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日本社会と日系人の懸け橋として活躍するアルベルト松本さん ―その2

その1>>

◎外国人は情報弱者

――日本の社会に溶け込もうという意識は生まれないのですか。

アルベルト:
どうなんでしょうかね。これも人それぞれですね、特に子どもが学校に行くようになりますと、いろいろ考えるようになるでしょうし、隣人の日本人と情報交換しないとわからないことがたくさんあるわけです。外国人は情報弱者なのですが、92年か93年ごろぐらいから国も地方自治体も多言語で情報を出すようになったのです。外国人がどんどん増えて定住するようになったからなのですが、でも、彼らはそうした情報をあまりきちんと読んでくれませんでした。

――どうして読まないのですか。

アルベルト: 一つは、行政がつくる生活ガイドブックみたいなものは、案外読みにくいという要素があったのです、特に初期の段階は。イラストを入れるとか内容をもっと工夫するとか……、保険、税金、賃貸方法、等々についてワンフレーズとは言わないまでにも、ポイントだけでいいのです。役人の固い文書でこれは何何法に基づいてとかと書かれても、それをポルトガル語やスペイン語に訳してもあまり効果はなかったと思うのです。僕もよく翻訳に携わりましたが、「このような文書を彼たちは読まない」とよく抗議しましたよ。

例えば、大事な年金のことですが、最初は「どうせ国に帰るのだから年金なんて払っても、どうせもらえない」という考えが主でした。初めの5年ぐらいは多少の迷いは許されるとしても、10年ぐらいたちますと、税金をはじめ全部きちんとしていませんと行政サービスの一部や借入等を受けられないということがわかるようになるのです

保育園の入園とその費用負担、公営住宅等の入居などには納税状況もチェックされます。日系人は、日本の年金を理解するのに20年かかったのですが、近年かなり関心を持つようになりました。

――日系人の情報源は何ですか。

アルベルト: 基本的にはコミュニティの新聞、ポルトガル語、スペイン語の新聞や雑誌です。最近はフリーペーパーが案外大きな役割を果たしています(新聞はほとんどが廃刊)。しかし、日本語がよくわからない人が編集していて翻訳が正確でない場合もあります。一般のニュースは本国の通信社からのニュースでいいのですが肝心な日本の情報に弱いのです。エスニックメディアはいろいろありますけれども、残念ながら適切な情報を十分に伝えていないという側面もあります。

――2008年のリーマンショックで日系人の多くが職を失いました。

アルベルト: それは大変でしたが、日本の行政機関は多言語情報をたくさん出し、外国人相談窓口も充実させました。職安では(ポルトガル語、スペイン語ができる)多くの相談員をつけてくれましたし、職探しのアドバイスをしてもらったのです。ただ、残念ながら仕事に就けなかった人もおり、雇用保険の受給を選択した人も多かったと思います。僕は、どんなバイト・期間雇用でもいいから自分で仕事を探しなさいといいました。浜松に住んでいても、四国の愛媛に行けば養鶏場の仕事があるとか、九州に行けば養豚場の仕事があるとかです。3カ月の仕事でも収入を得ることが重要であり、それが終わったころには状況は変わるかもしれないとがんばるように励ましたのです。ラティーノはどんな仕事でもしますし、家族のため、自分のためには案外積極的に行動します。自分たちのネットワーク、人脈もありますし、派遣会社やブローカーを通じた情報、コミュニティレベルの教会のネットワーク等によってバイトや短期雇用の仕事を確保してきたのです。

――日系人の子どもの教育をどうするかが大きな課題となっていますが。

アルベルト: 日系人が日本に来て20年以上たつわけですが、その子どもたちは小学校低学年から日本の学校に入って、いろいろなことがありましたけれども多くはよく頑張って、歯を食いしばって困難な場面を乗り越えてきたと思います。地域によっては不理解や摩擦が発生しましたが、受入の地域社会にも子弟の親にも問題があったと思っています。しかし、日本の大学に入った子はまだ少ないように思えます。それでもブラジル人は既に200人近くがいるというのですが、はっきりしたデータはありません。ペルー国籍では大学に進学した若者は数十人でしょう。それも一流大学にはなかなか入学できないようです。移民の子弟は一流大学に入ってこそ、社会進出の道が開け、社会から認知されるようになるのです。

南米の場合、移民の国ですから日系人であろうが、ユダヤ人であろうが、イタリア人であろうが少なからず社会的地位を得る可能性は与えてくれます。ブラジルでは空軍のトップは日系人だし、パラグアイでは警察や軍の偉い人は日系人が多いのです。ペルーでは90年代に日系人が大統領になっています。日系人は真面目で勤勉だという評判で、時にはそのまじめさゆえに損をすることもありますが社会的に信用度は高いと言えます。いい大学に入ってそこで人脈をつくり、忍耐強くひとつひとつやっていきますと政治的にあまり目立たなくとも、案外自分の業界ではかなり偉くなれますし、尊敬されるようになれます。


◎日系人はハングリー精神足りない

――日系人が日本で成功するには、どうすればいいのでしょうか。

アルベルト: 僕は在日韓国人や中国人の事例を書いた本を読みましたが、彼たちの場合歴史的な背景とか日本に来た時期とか状況が異なりますので単純に比較はできないのですが、多少参考にできるものもあります。留学生も中国や韓国、台湾の人が多いのですが、学位を取得した後日本にとどまって活躍している人もたくさんいます。(就職や起業で)成功した人は、日本人以上に努力していますし、留学した大学はあまり有名でなくとも、大学院へ進む人は名門を目指しています。みんながサクセスストーリーを作れるわけではありませんけど、そういう風に頑張る若者がいっぱいいるわけです。アジア系ではベトナム人も今すごく頑張っています。日系就労者たちの子どもは、そういう事例からもっと真剣に学ばなければならなりません。ハングリー精神も足りませんし、日本人に負けないぞとか、アジア人に負けないぞ、という気迫みたいのものがあまり見えないのです。何となく安心している側面と、あきらめみたいなものがあるのですよ。

――アルベルトさんは日本の社会はどう見ていますか。

アルベルト: 日本の社会も、日本の学校も異なった者に対するリアクションは当然あります。順応しないと、ひどい差別はなくとも、排他的なところはあります。ただ、日本の社会は基本的には案外、寛容的だと僕は思います。寛容的で興味ももってくれるのですが、異なった者を恐れる、不安がるといいますか、こうした海外から来た子を警戒してしまう側面はあるのです。ひどいいじめはなくても仲間外れにしてしまったり、孤立させてしまう言動がまだあると思います。それでも、かなり全体の環境は良くなったと思います。

――在日の日系人は、アイデンティティとは何だろうと考えるわけですか。

アルベルト: ブラジル人は他の南米の人より国家意識が強いといいますか、永住権や帰化率もペルー人より低いのです。ただ、アイデンティティの問題は、僕も二世ですから10代の終わりぐらいからよく考えたものですが、人それぞれであり、家庭や社会環境によっても違いますし、どこまで議論したらいいのか、また、議論する価値があるのか時には迷います。アイデンティティは自分自身をつくるということであり、それに誇りを持つことで、社会に貢献できる価値観になるのではないか。49歳になってそう思うようになったのです。

例えば、在日ベトナムやインドシナの二世・三世の若者は、多くは帰化してほぼ日本人として生活をし、就職を目指します。ただ、実際、彼たちのおじいさんは難民として来日し、多くの苦難を乗り越えてこの社会でやってきたのです。しかし、初めからアイデンティティを掲げて正面からがんがん戦ってしまいますと、抵抗運動みたいなってしまい、社会からシャットアウトされてしまう恐れがあるのです。僕が二世のペルー人によくアドバイスするのですが、日本で生きていくのであれば中学生か高校生ぐらいの時に日本国籍を取得して、大学に入る時には日本人であった方がいいと言うのです。それは、奨学金だけではなく様々な可能性があるからです。当然競争も激しくなりますが。また、日本にいる日系人の子弟が中学・高校生ぐらいのときに本国に帰って、一流大学に入ることは例外の例外を除いてほとんど不可能に近いと思うのです。母語はやはり日本語であり、これで勝負して欲しいのです。そうした中、親の母語であるスペイン語もしくはポルトガル語を少しでもマスターできればそれにこしたことはありません。


◎迷いを捨てて日本で頑張れ

――帰化することに抵抗感を抱く日系人もいると思いますが。

アルベルト: 僕は日系人子弟に日本にいるのだったら、日本の社会システムでどのような道を進めば評価されるのか、何をしたら活躍できるか、きちんと考えて行動しなさいと言っているのです。そのためには多少の犠牲も払わなければなりませんが、親からみれば時には帰化もその内に入るかも知れません(ペルー人の場合、今は日本国籍を取得しますと本国法によってペルー国籍を失うことになります)。ただ、恩恵と可能性の拡大という見方もありますので、その部分を最大に活用してこの日本社会で成功してほしいと思いますし、家庭を持って少し余裕ができたときに、おとうさんやおじいさんのことを振り返り、自分たちのルーツや経緯について考えればいいと僕は思うのです。

僕はもう、帰るとか帰らないとかという迷いを捨てて、日本で頑張るという大きな目標に全エネルギーをそそいだ方がいいのではないかと言っているのです。(昔、日本から海を渡った)一世の人は、その国で頑張るしかなかったし、僕の両親もそうでしたが、考える余裕、帰るという可能性なんてなかったのです。移民の一世はどこかでそのことを覚悟しなくてはならないのです。日本に帰らないことを前提にして、歯を食いしばって道を切り開いたのです。共済組合を作り、日本語学校を作り、団結力によって困難を乗りこえたのです。今の時代はすぐに飛行機で帰れてしまうというのがあるのですが、中途半端な気持ちで移民として成功の道は開けませんのでそのことは100年前と変わっていないと思います。

――日系人の日本での20年をアルベルトさんなりに振り返ってくれますか。

アルベルト: この20年で日本も変わりましたが、我が国も相当変わりました。当時の考えはほとんど通用しなくなりましたし、良くも悪くも世界の複雑さを現しています。新しいパラダイムみたいなものを構築する時期なのかも知れません。日本で暮らしていますと、生活のペースがほんとうに速いので流れについていくだけで精いっぱいですが、ひたすら頑張っていくしかないと思います。そうした中、何を身につけ、何を提供し、社会に還元できるのか考えねばならないのです。与えられた役割をこなすことも重要なのです。

日本はいろいろなことを勉強できる国ですし、何でもある国なのです。南米ではなかなかできないことも、日本でならできることがたくさんあります。僕にとってこの20年は、いろいろ学習する期間だったと思うのです。社会のことを理解し、知ることによって新たなチャンスも広がってきたのです。こんなひねくれものでも、やり方によっては日本の社会がこの僕を活用してくれる、ということを学んだことも大きいと言えます。

我々日系人には「日」という字が付いています。これを有効に活用しない理由はないのです。基本的に親近感もあると思うのです。日本政府も我々への支援事業に「日系人」という言葉を付けて予算を付けてくれています。ビザ(在留資格)もそうです。制限なしに働けますし、他の外国人にはない支援もあります。配慮しすぎると思うときもあります。

しかし、その分きちんと感謝し、この社会に責任ある行動で還元しなければならないと思うのです。そのためにひたすら努力しなくてはならないのです。いずれ、日本の社会も我々を認めてくれるのではないかと思います。(了)

*本稿は『多文化情報誌イミグランツ』 Vol. 4より許可を持って転載しています。

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