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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2011/3/21/issei-pioneers/

一世の開拓者たち -ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924- その12

>>その11

外国人土地法

日本人移民を農業から排除するため、カリフォルニア州は1913年に最初の外国人土地法(俗に排日土地法)を制定した。この法律は、「帰化不能外国人」と彼らが株主の大部分を占める法人による土地購入、または他の「帰化不能外国人」への売却や遺贈を禁止し、借地権も三年以内に制限するものであった。

しかし、多数の日本人農民はこの差別的法律の抜け穴を見つけて、なんとか農業を続けることに成功した。カリフォルニア州コーテスの一世は、白人弁護士の助言に基づき、二世の名前で土地を購入した。1アメリカ生まれの二世は自動的に市民権が与えられたので、一世のように「帰化不能外国人」とは見なされず、土地法も適用されなかった。多くの一世は各家族ごとに法人を形成し、二世を法律上の株主にして土地を手に入れた。従って書類の上では、一世は自分の子供の使用人でしかなかったのである。2

山下ようも耕地を二世の息子の名義で借りたが、その法的手続きのための弁護手数料支払いに四苦八苦した。それに大きな経済的犠牲を払って土地を合法的に借りても、農業ができなくなるかも知れないという不安から開放されなかった。「見知らぬ白人の来訪をうけると、もしや土地のことで調べに来たのではないかと、生きた心地がしなかった。」3

全体的に見ると、1913年外国人土地法は主目的の日本人農民排除には失敗した。なかには、カリフォルニア州で農業を継続することをあきらめて他州へ移民した一世もいたが4、統計によれば、日本人耕作面積はむしろ1913年以降に急増している。一世農民たちは土地法の抜け穴を利用しながら、第一次世界大戦による農作物需要増加に応じて事業を拡大したのである。

1920年、白人排日勢力は外国人土地法修正法案を州議会で通過させるのに成功した。これにより最初の土地法の抜け穴が是正され、アメリカ国民であっても見成年者は土地所有ができなくなり、さらには「帰化不能外国人」は借地権までも完全に奪われた。この頃、カリフォルニア州選出のジェームス・フェラン上院議員は、再選を目指すキャンペーン・スローガンをして、「カリフォルニアを白くしよう!(白人のものに)」と唱えた。これに対して、一世農民は新しい土地法が州農業を破壊しかねないことを訴えるため「カリフォルニアを緑にしよう!」とやり返した。しかし排日の嵐のなかで、この後10年間で13の州が同様の土地法を制定したのである。5

屈辱に耐えつつ荒れし草原を
沃土と変えし開拓の汗6

外国人土地法制定の裏には、一世の経済的競争力抑止、新規移民の流入阻止という目的があったことは明らかである。1920年の修正法は、排日勢力の期待通りの結果を生み出した。45万8,000エーカー余りあった日本人農民の耕作総面積は、5年後には30万8,000エーカー程度にまで減少した。また1924年には、止めをさすかのようにアメリカ議会は日本人の入国を完全に禁止したのだった。

外国人土地法は人種差別以外の何物でもなかった。「フレズノ・リパブリカン」紙のチェスター・ローウェル編集長は、ハイラム・ジョンソン州知事に宛てた書簡で「カリフォルニアを第2のハワイにしないために、土地法の制定をしなければならない」と警告した。7ローウェルは、1920年まで全人口の43パーセントが日系人によって占められていたハワイの状況が、カリフォルニアにも到来する事を憂慮していたのである。同様に、州法務長官ユリセス・ウェッブも法制化によって日本人の土地所有を禁じれば、結果的に移民も来なくなると主張していた。

「ポテトキング」牛島謹爾を始め一世指導者たちは、カリフォルニア州民に次のように訴えた。「我々はカリフォルニアに住み、ここに運命を託している。日本の伝統や考えは、もはや我々にとって身近なものではなく、我々の息子や娘たちはそれを知りさえしない。...彼らにとって、故郷はアメリカなのである。」8

カリフォルニア州とワシントン州において一世は差別的土地法の合法性をめぐって訴訟を起こしたが、結局彼らの敗北に終った。1923年11月12日と19日、連邦最高裁判所は一世農業を根底から破壊する排日土地法を合憲と認めた。

ワシントン州オブライアン在住のある一世農民は、土地法は幸福な家庭生活の基盤さえ揺るがすものだと述べている。借地契約が禁止されたため、既存の契約が切れると彼の家族は住み慣れた場所を離れなければならないが、その後の生計のめどが全く立たなかった。年老いたこの一世は、日夜ただ悩むだけだった。9

ロサンゼルスの邦字新聞「羅府新報」は、連邦最高裁判所による判決後の一世の様子を以下のように伝えている。「敗訴後の在留同胞の心気が可なり阻喪している事は疑ふべからざるの事実である。或者は帰朝を思ひ立ち、或者は安定の地を州外若しくは国外に求め、又或者は不慣れながらも転業を企て、それぞれ思い思いに方向転換を企ててゐる。斯くの如きは単に土地法の敗訴に直接打撃を受くる農業家のみに限らず、農産物をハンドルする営業者及び農業家をその主なる華客とする我が各種の商業家の上にも相当影響が及ぶのであるからその数に漏れないのである。」10

農業をあきらめた日本人移民のなかには、漁業を始める者もいた。だが、彼らはここでも差別的法律に苦しめられることになった。「帰化不能外国人」を漁業から追い出すことを目的とした法案が、1919年から1945年の間に次々とカリフォルニア州議会へ上程され、その総数は約26にも達したのである。

しかしこのような困難にもかかわらず、結局、大多数の一世はカリフォルニアに留まった。牛島謹爾は、一世の不屈の精神を「雪の中の梅」という漢詩に詠んだ。

外之、有排日党迫害 (外には、排日勢力からの迫害が有り)
内之、有我事業蹉跌不如意 (内には、事業の困難が有る)
難苦備至 (多くの困難が我が身に降りかかる)
而余意気軒昂 (しかし、私は負けない)
不敢屈 (決して屈しない)
以雪中梅喩 (梅の木は雪が積もっても決して折れないのだ)11

一世農民の貢献

日本人農業の成功と繁栄は目覚しく、白人たちの反感を煽るに充分過ぎる程だった。1920年、一世農民はカリフォルニア州農業総生産(6,700万ドル)のおよそ10パーセント分の作物を出荷していた。

カリフォルニアデルタ協会会長ジョン・P・アイリッシュ大佐は、ウィリアム・スティーブンス州知事に一世農民の功績を称賛する報告を行った。「日本人は不屈の努力とその知性で、フローリンやリヴィングストンなどの荒れ地を豊饒な農地に変えた。またサクラメント平野は生田という名の日本人が米作を開始するまで、税金を課することもできないアルカリ質の不毛の土地だった。生田は失敗と失望の年月を耐え抜き、カリフォルニアで最初の商業米作に成功したのである。」12

恐らく一世農民の偉大な功績は、歴史学者マサカズ・イワタの言葉が一番良く表しているだろう。「(まず)彼らは深刻に不足する農場労働者となりカリフォルニア州農業の危機を救い、...(次に)自作農民となり、技術と努力で白人の見放した広大な荒れ地を開墾し豊かな農地に変えた。彼らは米作の先駆者となり、サンワーキン平原の泥地に最初の蜜柑畑を作った。また、彼らはロサンゼルス郡内の果実販売流通システム完成に貢献し、野菜類の分野も独占した。歴史を振り返ってみると、カリフォルニアが第一級の農業州となった経緯に一世農民の大きな貢献があったことは否定できない事実である。」13

荒野原沃地に変えた日系史14

その13>>

注釈:
1. 日本人農民を援助したのは、サンフランシスコの弁護士ガイ・カルデンであったと思われる。
2. 匿名者インタビュー。Issei Christians、227ページ。
3. 山下よう。伊藤一男著、「北米百年桜」338ページ。
4.  佐藤利一インタビュー。Issei Christians、34-35ページ。
5. 外国人土地法を制定した州は以下の通り。アリゾナ、アイダホ、オレゴン、カンザス、ルイジアナ、ミネソタ、ミズーリ、モンタナ、ネブラスカ、ニューメキシコ、テキサス、ワシントン、ワイオミング。
6. 平田かつ子。伊藤一男著、「北米百年桜」587ページ。
7. Takaki著、Strangers from a Different Shore、204ページ。
8. E.G.Mears著、“Resident Orientals on the American Pacific Coast: Their Legal and Economic Status,”  231ページ。この論文は、Paul Jacobs, Saul Landau, Eve Pell共編、To Serve the Devil: Volume 2: Colonials and Sojourners(ニューヨーク、1971)に含まれている。
9.  John Isao Nishinoiri著、“Japanese Farmers in Washington,” 41-42ページ。
10. 「羅府新報」1923年11月27日付。または、Ichioka、前掲書、233ページ。
11. Toshio Yoshimura著、George Shima: Potato King and Lover of Chinese Classics(東京、1981)42ページ。
12. Takai、前掲書、191-192ページ。
13. Masakazu Iwata著、“The Japanese Immigrants in California Agriculture,”  Agricultural History、Vol.36, No.1 (1962)25-37ページ。
14. 一真。伊藤一男著、「北米百年桜」590ページ。

*アメリカに移住した初期の一世の生活に焦点をおいた全米日系人博物館の開館記念特別展示「一世の開拓者たち-ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924-」(1992年4月1日から1994年6月19日)の際にまとめたカタログの翻訳です。 

© 1992 Japanese American National Museum

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執筆者について

アケミ・キクムラ・ヤノは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校アジア系アメリカ人研究センターの客員研究員です。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で人類学の博士号を取得しており、受賞歴のある作家、キュレーター、劇作家でもあります。著書『過酷な冬を乗り越えて:移民女性の人生』で最もよく知られています。

2012年2月更新

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