コロニアという移住地がなかったこと、そしてそれが唯一の生きる手段であったからである。

南山大学での講演。情熱をもって熱く語るカルロス春日氏(2010.10.23)

多くの困難を乗り越えながらも、日系社会は分裂寸前だった日系団体を日墨協会という仕組みに落ち着かせ、二世中心の「日墨文化協会」やラテンアメリカ初のバイリンガル学校「日本メキシコ学院」設立を実現した。多くの有力者たちが寄付を募り、日本政府やメキシコ人賛同者によって、戦後は立派な日系社会を築いている。歴史に翻弄されながらも、人数が少ない分地元の人たちと協力し合ってきたメキシコ日系人だが、現在は17,000人ほどである。そこから生まれたのが北米をも含むパンアメリカン日系人協会を創設したカルロス春日氏だ。

2010年10月、春日氏は、南山大学の浅香幸代准教授が率いる「ソフトパワーと平和構築」という研究会から同大学に招かれ、「二つの祖国を結ぶ日系という生き方」という題名で講演した 。この研究会では、国や組織、人がどのようにソフトパワーというものを行使して共存や平和に貢献できるのかということを考え、様々な事例をもとに議論している。そうした中、カルロス春日氏の生き方や功績は大いに参考になり、日系社会だけではなく今の日本や世界にも通用するものがある。

同氏は、メキシコシティーから北東に600キロも離れた小さな町で生まれ、第二次世界大戦の強制移動によって家族とともに首都への転居を余儀なくされた。しかし、春日氏はこれを高等教育への進学、そして両親の事業の成長のきっかけとして捉えている。また、二つの文化や考え方をもつ者として「60%メキシコ人、60%日本人」という前堤で、人間として、経営者として、団体役員として、そして親としても120%を出し切ればどんな困難なときでも道は開けると説いている。特に二世は、それぐらいの覚悟でなければ差別や偏見、社会的格差を乗り切ることはできず、こうした考えは南米の日系社会では共通の認識である。

春日氏のもうひとつ興味深いところは、1956年、日本が戦後復興でまだ貧しかった頃、私費留学生として来日しており、上智大学に在学していた彼は、機械の展示会で取引を成立させたことをきっかけに「戦後のデカセギ第一号である」と言っているところだ。当時は、メキシコに輸出しても現地でメンテナンスができないため、自分が機械工場で働いてその技術的ノウハウを身につけることで対応した 。このことが彼の起業家としてのスタートであり、こうしたチャレンジ精神や新たなニーズへの対応能力と好奇心が、後のメキシコ・ヤクルトの進出を実現させ、今日までの実績を形成してきた 。

文献によると、戦後のメキシコ日系社会にも内部対立が発生し、どのように協会を盛り上げ、日本語学校を運営するかについてかなり激しい論争が続いたようである。しかし、商業である程度成功した日系人たちの志や資金提供、そして日本政府への働きによって日墨協会や文化会館、そして通称リセオと知られている「日本メキシコ学院」というバイリンガル学校の設立を実現させた。こうしたコミュニティー事業への春日氏の役割は、在メキシコ日系企業の長として日本の政財界とのパイプを活用したことが大きいと言える 。

交換留学でメキシコのリセオから南山大学で勉強している学生

また、春日氏がよく指摘することだが、会社の幹部が車で「社長出勤」という遅めの出勤をする一方、時間通りに来ない公共交通機関で出勤する労働者は一分の遅刻でも罰せられる。しかし、これが会社全体の生産性や労働意欲にも影響し、こうした理不尽な対立構造では社内の規律や一体感は保てないという 。

もう一つラテン社会の問題点は、甘えを前堤にしている「おねだり構造」だと言っている。本来であれば、何かを要求する前に、自分から最大限の努力と誠意を見せるのが筋である。ところが、メキシコでは親子関係、国家と国民の関係においても、「おねだり構造」が大きな問題となっていることを批判している。南米の日系社会でも、そして日本に居住している南米日系人も、日本国に対するこうしたおねだり構造に基づいた甘えの行動が目立っているのも事実である。春日氏の講演を聞かせたいものだ。

第15回パンアメリカン日系大会(ウルグアイ、モンテビデオ市)協会幹部と評議員(2009.09.18)

1981年、アメリカ大陸、北米と南米を繋ぐパンアメリカン日系人協会を設立し、第一回目の大会をメキシコシティーで開催した。この組織は、同じ日系人であっても南北アメリカをみると単なる異なった歴史背景や社会統合の違いだけではなく、互いに誤解や偏見もあり、そうした側面を解く事を意図して立ち上げられた。どこにいても「よりよき市民となろう」という目標が掲げられ、今に至っている 。

その結果、このCOPANI大会を通じて業種間の交流やビジネス交流もできたという。COPANIに参加することは費用の面でハードルも高いが、指導的な役割を果たす日系人との出会いとその情報交換は高い価値を生み出しており、若い世代にも受け継がれようとしている。日系人の中でも世代交替が進んでいるが、クローバル化していく日系人の活動には、こうした試みはこれからも意義があると考える 。

春日氏は、日系社会のみならずメキシコ社会においても教育の重要性を各方面で訴えており、私財を投じて支援も行い、多国籍企業での経験をもとに労使共存共栄の企業文化についても世界各地で講演している。多くに日系人にとっては世代を超えて尊敬されている憧れの存在であり、ソフトパワー的な要素を貫いて、日本人や日本から学んだ事を活用しながら、二国間の友好関係に大きく貢献してきた人物なのだ。

第51回海外日系人大会(東京)(2010.10.20)次世代を担う日系留学生たちと。

注釈:
1. ヘスス赤知、カルロス春日、その他「日系メキシコ人の歴史」278p-308p.アケミ・キムラ=ヤノ編『アメリカ大陸日系人百科事件〜写真と絵で見る日系人の歴史』全米日系博物館、明石書店、2002
2. メキシコに入国した日本人は1万を超えたとされているが、そのほとんどが直接アメリカには入れなかったため、メキシコから不法入国したのである。1907年にはメキシコからの越境も禁止されている。
3. 筆者のこの研究会のメンバーであり、これまで在京大使や各テーマも専門家を招いてお話を聞き、それをディスカッションし、本にまとめる計画である。
http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/LATIN/workshop/index.html
http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/LATIN/workshop/20101023.html 春日さんの講演報告
4. ゴムの浮き袋をつくる機会を二台輸入し、1968年のメキシコオリンピックでは実行委員会の依頼によってカラーのゴム五輪(各輪が直径50メートル)をつくったことで有名になる。
5. http://www.yakult.com.mx/  メキシコ・ヤクルト社
6. http://www.kaikan.com.mx/ 日墨協会
http://www.liceomexicanojapones.edu.mx/LMJ/ 日本メキシコ学院
http://www.liceomexicanojapones.edu.mx/ja/学園のあゆみ
7. メキシコや南米では幹部は車出勤が多く、時間も「社長出勤」が多い。しかし、時間通りに来ないバスの乗り継ぎをしてくる労働者には容赦なくペナリティーを加える理不尽な規則を柔軟に運営しているという。
8. http://www.apnonline.net/ パンアメリカン日系人協会
http://www.apnonline.net/copanis/copanis.html パンアメリカン日系人大会
2年に一回、大陸のどこかで開催、2011年はメキシコのカンクンで行われる(9月1日~3日)。
9. COPANIでは開催国のユース会議も実現しており、近年はfacebookというソーシャルメディアの活用によって横の繋がりが緊密になってきており、若者の会合やスポーツ大会等も行われている。
10. 2009年2月にブエノスアイレスのCentro Nikkeiで講演した内容はスペイン語会報Nikkei Argentinoに掲載されている。Edición Marzo 2009-Nº211
http://www.centronikkei.org.ar/webnik/index.html

© 2011 Alberto J. Matsumoto

AMJ APN carlos kasuga COPANI Liceo mexico

このシリーズについて

日本在住日系アルゼンチン人のアルベルト松本氏によるコラム。日本に住む日系人の教育問題、労働状況、習慣、日本語問題。アイテンディティなど、様々な議題について分析、議論。