ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2011/3/24/eiichi-naito-domo-music-group/

「渡米が転機に、死ぬまでこの仕事続けたい」 -グラミー賞アーティスト喜多郎のプロデューサー: Domo Music Group代表 内藤栄一氏

今年はB’zのタク・松本が初受賞して日本では話題となったグラミー賞だが、過去14度の同賞ノミネートを誇り(うち2001年に受賞)、アメリカ市場における日本人アーティストとしては絶対的な認知度と人気を誇るのが喜多郎だ。彼のプロデュースを一手に担うのが、ロサンゼルスに本拠を置くDomo Music Group代表の内藤栄一氏である。

ウエストロサンゼルスにあるDomo Music Group本社での内藤氏

内藤氏が渡米してきたのは1974年のこと。「日本でも大学時代からレコーディングエンジニアやPAの仕事をやっていました。将来的にはアメリカでロックのプロデュースをしたいという希望があったので、知り合いのつてを頼ってロサンゼルスにやって来たんです。しかし、最初のうちは観光ビザだったし、英語の問題もあったので、現場にはレコーディングスタジオの見学から入って行きました」

その後、レコーディングエンジニアとして永住権も取得したが、日米両国の現場を経験した上で、彼が痛いほど実感したのは「エンターテインメント自体のレベルと規模の違い」だった。「エンジニアとして続けていくにも、優秀なエンジニアはいくらでもいる」と、内藤氏の仕事はやがてアーティスト自体をプロデュースすることに転換していった。大きな転機になったのはやはりアーティスト喜多郎との契約だった。

「喜多郎とは1970年代前半から付き合いがありましたが、1984年にニューヨークに設立されたアミューズアメリカ(日本のアミューズの米国現地法人)の仕事を任されることになり、そのアミューズアメリカで彼と85年くらいに契約をしたのが(ビジネスとしては)最初です。93年までアミューズアメリカでは働きましたが、次は自分で会社をやろうと思い立ち、ロサンゼルスに戻り93年の後半にDomoを立ち上げたのです」

内藤氏と喜多郎の付き合いは、プロデューサーとアーティストとしての関係に限っても、既に四半世紀以上。それだけ長い間信頼関係が続いている秘訣を聞いた。

「秘訣?何でしょうね。彼との関係とは既にビジネスを超えています。人間対人間です。彼自身、とてつもなくユニーク、ユニバーサルなものを持っています。そう言えば、中国のチャンイモウ監督から声がかかり、喜多郎が楽曲を提供することになった時のこと、監督の周囲のスタッフが『喜多郎はどうしてこんなに中国人の心がわかるんだ』と言っていました。中国だけでなく、ヨーロッパのオランダ人やスイス人、アイリッシュ、それからネイティブアメリカン、南米の人も同じ。皆の心に自然に入っていきます。彼のそういうところ、そして純粋で平和主義なところを私は心から尊敬しています」

では、プロデューサーの役割とは何だろう?

「アーティストのライフワークは、考えていることをいかに表現するかということ。一方、プロデューサーは、アーティストが本当にしたいことに向けて正しく導いていくのが仕事。あくまでマジシャンではないので、ないものを作り出すことは出来ません。アーティストが持っている才能をいかに見出し、増幅させていくかが私がまずやるべきことで、CDが売れるか売れないかはその先の話なんです」

看板アーティストの喜多郎を抱えながら、並行して新人アーティストの発掘にも余念がない。それもすべてスタッフとの共同作業とは言いながら、中心的役割を担っているのは内藤氏自身だ。

「扱うアーティストはジャンル、国籍問いません。You tubeを検索してリサーチして、これは!と思う人がいたら、世界中どこにいても躊躇せずに会いに行きます。また、持ち込みや紹介も山ほどあります。しかし、なかなか、これは!と思うアーティストにはお目にかかれないですね。また、才能だけでなく大事なのは自分がその人に関わりたいと思うかどうか。そして自分たちが関わることで、そのアーティストの役に立てそうかどうかということです」

最近では消費者のニーズが変わり、CDが売れにくくなっているのが現状だ。この状況を乗り越える対策は360度ビジネスというスタイルにあると言う。

「これはうちでは昔からやっていることです。アーティストとパートナーシップを組んで、CDもマネジメントもツアーもすべて手がけます。アメリカでは専門化が進んでいて、レコード会社とマネジメントがそれぞれ分かれていましたが、CDが売れなくなっている今、レコード会社は新たな利権を獲得するしかない。しかし、私に言わせれば、360度ビジネスは、アーティストとがっちり関わっていく以上、目新しいことでも何でもないのです」

360度ビジネスも、アーティストとの確固とした信頼関係があって初めて展開できることだ。2011年、Domoが手がけるアーティストの活動予定について聞いた。

「まず、喜多郎がスペシャルユニットを組んで、アメリカ各地の大都市を中心に、今年の後半から来年にかけてツアーを行います。アメリカでは久しぶりぶりです。三味線の吉田兄弟も多分やることになるでしょう。アメリカ市場での機は熟しているのですが、彼らたちが多忙でなかなか日本を空けられないのです。プロモーターにも十分認知されています。さらに中国出身の女性演奏グループ、Viva Girls、チェリストのデイブ・エドガーの活動に今年は力を入れていきます」

今後、引退は考えているかを聞くと、「私にとって、この仕事は楽しくて仕方ない。仕事だけれど遊びなんです。だから死ぬまでアーティストを探しながら、プロデューサーを続けるでしょう」と即答した。「アメリカに来ることを選択してなかったら?いや、あの時の決断は100%以上正しかったと信じています。日本を否定しているわけではないけれど、今の私があるのはアメリカに来たからこそ」

最後に素朴な質問をぶつけた。「なぜ、ロックがやりたくてアメリカに来たのにニューエイジミュージックなんですか?」。「ニューエイジと言われるけれど、喜多郎の根本はプログレッシブロックです。私もそう。今でも一番面白いと思っている音楽はピンクフロイドなんです」。その笑顔が、「死ぬまで音楽プロデューサーを続けたい」という彼の言葉が嘘ではないことを教えてくれた。

© 2011 Keiko Fukuda

Domo Music Group(映画) 内藤栄一 音楽
執筆者について

大分県出身。国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社に勤務。1992年単身渡米。日本語のコミュニティー誌の編集長を 11年。2003年フリーランスとなり、人物取材を中心に、日米の雑誌に執筆。共著書に「日本に生まれて」(阪急コミュニケーションズ刊)がある。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2020年7月 更新)

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