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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2011/3/28/issei-pioneers/

一世の開拓者たち -ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924- その13

>>その12

アメリカ大陸における一世商業の発展

一世社会の基礎は、1910年までに大体出来上がっていた。 そこに生まれた一世ビジネスの大部分は、大抵1,000ドル以下の投資で始まり、投資した本人によって経営された。初期の事業の多くは頼母子講や他の相互援助、保護の手段に頼っていた。

1909年度連邦議会移民委員会の報告によれば、アメリカ西部では3,000から3,500の商店が日本人経営であった。その大部分はサンフランシスコ、ロサンゼルス、シアトル、サクラメントにあった。委員会の調査した2,277の日本人商店の内訳は以下の通りである: レストラン-381; ホテル・下宿屋-337; 床屋-187; 玉突き場-136; 仕立屋・染色屋-136; 食料品・日曜雑貨店-124; 靴屋-105; 洗濯屋-97。1

日本人社会では、家族と親戚縁者の繋がりが商売の基礎だった。家族があれば妻子の労働を当てにすることができ、たとえ家族がなくても同県出身者の援助に頼ることができた。

同県人の意識は、移民たちの結び付きを強める重要な要素だった。一世は、共通の習慣・方言を分かち合い、故郷に強い愛着を感じていたので、自然に同県人のグループが生まれていった。やがてそれを基礎に、主要な移民出身県を中心に県人会が結成されるようになった。アメリカ本土とハワイでは共に山口、広島県出身者が最も多かったので、両県人会は大規模であった。県人会の主な目的は懇親であったが、その中で培われた人間関係が会員の経済活動を支え、彼らが従事する仕事の内容をも左右した。例えば、ハワイでは和歌山県出身者はほとんど漁業とその関連産業に従事し、沖縄県出身者は養豚業に、また山口、広島県出身者は商業に携わった。

シアトルの一世はこう語った。「同県出身者が同じ地域に集まり同じような仕事をする傾向があった。たとえばシアトルで床屋といえば、少なくとも昔は山口県出身者ばかりだった。...それに食堂といえば大方は愛媛県出身の者だった。...(同県人の)家に人々が集まってきては話をしたり、いろんな事を教わったりして、そうこうするうちに友達のしている商売のことを知るようになるんだ。」2

一世農業が繁栄するに従い、相互依存の関係にあった一世の商業も発展していった。日本人商店主や卸売り業者は、白人より低価格でより良い農作物を迅速に供給する一世農民に頼っていた一方、農民側は日本人商店に食料、資本、労働力の供給を頼っていた。

家内労働者

都市部では1万2,000人から1万5,000人もの日本人が皿洗い、門番、給仕、料理人、ボーイ、執事として働いていた。アメリカに勉学のために来た多くの一世達が、アメリカ人の家庭で食事、部屋、小額の手当てと引替えに家の雑用をする「スクールボーイ(書生)」として働いた。

「スクールボーイ」達が、アメリカの生活様式を学ぶ課程で遭遇した経験の中には面白い話が多い。1893年に渡米した有名な詩人、野口ヨネによると、彼の友人は床掃除をするのに自分の靴とズボンを脱ぎ始め、その家の女主人を狼狽させた。野口は「彼は唯ズボンと靴が汚れるのを心配したんだ。」と解説しているが、彼自身も、「女主人の化粧室にノックもせずに」いきなり入ってしまうという失敗をしている。3

多くの一世の若者は、家内労働に従事する自分を恥かしく思った。ある一世男性は「もし、日本の友人が今の私を見たら、なんて言うか...日本の叔父の家にいた頃は見下して、対等と考えたこともなかった女中から指図されている私を知ったら...」と嘆いた。4

学業をものにするという目的のために召し使いとして働いたものの、多くの者は学校を卒業することはなかった。英語とアメリカの生活様式をいくらか知ると労働契約請負人などになり、日本人社会の中で指導的立場に立つことが多かった。

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注釈
1.Yamato Ichihashi著、Japanese in the United States (スタンフォード、1932)118-119ページ。
2.S. Frank Miyamoto著、“An immigrant Community in America.” この論文は、Hilary Conroy, T. Scott Miyakawa共編、East Across the Pacific (サンタバーバラ、1972)217-243ページ。
3.Yone Noguchi著、“Some Stories of My Western Life.”268ページ。詳細はIchioka、前掲書、25ページを参照。
4.Hamilton Holt編、Life Stories of Undistinguished Americas(ニューヨーク、1906)261ページ。

*アメリカに移住した初期の一世の生活に焦点をおいた全米日系人博物館の開館記念特別展示「一世の開拓者たち-ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924-」 (1992年4月1日から1994年6月19日)の際にまとめたカタログの翻訳です。 

© 1992 Japanese American National Museum

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執筆者について

アケミ・キクムラ・ヤノは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校アジア系アメリカ人研究センターの客員研究員です。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で人類学の博士号を取得しており、受賞歴のある作家、キュレーター、劇作家でもあります。著書『過酷な冬を乗り越えて:移民女性の人生』で最もよく知られています。

2012年2月更新

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